貧困家庭に生まれ育ったフロリサさん(39歳)は、16歳で年上の優しい警察官と出会い、ジュネルとジュリアンが生まれる。幸せな家庭生活が始まったが、子どもたちがまだ幼いうちに突然、夫が殉職、何もかも失ってしまう。その後、別の男性との間に次男次女をもうけるが、やがて捨てられ、墓地暮らしに。そこには彼女の母親と兄姉が住んでいた。だが、心の支えだった母親も次女が生まれる直前に他界、絶望の淵に落とされる。それでも、愛する夫の忘れ形見であるジュリアンとジュネルに希望を託し、何とか生きようとする。
期待の星
2011年3月、墓地暮らしのシングルマザーの希望の星は、ジュリアンとなっていた。というのも、兄ジュネルは、前年、フィリピンのスクールイヤーが始まる6月にハイスクールへ進学したものの、数カ月でやめてしまったからだ。当時のこの国の教育制度では、小学校6年間に加え、日本でいうところの中学3年間と高校1年分を合わせた「ハイスクール」4年間が無償の義務教育(6・4制)で、学費がかからなかった(2013年から幼稚園1年、小学校6年、中学校4年、高校2年の1・6・4・2制に。)。しかし、工作の材料や文具などを買うお金が別に必要だったため、ジュネルは家族に負担をかけるのが嫌で、中退してしまったのだという。
「働くほうがいい」
少年は、母親にそう告げた。やはり目先の問題に縛られてしまったのだ。
一方、妹のジュリアンは、自分の意志で進学を目指していた。フロリサさんにとって、それは大きな意味を持っていた。
「これを見てください」
ある日、彼女は狭い住まいの片隅に積み上げられた荷物の間から、1冊のファイルを引っ張り出し、挟まれている古い2枚の書類を、私とフォトジャーナリストの篠田に差し出した。読めば、それは学資保険のようなものだった。
「警察官だった夫が生前、私たちの子ども、ジュネルとジュリアンが大きくなったら大学まで通わせようと、学費を積み立てた書類なんです」
色あせた紙が、まだ幼いわが子の将来のためにお金を振り込んでいた父親の、切なる思いと愛を物語っていた。不幸続きで気が動転していた母親は、夫の死から何年も経ってから、その書類の意味に気づく。そして保険会社に、書類や積立金が有効かどうかを尋ねに行く。しかし、長く放置されていた積立金は、戻ってはこなかった。
とはいえ、この書類が、夫の思い出を胸に一人で子どもを育てることになった若い母親の心に、子どもたちの進学に対する強いこだわりを植え付けた。
「ジュネルはやめてしまいましたが、ジュリアンには何としても進学してほしいんです」
彼女はそう言って、私の目を見据えた。ジュネルのように、学校でかかるお金のせいで通学を諦めてしまわないよう、何かいい方法はないかと、助言を求めているのだ。
聞けば、ジュリアンは今、同じ墓地暮らしの子どもたちの多くが通っている小学校の6年生の中で、優秀な生徒ばかり選ばれたクラスにいるという。だから、ハイスクールに進学できれば、そのまま、成績のよい生徒を集めた「ハイヤー・セクション」に入れるらしい。
ジュリアンの勉強ぶりが知りたい。私たちは、そう思った。墓地から歩いて20~30分ほどのところには、20年ほど前から付き合いの続くNGO「パンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン」(以後、パンガラップ・シェルター)があり、そこには一定以上の成績を修めている貧困家庭の子どものための奨学金制度がある。うまくいけば、その制度に組み入れてもらうことで、学校でかかるお金の心配はなくなるかもしれない。ただ、そうするためには、まずジュリアンが学校でどんな様子で、どの程度の成績で何を希望しているのか、きちんと確かめなければ。シャイなうえ、まだ英語がそれほど話せない少女が進学の先にどんな夢や計画を持っているのかを知るのは、思いの外、難しかった。話しかけても、笑みを浮かべるばかりで、確かな言葉が返ってこない。
私たちはまず彼女が通う小学校へ行き、授業の様子を見て、教師の話を聞いてみることにした。彼女が熱心に学んでおり、本気で進学したいと考えているのなら、応援しよう。それが彼女だけでなく、墓地の子どもたち皆の未来を変える、小さな一歩になるかもしれない。
卒業式が近づいていた3月半ば、私たちはフロリサさんの案内で、授業中の小学校を訪ねた。校長先生には、フロリサさんが事前に私たちの訪問を知らせておいてくれた。この国では、貧困層の子どもたちの多くが、国内外のNGOの奨学金を受けているため、「娘のスポンサー(奨学金支援をしている人)が訪問したい」と言えば、案外容易に学校訪問が叶う。
ちょうど卒業アルバム用の写真撮影をしている時期で、子どもたちは休み時間、校舎の一角に作られた「スタジオ」で写真を撮ってもらっていた。1000円程度のお金を払って、欧米の伝統的な卒業式のような角帽とローブを借りて身につけ、カメラの前に立つ。行くとジュリアンも、ちょっとしたメイクまでしてもらって撮影をしていた。少々無理して費用を工面してでも写真を撮らないと、皆と同じように卒業アルバムに載ることができない。硬い表情でカメラのレンズを見据える少女に、カメラマンが、リラックスしよう、と笑顔で声をかける。と、その目と口元の筋肉が少しだけ緩んだ。
その後の授業では、教室の一番前の席で、熱心に教師の話に耳を傾けていた。おとなしく、ほとんど手を挙げないが、あてられれば、きちんと答えている。そんなジュリアンの姿をしばらく眺めたところで、校長室に案内された。
校長は、貫禄のある中年の女性だ。
「ジュリアンの勉強ぶりはどうですか? 優秀な児童のクラスにいるそうですが」
そう問いかけると、胸を張り、誇らしげにこう返答してくれる。
「彼女がいるのはトップクラスで、担当教員もわが校の最も優秀な人材です。ですから、彼女もとてもよい成績で卒業します」
ジュリアンが墓地で生活していることを知っているのかどうか確認すると、
「もちろんです。クラスメートも全員、わかっています。すべての児童の家庭調査をした際に、私も墓地を訪問しました。ジュリアンだけでなく、うちの児童の何人かが、あの墓地から通学していますから」
墓地から通う子どもたちは、その生活環境が原因で、学校でいじめられたりしていないのだろうか。
「大丈夫です。特に差別されたりはしていません。この学校の子どもたちの多くが、墓地暮らしではないにせよ、貧しい家庭の子どもたちですから」
校長は、そう言って微笑んだ。
確かにこの学校の周辺は、スラムや安い衣類やコピー商品の露店が並ぶマーケットで、店の脇に置かれたリヤカーで寝起きする親子はいても、金持ちは住んでいない。だから通学しているのは、ほとんどが貧困層の子どもだろう。その事実を再確認し、どこかホッとする。
少女の意志
夕方、学校から帰宅したジュリアンに、卒業後はどうしたいと考えているのか、尋ねてみることにした。今日は言葉の壁を乗り越えるために、助っ人を呼んである。彼女がハイスクール進学を希望した場合に、奨学金の世話を頼むパンガラップ・シェルターで働くソーシャルワーカーで、14年前に知り合った時にはストリートエデュケーターだったマービンさんだ。彼が、タガログ語と英語の通訳をしてくれる。
タガログ語で話せるとはいえ、マービンさんとは初対面だったジュリアンは、最初、なかなか自分の言葉で話そうとしなかった。すぐ母親に視線で代弁を頼む。何とか気分をほぐそうとマービンさんが、一緒に墓石の囲いに座って忍耐強く話しかける。
「小学校を出た後は、どうしたいんだい?」
そばで聞き耳をたてていると、ようやく話し始めた。
「ハイスクールへ行きたい」
一言そう漏らす少女に、マービンさんが、「なぜ行きたいの?」と問いかける。
「ちゃんと義務教育を修了したいから」
その答えに、「じゃあ、その後の計画は何かある?」という質問が続く。
まだ表情は硬く、うつむきがちになりながらも、ジュリアンがこう応じる。