6月23日、沖縄慰霊の日。沖縄は暑かった。支度をしてモノレールの駅へ向かい、県庁前まで。県庁から無料のシャトルバスに乗り平和祈念公園へ。途中列をつくり、歩いている人たちがたくさんいた。公園へ向かっていた。公園へ着き、小腹が空いたので食堂で沖縄そばを食べる。暑いので麦わら帽子を買う。少し小さかったかもしれない。
式典まで時間があったので資料館へ。空は青く、海も青かった。平和の礎(いしじ)という沖縄戦で亡くなった方の名前が刻まれた石碑の間を歩く。外国の方の名前もたくさんある。資料館で展示を見ていると、80代くらいの男性が、小学生くらいの女の子に強く何かを語りかけていた。女の子は何度か頷き、父親の方へ小走りで向かった。次にその男性は自分に向かって、何か強く語った。展示の仕方がよくない、こんなことでは伝わらない、そんなことを言った。こんなもんではない、こんなものではない、そう言った。
式典の時間が来たので会場へと向かった。大きなテントの中に入れそうだったが、外で聞くことにした。玉城デニー知事が喋り出すとぴゅーと口笛が鳴った。最後に沖縄の言葉で締めくくると、大きな拍手、そして口笛が鳴った。その後岸田総理が喋り出すと、どこからか男性が叫んだ。もっと沖縄のこと考えてやれよ、そう言ったのか、ざざーっと警察がその男性を取り囲んだ。野次馬根性を発揮して自分もその男性の方へ駆け寄った。ただ興味があったのだ。その男性の表情、歌心みたいなものが見たくなった。どういう熱情を発しているのか。駆け寄ると、その男性は冷静だった。取り囲んだ警察をゆっくり諭すと、今度は複数の取材カメラ、アナウンサーの質問に応えた。だれも何も言わなかったら黙殺されちゃうでしょ、見過ごされちゃうでしょ、そんなことを言っていた気がする。
式が終わり、ゆっくり海の方へと向かった。式典に参加した人たちはバスや車で帰っていったが、式とは関係なく、続々と公園へ人は集まり、平和の礎の前でご飯を食べたり、花を手向けたり、それぞれ大切な時間を過ごしているように感じた。広場では音響のセッティングをしていて、これからコンサートが開かれるようだった。音響のチェック、軽くリハーサルのようなことをしていたので、座って眺めていた。キーボードを演奏しながら歌う人と、三線で歌う人のセッションがあり、そのリハを聴いて、ウッと胸を突かれてしまった。なんていい歌なのだろう。夏の空、夏の海、空に吸い込まれていく歌声。風景と歌と歴史、詳しいことはわからないけど、思いを馳せる、祈る、そのような感情が音楽に乗って風に流れていくようだった。このコンサートは見たい。時間を確認すると、帰りのバスをずらせば見られる。見ていくことにした。
この平和ミニコンサートは主催者が資料館の館長に話を持ちかけて実現したものだと、MCで喋っていた。さっきリハで歌っていたシンガーが主催者で、本番も素晴らしく、その場でCDを購入した。いつかこういう場所でも響く歌を作れたら、と思ったが、無理なような気もした。自分の歌は適当すぎる。
陽がゆっくり傾いてきて広場の中央にある「平和の火」が目立ってきた。帰りの無料バスはとっくになくなっていて、通常の路線バスまでだいぶ時間があった。この日くらいは遅くまで臨時のバスを出せばいいのに、と思った。県外から来る人はあまり想定に入れていないのかもしれない。もうすっかり夜の帷(とばり)が下りてきて、広場に設置された装置から、強烈な光線が空に向かって伸び始めた。さらに平和の礎の方では、なにやら強い明かりも見える。その方へ行くと、たくさんの照明が焚かれ、大勢のスタッフが動き回っていた。テレビカメラが動くレールも敷かれ、腕章にはよく知ったニュース番組の名前が書かれていた。入念にカメラチェック。さあ本番まで時間がないぞ。ディレクターらしき人の声がかかる。