フィリピンの首都、常夏のマニラの一角にある公営墓地で、私と、パートナーでフォトジャーナリストの篠田は、シャイで愛らしい、一人の少女と出会った。2009年3月、現地のNGO(非政府組織)「チャイルドホープ・エイジア・フィリピン」(以後チャイルドホープ)のスタッフとともに、路上生活をする「ストリートチルドレン」と呼ばれる子どもたちを訪ね歩いている時だった。たくさんの「住人」で賑わう墓地に、彼女はいた。
生ける貧者の町
その公営墓地の入り口には、門も何もなく、いつでも誰でも出入りができる。私たちは、チャイルドホープのストリートエデュケーター(路上の教育者)二人とともに、そこへ戻ってきた。実は1年前にも彼らに案内されて、ここに来たことがあった。ストリートエデュケーターは、週に数回、この墓地に暮らす子どもたちを訪ねては、簡単な読み書きや保健衛生に関わる生活習慣、子どもの権利などについて教えたり、歌やダンス、ゲームを楽しむ時間を提供したりしている。
マニラの路上には、「豊かさ」を求めて農村から都会へ来たものの、家賃が払えず住む場所に困ったり、都心の再開発のためにスラムを追い出されたりして、家族とともに道端に段ボールを敷いたり、あるいはリヤカーを寝床にしたりして生活する子どもが大勢いる。そんな子どもたちに、日々を食いつなぐことに追われる「日常」とは異なる時間の過ごし方や考え方に触れる機会を提供し、よりよい未来へと導くのが、ストリートエデュケーターの仕事だ。墓地の子どもたちも、路上とさほど変わらない生活状況に置かれていることから、彼らの定期的な訪問先となっている。彼らと一緒に子どもたちの取材をしていた私たちは、1年ほど前に人々の生活の場となっている墓地を訪れ、その光景に目を奪われた。そしてもう一度訪れたいと思っていたのだった。
マニラにある公営墓地のいくつかには、何十年も前から人が住みついている。それらは大抵、スラムや市場に隣接する地域にあり、住まいをなくした人の避難所となっていたものが、次第に「家賃不要のスラム」と化した。住人たちは、墓地内や市場、街なかで物売りをしたり、リサイクルゴミを集めて売ったり、路上暮らしの人たちと似たような仕事をして日銭を稼ぎ、食いつなぐ。私たちが訪れた公営墓地も、大きな市場と露店街の東に広がるスラムの外れにあった。みすぼらしい長屋とまともな一軒家が混在する地区の隣だ。
墓地名が書かれた壁の前を通って、敷地内へ入る。と、右手には屋台風の飲食店が1軒あり、墓地住民の客で賑わっている。そばに設置されたバスケットボールのゴールに向かってジグザグとボールを奪い合う若者たちが、ニコニコしながら道をあけてくれる。皆、上半身裸かランニングシャツに短パン、ゴム草履といったいでたちで、まだ陽が高いのに、学校にも仕事にも行っていないようだ。
正面には、カトリック教徒の墓地らしく教会のような形をした火葬場(カトリックでは伝統的には土葬だが、都市部では火葬も増えている)と、墓地管理事務所の建物が建ち、その前は埋葬や墓参りに来る人のための駐車スペースになっている。が、実際には「子どもの遊び場」で、保育園の庭のように小さい子どもたちが走りまわる。それを見守る若い母親、赤ん坊を抱いた少女、暇そうに佇(たたずむ)む男たち……。
私が子どもの頃に“肝試し”をした日本の墓場とは、似ても似つかない。そこは、生ける貧者の町だ。昭和の路地裏風景を知る日本人が見たら、懐かしがるのではないかと思うほどに、のどかで人情味溢れる空気が流れている。だからこそ、マニラを中心とする首都圏に3万人はいるといわれるストリートチルドレンの一部が、ここで家族と暮らしているのだろう。
奥へと進んで行くと、棺(ひつぎ)のような形をした大小様々な墓石が並んでいる。なかにはそれを覆う屋根のある、ちょっとした家のような造りをした立派な墓も。その所々で、正面入り口部分にカーテンがかけられ、まさに「住宅」として使われている。普通の墓石の上にビニールシートや木板で小屋を作って住んでいる人もいる。他人の墓の上にこっそりと住まわせてもらっている、というよりも、堂々と当たり前のことのようにマイホームとしている感じだ。
好奇心をそそられながら、狭い路地のような小道を奥へ奥へと歩く。すれ違う人、見かける掘っ建て小屋の数からして、1年前よりもはるかに大勢の人間が、そこを住まいとしていることがわかる。どこか他のスラムから立ち退きを迫られ、居場所を失った住民がまた流れ込んできたらしい。ストリートエデュケーターの話では、50世帯ほど住んでいるという。子どもの多いこの国の家庭事情を考えれば、墓地の住民は少なくとも250人はいるだろう。
墓地暮らしの一家
墓石を覆うように立つ大きなマンゴーの木のそばまで来ると、ストリートエデュケーターが、周りにいる子どもたちに声をかけた。と、そこここから、7、8歳から12、13歳の子どもたちが、墓石の上をゴム草履や裸足でピョンピョン走って集まってくる。今日のストリートエデュケーションの参加者だ。
彼らは、順番にストリートエデュケーターの手をとり、自分の額にそっとあてる。目上の人に尊敬の念を表すあいさつだ。その後、墓石と墓石を区切るコンクリートの囲いに、思い思いに腰掛けた。男女半々くらい。好奇心に満ちた目で、こちらを見つめている。
「今日は、男女の権利について、考えましょう」
先生役のストリートエデュケーターがそう呼びかけ、持参した画用紙をひろげる。そして、子どもたちに尋ねながら、「男子の仕事」と「女子の仕事」を書き込んでいく。
「男子はやらなくてよくて、女子がやるべきだということはありますか?」
質問すると、元気のいい男子二人がおどけながら、
「料理や洗濯!」
と叫んだ。すると女子が、
「うっそ~」「男子だってできるじゃない」
と、笑いながらぼやく。すると男性のストリートエデュケーターが、
「たとえば、力仕事は体力的に男のほうが向いている、ということはあっても、どちらがすべきだということはないんだ。互いに協力しあうことが大切だからね」
と、考えを伝える。
そんなやりとりをしている子どもたちの中に、ふっくらアーモンドのような目をした兄妹がいた。結構イケメンの兄(13歳)は、おしゃべりで陽気な少年で、場を盛り上げている。妹(12歳)はアイドル系のルックスで、笑顔がかわいらしいが、照れ屋のようであまり発言をしない。それでも、直接質問されるときちんと答える。賢い少女だ――。それが、この後ずっと見守り続けることになる「ジュリアン」の第一印象だった。
30分ほどの「路上教室」が終わると、子どもたちは、ストリートエデュケーターと一緒に近くのコンビニへ行った。そして缶詰やインスタントラーメンなどの食料品を買うのを手伝い、それをもらって、家族のもとへと帰っていく。
この子たちはどんな家に住んでいるのだろう。気になってついていくと、ジュリアンと兄のジュネルは、ストリートエデュケーターが授業をしていた墓石のすぐ近くに暮らしていた。そこには彼らの母親でまだ31歳と若いフロリサさんと、弟のカルロ(6歳)、妹のクラリス(5歳)がいた。カルロはクリッとした目のヒョロッとした少年で、クラリスは色黒でまん丸顔の野生児のような少女だ。彼らの家は、三つの墓石の上にビニールや廃材で壁と屋根を作ったもので、内部はほんの3畳ほどの「寝室兼居間」と、1畳くらいの物置スペースになっている。ベッドのような形の墓石の上には、寝やすいように布が敷かれている。死者の名前と誕生日、死亡日が記されたプレートが付いた石が、ちょうど枕元の位置に立っていて、石にはキリストの顔や天使をかたどった装飾もほどこされている。むろん、その下には死者の骨が埋められているわけだ。