店を出ると雪は積もっていた。タクシーで宿まで戻った。
冬の盛岡
翌朝、ホテルを出ると風が冷たい。二日酔いにはありがたい、冷たさ。熱が頭のほうに昇りやすい体質なので、顔を冷やさなくて済む。宿の近くを川が流れている。しばらく眺める。昨日降った雪がある。光がさす。幸福感に包まれる。呼んでもらい、ライブをし、金をもらい、旅の、風景の中に放り出される。個、男一点。雪景色。歌でも詠んでみたくなるのは、宮沢賢治や、啄木が生まれた地、育った場所だからだろうか。しばらく冬の盛岡を歩くことにした。
コーヒー屋を探しながら、城跡の周りを歩く。池を覗くと、水は凍っていた。歩けば体も温まり、服も脱ぎたくなるだろうと、インナーを宿に預けた荷物に入れてきてしまったが、体は冷たくなる一方だった。少し困った。どこかで買おうかと思った。そのギリギリのところで、蕎麦屋の暖簾が見えた。朝食も、朝のコーヒーもまだだったが、温かい蕎麦を食べようと決めた。暖簾をくぐると、ストーブが置いてあり、暖かい。さっき通り過ぎた盛岡じゃじゃ麺の店は行列が出来ていたが、蕎麦屋は空いていた。まだ昼前ということもあり、店の始まったばかりの澄んだ空気と、冬の寒さ、ストーブが心地よかった。温かい蕎麦を頼んだ。この蕎麦が沁みた。体の先まで熱い出汁が届いていくようだった。体は十分に温まった。
店を出て歩く。結局コーヒーは飲まず、石垣の近くまで行き、ぼーっとそれを眺めていた。地元の学生らしき人たちや、海外からの旅行者。誰かが作った雪だるまがあり、旅行者の2人はそれを写真に収めていた。その光景に微笑みかけたが、微笑みは旅行者に届かず、宙に浮いた。まっさらな雪が一面に広がっていたので、すくって丸めて誰もいないところに投げたり。暇なんだろうなと思った。自分は。
一部始終を見ていた、雪だるま
またのそのそ歩いて、川沿いへ。蔦に覆われたコーヒー屋があり、入った。曇っていたが、ようやく雲間から陽がこぼれはじめた。窓から外を眺めた。川が光を反射させていた。
店を出る前、店主と二、三会話をし、少し街との距離が縮まる。外へ出るとさらに陽は出ていた。もう少しだけ歩いたら帰ろう。別のコーヒー屋を見つけたが満席で入れず豆だけ買う。さらにもう一軒見つけたがまた満席。豆だけ買う。日曜の昼下がり、街に人は出ていた。そろそろ帰るか。歩いていると小さな子供を連れた父親とすれ違った。しばらく2人の後ろ姿を眺めていた。雪と幼子、父親。絵になるなと思った。
宿に戻る途中、また古い洋館があった。もりおか啄木・賢治青春館という建物だった。中に入り少し見学した。こういうものが街中にあると、俺も、という気持ちになる。俺も何なのだ、書きたくなるのか? 何を、歌を?