ジュリアンの思いを叶えられるよう、努力しよう。私たちは、「STIカレッジ」という短大の学費など、入学できた場合に彼女が必要となる奨学金の額を、ビンさんに計算してもらった。すると、純粋な学費と制服代などを合わせて、年間、日本円で15万円前後かかるようだった。日本の短大に比べれば安いが、フィリピンの物価から考えると、ずいぶん高い。きっと通常入学するのは、中流以上の家庭の子どもだろう。
進学を後押しするため、私たちは、日本人13人で支える体制をつくることにした。2年間で一人2万円前後なら、何とか出してくれる人を集められるかもしれない。仲間とボランティアで運営しているNGOのメンバーに、提案してみよう。「何とでもなるんじゃない」と、妙に楽観的な篠田のセリフにつられて、私もジュリアンたちを前に、奨学金は日本のNGO仲間に相談して何とかすることを、ビンさんに約束した。そして、「とにかく入学のための準備を始めてください」と依頼する。
すると、ビンさんが、
「OK。それならさっそく手続きを始めましょう。ジュリアン、それでいいわね?」
と、言う。ジュリアンははっきりとした口調で、
「イエス、サンキュー・ベリー・マッチ」
と、微笑む。フロリサさんも、いつもはペチャンコな頬を膨らませ、満面の笑みだ。
帰り道、私たちは3人を墓地まで送っていった。パンガラップ・シェルターの前から長細いジープのような形の乗り合い車両、ジプニーに乗り込み、墓地の近くの大通りまで行って、そこからスラムの中を歩いて家路を急ぐ。進学を決めたジュリアン以上に、ゴム草履で地面を踏みしめながら歩くフロリサさんの足取りが、いつになく軽い。
「私の叶えられなかった夢を今、ジュリアンが叶えようとしています。それがうれしくてたまらないんです」
興奮した様子で早口に言う。
「ジュリアンが無事に入学にこぎつけ、6月から大学へきちんと通えるよう、ビンさんとともに支えてあげてくださいね。墓地に暮らしながら大学の勉強をするということは、これまで以上に大変なことだと思いますから」
私はフロリサさんにそう話しかけた。墓石の上で寝起きしながら大学へ通い、与えられる課題をこなすというのは、相当大変なことに違いないと思うからだ。私がその立場だったら、とても無理だろう。
墓地の家にたどり着くと、毎度のように、学校に行っていないカルロは近所の少年たちとコマ回しをして遊び、ジュネルは井戸から水を汲んでくるなど、家の雑用をしていた。見慣れた風景、変わらぬ人々、淡々と刻まれ続ける墓地生活のリズム。そこに小さな革命を起こす。それがジュリアンのやろうとしていることなのかもしれない。
母の涙
数日後、私たちは世界中で親しまれているカードゲームUNOを持って、午後、墓地に戻った。久々に子どもたちと遊びたい。できるだけ、ふだんとは違った遊びをしよう。新しいことを知る喜び、知らない世界と出会うワクワク感を伝えよう。ジュリアンの挑戦を前に、私たちもそう意気込む。
クラリスとカルロが近所の子どもたちに声をかけると、同世代の少年少女が8人ほど集まってきた。待ってましたとフロリサさんが、バケツをひっくり返して真ん中に置き、板を乗せてテーブルを用意する。皆で墓石を囲うブロックの縁に座り、いざ勝負だ。
こうしたゲームはあまりやったことのない子どもたちは、単純なプレイで大いに盛り上がる。中央に置かれたカードと同じ色や数字のカードを出していき、手元のカードが早くがなくなったほうが勝ちなのに、出す手がなくカードが溜まっていく仲間を見て、ケラケラ笑う。私もゲームに参加し、皆がいつ飽きるだろうかと観察するが、5回やっても「まだやろうよ」と言う。「非日常」はやはり、楽しいようだ。
そんな姿を眺めながら、私はこの子たちの間からも、将来、ジュリアンのように大学まで行く決意をする子が出てくるだろうかと、考えた。聞けば皆、小学校には通っている。中には姉がハイスクールの1年に在学しているという少年も。この環境のもとで、果たしてどれだけの子どもが、非日常といえる「外の世界」、高等教育機関で学ぶことに情熱を抱き続けることができるだろうか。私たちは、どんな形でそれを支えることができるだろう……。
夕方、蚊が飛び始め、サンダル履きの素足がかゆくなってきたので、そろそろ宿に戻ろうと思った時、私はふと、ジュリアンにこう言ってみた。
「大学に入れて、もしそこに寮があったら、ウイークデーだけでもそこで生活できるようになるといいわよね。そのほうが勉強に集中できるだろうから」
するとジュリアンは、
「そうですね。でも、そうでなくても大丈夫です。私、ここの生活に慣れていますから」
と、軽く眉を上げる。そうなのだ。彼女は「慣れている」のだ。
だからといって「簡単だ」というわけではないだろう。少女が成長していく過程では、身体的な変化や性の問題も含め、普通の暮らしをしていても大変な時期がある。墓地では、それが何倍も辛く厄介なものに違いない。そんな考えが、頭をよぎる。それでも少女は、ひどく確信に満ちた笑みをたたえていた。
「この確信が続いてくれたら……」
私は心の奥でつぶやいた。
そしていつものように、フロリサさんが墓地の出入り口まで送ってくれる。私たちは、そこから10分ほど歩いて駅に出て、電車と徒歩で宿へ戻る。
さようなら、と肩に手を置いたところで、フロリサさんが突然、
「皆さんにお会いしてから、運が巡ってきた気がします……」
と言って私に抱きつき、泣き崩れた。うれし泣きというよりも、安堵のあまり、体の力が抜けてしまったかのようだ。私は戸惑いながら、両手でその背中をゆっくりと撫でた。こんなに気持ちを高ぶらせた彼女を見たのは、初めてだ。
警察官だった夫の死とともに、幸せの絶頂からどん底へと突き落とされた母親は、実の兄姉に囲まれているとはいえ、深い孤独を感じていたようだった。兄も姉もいい人だが、皆それぞれに、フロリサさんと同じく、複雑な家庭事情を抱えている。シングルマザーの長姉、夫と先妻の子を含む子ども11人と暮らす次姉、妻に逃げられた次兄など、自分の家族のことで手一杯というのが現実の親族は、深刻な悩みを相談できる相手ではなかった。だから、本当はひどく悩んでいても、それを率直に伝える人間が近くにいないのだろう。
ふだんは一見、気楽にのんびり生きているように見えても、食べるものにも事欠くようになると、だんだんとストレスが積み重なり、やがて限界に達し、子どもたちの将来に抱く夢や希望も、どこかへ吹っ飛んでしまう。それこそが、墓地に生きる大人たちの厳しい現実だった。私は今さらながら、それを思い知った。
フロリサさんのそうした状況に一筋の光をもたらしたのが、ジュリアンの短大進学だ。
そしてこの年、2015年の6月に、ジュリアンは無事、STIカレッジに入学する。