店の暖簾をくぐると、いらっしゃい、と元気な女性の声。飲み物を運んでいた。5、6席あるカウンターの端に、常連らしき男性が1人座っていた。奥には座敷、手前にはテーブル席もある。奥が少しガヤガヤしていて、グループ客か家族連れがいたのだろうか。
常連さんから2つ椅子を空けて、カウンター席に座った。荷物を隣の椅子に置くと、ふうっと息が漏れた。墓からけっこうな距離を歩いたのだろう。母方の代々の墓。自分のルーツの半分が、この町にある。そんな感慨を携えながら、田舎道を歩いた。
母は自分が小さい頃から、この町のことを「早く出て行きたかった場所」として紹介した。しかし、今歩いてきた田舎道は、とても夕陽が美しく、秋になりかけている盆地の風景は、しみじみと胸に沁み入った。家が貧しかったこと、高度経済成長で派手に見えた東京への憧れ、長女としての自立心、など、勝手な憶測だが、田舎を出たい、という気持ちには様々な理由があっただろう。1杯目のビールを飲み終えると「会津の日本酒飲み比べ」セットを頼んだ。
3種類の酒を飲み比べた。会津娘という酒が特に美味しく、好みだった。会津娘か、とつぶやいても、カウンターの常連客にはとどかない、そのくらい小さな声で、まだ感慨に耽っていた。
店の戸が開いて男が1人入ってきた。お店の女性に何かを渡した。えーありがとう、と元気な声。自分も程よく酔ってきたので、その輪に入ろうと、首をぐるっと回し、何々? という顔をしたが、入れなかった。どうも調子が出てこない。静かに酒を飲み続けた。
切り替えて、明日のライブのことを考えようと、紙を取り出し何か書き始めたが、カウンターの常連客が何かの拍子で、声をかけてくれた。逃さず繋ぎ止めた。どんなタイミングだったか思い出せないが、明日喜多方で用があって、と返した気がする。ということは、どこから来たの、と聞かれたのか。その常連はおすすめの喜多方ラーメンの店を教えてくれた。さらに元気な女性店員が、キノコ食べれます? と聞いてきた。食べれる食べれる大好きです、という気持ちを抑え、キノコ好きですね、と答えた。どうやらさっき入ってきた知り合いの男性が、キノコが大量に採れたと持ってきてくれたらしい。お裾分けです、と天ぷらにして出してくれた。もうこの店では居場所がないと思っていたが、気づいたら居心地がよくなっていた。
何杯か飲み、店を後にした。ずっとそこにいても良かったが、ここに来る道すがら、1軒だけ気になった店があったのだ。そこへ向かうと、よかった、まだ灯りがついていた。店に続く細い路地は街灯がほとんどなく、ガラケーのライトを点灯させて、足元を照らしながら歩いた。店の前まで来ると、少し、雰囲気が、怖い。まあ殺されることはないだろう、と戸を開けた。
店には2時間ほど、いた。その店で重要なことに気がついた。この町がどういう町だったかということ。自分の血にどういう騒ぎがあるのか、ということ。半分は憶測なのかもしれないが。ゆっくり酒を流し込みながら、店の人の話を聞きながら、力が静かに湧いてくるのを感じた。俺は流れ者なのだ。
店の人の写真を撮らせてもらい、良い時間だったと感謝を伝え、店を出た。もう宿に戻ろう。明日はライブ。と思ったが、目の前にスナックの灯り。1杯だけ、と入った。
常連のおじさんと、ママもカウンターに。邪魔したなと思った。おじさんはカラオケを歌っていた。加賀まりこのような目をしたママだった。瓶ビールを頼み、つまみのスナックをポリポリ食べながら、おじさんのカラオケを聴いた。ママもつづけて歌った。桂銀淑を歌った。知らない歌だったが、いい歌詞だなと思った。スナックで聴く歌は、歌詞が3割増し、いや5割増しで、響く。私も飲んでいいかしら。ママが言った。どうぞどうぞ。そっとお会計をして、店を後にした。
翌朝、喜多方のライブを企画してくれた若者2人が、宿まで迎えにきてくれることになっていた。それまで時間があったので、珈琲屋を探すことにした。ネット契約してないガラケーなので検索できない。周辺を歩くことにしたが、大通り沿いで、駅も離れていて、探すのが難しそうだ。いや、直感で、茶店はないだろうと思った。しばらく国道沿いを歩いたが、歩ける距離には、看板は見当たらない。チェーン系の珈琲屋もないだろう。そこで閃いた。スーパーだ。スーパーマーケットによくある、飲食スペース。でかいスーパーはあった。そこに入っていくと、あった。しかも珈琲の自販機まである。よっしゃ、と声を出した。さっそく地元にしかなさそうなパンをレジで買って、珈琲マシンで珈琲を買う。これで簡易喫茶店の出来上がりだ。ノートを広げて昨日のことを少し書く。窓の外を眺める。珈琲を飲む。パンをかじる。いつもこの繰り返しだけど、目の前の風景は違う。周りにいる人たちも違う。あっという間に時間は過ぎ、宿に戻ると迎えの車はすでに来ていた。
宿の人に預けておいたギターとスーツケースを受け取る。もうお迎えは来ましたか、そう聞いてくれた。はい、無事に、そう返す。このやり取りだけだが、そのおねえさんの顔はしっかり覚えている。ほんとはこの人ともう少し込み入った話をしたかった。そういうのはありなんだろうか。旅よ。教えてくれ。
ギターと荷物をトランクに入れ、喜多方まで車で連れてってもらう。あっという間に着いてしまう。街の雰囲気はガラッと変わった。会場はお洒落で広々としていた。建物は昔、制服を作る工場だったらしい。主催の1人、Fさんのお祖父さんがその会社を営んでいたとのこと。2階に上がると、まだ制服を作っていた工場の名残があった。さらに屋上に案内してもらうと、喜多方の街がぐるっと一望できた。ああいい街だなあと思った。