「ハイスクールを出たら、大学へ進学して、先生になりたい」
どうやら小学校の教員になる自分の姿を、思い浮かべているらしい。
路上やスラムで育っても、学校に通うことができた子どもたちは、リサイクルゴミの収集や物売りをしている親たちとは異なる仕事をする大人の存在を知り、それにあこがれる。「先生」、つまり学校の教師だ。親にも尊敬され、自分たちの知らないことを教えてくれる教師は、理想的な大人に思えるからだろう。
ただ、そんな夢は多くの場合、小学生時代の幻想に終わる。フィリピンはもちろん、ほかの途上国においても、貧困層の子どもたちはよく、小学生の頃には「先生になりたい」、家族の病気を治す「医者になりたい」といった夢を抱くが、成長するに連れて、結局は親と同じ道を歩むことになる。ジュネルの場合のように、どうなるかわからない先の人生プランに賭けて勉強を続けるよりも、今日の生活費を稼ぐことを優先したくなる、せざるをえなくなるからだ。現在、日本においても、貧困家庭の子どもたちを同じような状況が襲っている。貧困が教育格差を生み、教育格差が貧困の連鎖を生む。
ジュリアンは、この固定化された諦めや挫折を乗り越え、忌まわしい運命を打ち破って、勉強を続けることができるだろうか……。ぼそぼそしゃべる、まだ子どもっぽさの目立つ少女の姿からは、いまひとつ、確信が持てなかった。が、兄ジュネルのハイスクール中退を前にしても、自分は進学したいと言い切ったことは、彼女の決意の強さを表しているのかもしれない。
「この子は、こうして他人に自分の話をすることに、慣れていないんです」
一連の会話を見守っていた母親が、私たちの様子を見ながら、そう助け舟を出した。
「でも、この子はきちんと勉強を続けるはずです。私はいつも話して聞かせていますから。私と同じ失敗をしてはダメよ、ほかの子たちのようにボーイフレンドをつくって妊娠したりしてはダメなのよ、と」
フロリサさんはそう微笑んだ。娘の決意を信じ、そこに自身の希望を見出している。マービンさんも、
「君たちが彼女の奨学金スポンサーになってくれるなら、パンガラップ・シェルターが正式な奨学生として迎え、学業の支援を担当するよ」
と、申し出てくれる。
パンガラップ・シェルターは、自分たちが運営する施設や支援するスラムで奨学金を必要としている成績のよい子どものために、お金を出してくれる「スポンサー」を常時、募集している。そうして見つけたスポンサーに、一人の子どもの奨学金を出してもらい、その子の進学・通学を支援しながら、学校での成績や様子、家庭の状況、奨学金の使われ方を、定期的にスポンサーに連絡する。私たちがジュリアンの「スポンサー」になれば、彼女は奨学金制度の一員として、彼らの支援を受けられるわけだ。
「じゃあ、ぜひその方向で考えましょう」
私たちは、ジュリアンの決意を信じ、マービンさんたちを頼りに、年間1万円ほどの奨学金を出すことにした。
いじめを乗り越えて
その年の6月、「大学進学を目指す墓地育ちの少女」は、ハイスクール1年生になった。きちんと入学し、元気に通学している様子を、パンガラップ・シェルターからのメールが伝えてくれる。秋、メールで送られてきた前期の成績表を見ると、小学校の頃よりは幾分、成績が下がっていたが、まあまあという感じだった。このまま4年間、ハイスクール通学を続けることができれば、大学への進学も夢ではないだろう。どうにか貧困の連鎖を断ち切ってほしい……。
そう願いながら、翌年3月、再会したジュリアンに後期の成績表を見せてもらうと、前期よりもさらに成績が下がっていた。むろん平均以上なのだが、在籍クラスも、小学校の校長が話していたような「ハイヤー・セクション」ではなくなっている。何かあったのか?私たちはジュネルが中退した時のことを思い出し、心配になってきた。
成績が落ちた理由を聞く私たちに、彼女はバツの悪そうな笑みを浮かべて、
「小学校の時は、そんなに勉強をしなくてもいい成績がとれましたが、ハイスクールはもっと難しいので、そううまくはいかないんです」
と、言い訳した。それから、
「来年度はがんばります」
と、2年目への意気込みも口にする。私をしっかりと見る目は本気を示している。
「じゃあ、ぜひがんばって。あなたならできるはずだもの」
期待を込めて、私はその肩をたたいた。が、その時、私たちは、少女が抱える大きな悩みに気づく由もなかった。
ジュリアンがハイスクールに通う4年間、パンガラップ・シェルターでは、市立病院の社会福祉課に転職したマービンさんに代わり、ウェンさんという気遣いのある頼もしい女性ソーシャルワーカーが、ジュリアンの担当になっていた。彼女は、時折、墓地の家族のもとへ古着を持って行くなど、ジュリアンの家族のことまで親身になって面倒を見てくれた。そして、姉の進学を機に、「小学校に入りたい」と言い出した妹のクラリスも、ウェンさんに奨学金支給の担当をしてもらうことになった。
マニラへ行くたびにパンガラップ・シェルターへあいさつに行くと、ウェンさんは、仕事も子育てもベテランといった温和な笑顔で、
「うちの娘たちは、ジュリアンと大して歳が変わらないんですよ。だから服の好みもわかりますし、対応がしやすいんです」
などと、話してくれた。そして、日本からメールやフェイスブックを使ってジュリアンの近況を尋ねる私に、丁寧に返事をくれた。ジュリアンとフロリサさんも、彼女のことを心から信頼している様子で、いつも「ウェンさんがよくしてくださるんです」と言った。だが、そんなウェンさんですら、ジュリアンの深い苦悩については、何も知らなかったようだ。成績が落ちた際、「もう少しがんばらないとね」と話していた。
墓地からハイスクールに通う少女は、1年目は「ハイヤー・セクション」に在籍していたが、2年目からは成績が下がり、普通クラスに移された。そして、そのままそこで3年間を過ごすのだが、それは彼女にとって、「不幸中の幸い」だったことが、後に明らかになる――。
「何で私だけがあんな目に遭ったのか、今でもわからない……」
ジュリアンの目に、涙が湧き上がってきた。それはハイスクール卒業からほぼ2年が過ぎた時のことだ。私たちは、たまたまじっくり話をする機会を得て、初めて彼女がハイスクール1年目に味わった試練を知る。
「ハイヤー・セクションの同級生は、私が墓地から通っていると知ると、いろいろな嫌がらせをしてきたんです」
どうやらクラスメートは、墓地暮らしの子どもが自分たちと同じレベルの、優秀な生徒ばかりのクラスにいることが気に入らなかったようだ。小学校と異なり、ハイスクールに進学する墓地暮らしの子どもはそういないうえ、トップレベルのクラスに入れる者は、さらに稀だ。そこへ入ったジュリアンは、差別と偏見によって、本当は周りと同じく優秀な生徒であるにもかかわらず、「劣等」扱いされたのだ。
「あの頃が、今までの人生で一番辛かった……」
珍しく感情を露わにし、手で涙をぬぐうジュリアンを前に、私はこの少女の真の強さを、改めて知った。もしかすると、初めて理解できた、というべきかもしれない。
まだ15歳そこそこの少女に向けられた理不尽な差別といじめ。しかし、彼女はそれを耐え抜き、進級して、ハイヤー・セクションからは外れたものの、卒業まで同じ学校に通い、学び続けた。そこには並々ならぬ進学への執念があったに違いない。
私には、母親の期待以上に、少女自身が「学歴を得る」ことへの情熱を胸に秘めているように思えた。ジュリアンは、私たちの想像以上に今のフィリピン社会のありようを理解し、自分の努力でその最底辺から這い上がろうとしているのかもしれない。
ハイスクール卒業の5カ月ほど前である2014年11月、私たちは、そろそろ大学の話をしなければ、と考え始めた。 3年半前、「大学へ行って、先生になりたい」と語った少女は、同じ夢を抱き続けているのだろうか。それとも別の目標を見つけたのだろうか。私はフェイスブックでジュリアンに、大学進学について尋ねてみた。