優秀な成績で小学校を卒業したジュリアンは、母親の期待に応え、また「大学を出て、先生になりたい」という自身の夢のために、奨学金を得てハイスクール(中学3年と高校1年の計4年間)へ進学する。ところが、1年目にいた成績優秀者のクラスで、ひどいいじめにあう。それは「墓地暮らし」の彼女への差別と偏見の表れだった。それでもいじめを耐え忍び、通学を続けた少女は、いよいよ大学進学を考える時期を迎える。
進学への迷い
「やはり私だけが勉強を続けるわけにはいかない。働いて、家族を支えなければ」
2014年12月、フェイスブックに届いたメッセージを読む私の心臓が、ズキリとした。え、そんな、ジュリアン、まさか諦めるのか。文法間違いの多い英文を、もう一度読み直す。が、やはり「大学には行かないことにした」の文字がある。すぐ横でパソコンに向かっている篠田の背中に、思わず「ジュリアンが大学行かないで働くとか言ってる!」と叫んでしまう。
よほど生活状況が苦しくなっているのだろうか。私はいろいろと想像せずにはいられなかった。マニラに行くたび、確かに主食である米の値段は上がっていた。収入が増えない貧困層にとっては、まさに死活問題だろう。2009年には一番安いものは1キロ20ペソ(約40円)もしなかった米が、2011年に26ペソ前後になり、2014年にはインフレが進んで30ペソを超えた。それでも一時は、ジュリアンも「(私や篠田と)最初に会った頃は、1日1食のこともあったのが、今はほぼ毎日2食は食べられるようになりました」と話していたのだが、最近は家族の収入が減ったのかもしれない。
それにしても、本当の意味で「家族を支えたい」のならば、もう少し我慢して大学まで出て、きちんとした給料がもらえる仕事についたほうがいいだろう。少なくともフィリピンでは、それが現実だ。ジュリアン自身や母親のフロリサさんも、本当はそう考えているに違いない。なのに、大学進学を諦めるという少女の本心は、「私だけが」という言葉に現れていると、私は感じた。進学を望んでいるが、家族の困窮状態を考えると、申し訳なくて、生活費を稼ぐことを優先せずにはいられない。そんなつぶやきが聞こえてくる。どんなに貧乏暮らしでも、「家族といられることが、一番の幸せ」と話す墓地の子どもたちの一人であるジュリアンのことだから、無理もない。
私たちは、よりよい条件の就職ができて生活が安定するということ以上に、ジュリアンにはぜひ進学して、墓地暮らしの子どもたちがまだ知らない世界と出会う機会を手にしてほしい、と考えていた。彼女が最終的にどんな人生を選択するにせよ、1日の大半を墓地とその周辺の世界だけで過ごすのではなく、様々な人と出会い、広い世界に触れてほしい。そして、やりがいを感じること、興味のあることを見つけ、自分らしい人生を選んでほしい。そういう彼女の姿が、彼女のきょうだいはもちろん、墓地の子どもたちにも刺激となってくれたら――それが私たちの密かな願いだった。
「もう少し、よく考えてみない? 進学すれば、アルバイトをしながら働くこともできるかもしれないし、きちんと卒業すれば、今適当に仕事を探して働き始めるより、もっとよい仕事につけるに違いないでしょ。そのほうが、少し時間はかかっても、結果的に家族をより幸せにできるのではないかしら? それに、あなたがそれを成し遂げれば、周りの子どもたちにとっても、大きな希望になるはずよ」
私はジュリアンの英語読解力に不安を感じながらも、とにかく思いの丈を伝えようと、ちょっと長めのメッセージを送った。と同時に、同じくフェイスブックで、ウェンさんにもジュリアンからのメッセージの中身と私の考えを伝える。そして、「どうか、ジュリアンを励ましてあげてください。大学を諦めないよう、説得してください」と、懇願した。すると、ウェンさんからさっそく返信が来た。
「私は9月でパンガラップ・シェルターを退職して、大学の教師になったのですが、ジュリアンとは連絡を取り合っているので、私からもそう伝えます。大丈夫、ジュリアンはきっと進学しますよ」
退職の話には驚いたが、ジュリアンの進学を後押しするという文面に、ホッとした。そして翌2015年1月末、ジュリアンと妹クラリス(小学校3年生)の奨学金を担当する新しいソーシャルワーカーのビンさんからメールで、ジュリアンが2年制の短大なら行きたいと話しているという連絡があった。2月、ジュリアン本人からも、「2年間のコースなら行こうかと思います」というメッセージが届く。
「よっしゃ!」
私はまた、篠田の背中に叫んだ。そしてハイスクールの卒業式が迫る3月初め、二人でジュリアンのもとへ飛んだ。
小さな革命の始まり
その日、私たちはパンガラップ・シェルターの応接間で、ソーシャルワーカーのビンさんと一緒に、ジュリアンとフロリサさん、そしてクラリスと話をすることになっていた。1週間ほど前にビンさんから、「集まって話し合い、今後のことを決めましょう」と言われ、会合の日時を決めたからだ。午後、ほぼ時間通りに、ジュリアンたちが現れた。
フロリサさんは歯がさらに少なくなったせいか、1年前よりも老けて見える。ジュリアンは18歳になり、一段と美しくなった。クラリスも急に背が伸びて、最初に会った時のような無愛想で色黒な野生児の面影はなくなり、ビンさんに言わせると「ブラック・ビューティ」になっていた。そんな3人と私と篠田を応接室へと導き、低いテーブルに菓子パンとミルクコーヒーを並べてソファに座ったところで、ビンさんがこう切り出した。
「クラリスはまあまあの成績ですが、平均点以上は維持しているので、問題ないでしょう。以前よりもコミュニケーション力が上がりましたし、表情も豊かになりました。そしてジュリアンも、ハイスクールを無事に卒業できることになりました。奨学金さえ確保できるようなら、大学にも進学したいということでしたね」
その言葉に、ジュリアンは瞬(まばた)きをしながら、しっかり「イエス」と答える。
大学は6月に始まるフィリピンではこの時期、大半の公立大学の入学試験や願書受付はもう終わっているため、少ない選択肢の中からどこに出願するかを決めることになる。
「現時点で願書を受け付けている公立大学には、ここから近い市立大学があります。こちらは学費がいろいろ合わせて年間2万ペソ(約4万円)と安いですが、教育や経営などを学ぶ4年制大学です。2年間のコースを希望するなら、ここ(パンガラップ・シェルター)で生活している男子も一人入学する予定の、STIカレッジを勧めます。ジュリアン自身も、この短大のホスピタリティ(接客)&レストランサービスのコースを希望しているようですし。そうですね?」
ビンさんの問いかけに、再びジュリアンがはっきり「イエス」とうなずく。
私は彼女に、小学生の時の希望と異なり、なぜホテルやレストランでの接客業を学ぶコースに入りたいのか、尋ねてみた。
「このコースできちんと学んで卒業すれば、いい就職口があると聞いています。それに、ホテルやレストランの接客には興味があります。夏休みに、近所の食堂で働いたのですが、そこではいろいろ新しいことを学びました。だから、もっと専門的にそういう仕事をしてみたいと思いました。4年間は長すぎますが、2年間なら勉強を続けて、それから働いて母と家族を支えられたら、と考えました」
シャイな少女が接客業を選んだことに驚いたが、どうやらこの進学プランは、単なる思いつきではないようだ。
ジュリアンはよく、「母の助けになりたい」という言葉を口にする。優しい警察官だった父を失った後、母親がどれだけ苦労してきたか、よくわかっているからだろう。端から見れば、子どもたちに十分な食事を与えられない母親は、いい親とは言えないかもしれないが、ジュリアンにとっては、「尊敬する」母親だった。少女は、父親と暮らした時代とその後の生活のギャップに一番苦しんでいるのは母親だと理解していた。その苦難を、自分たちを支えながら乗り越えようとしてきたことに、感謝の念を抱いているようだった。