翌朝、体調は少し戻っていた。チェックアウトすると宿のすぐそばにパン屋があった。電車の時間を考えると喫茶店を探す余裕はない。こういう時はパンやおにぎりを買って車内でモーニングだ。これを「車窓喫茶」と呼んでいる。勝手に。パン屋は惣菜パンが山ほどあり、夢のようだった。そんなに沢山は食べられないので、厳選して買い、あとはあまり見かけないパッケージのパックの牛乳を買った。
牛乳は駅のホームで飲み、車内ではコーヒーを飲んだ。車窓には秋の岡山の風景が広がっていた。井原鉄道。驚いたのが、柿の木の大きさ。その大きな木に、これでもかと真っ赤な柿の実がぶらさがっていた。知らない街の風景を眺めながら、惣菜パンを頬張る。コーヒーを飲む。車窓喫茶の贅沢を超えるものはなかなかない。子供の頃は乗り物酔いがひどかったので、移動するのが億劫だった。バスや電車、なかなか好きになれなかった。しかし大人になって、いつからか、平気になった。それは「旅」という言葉を知ったからかもしれない。きっかけは沢木耕太郎の『深夜特急』か。あるいは星野道夫の『旅をする木』か。それとも、原付バイクの免許を取ってからか。自分の存在が重くなり始めて、どうにもならなくなった時、「旅」という言葉、存在は自分を救ってくれたように思う。まあ今でも長距離の時は酔い止め薬を飲むのだが……。これはお守りのようなものだ。
そういえば初めての一人旅は、原付旅だった。高校卒業あたりに、どこかへ旅したような記憶がある。それは現実逃避だった。あの頃、旅は逃避だった。今はどうだろう。今もそう変わりはないのかもしれない。旅先で出会う人たち、お店は日常の中にあるが、こちらからすれば、旅の者からすれば、夢の中のようでもある。あの大将も、カウンターにいた女性も、あのお店自体も、ふわっと夢の中のように。
自転車で夜の総社を彷徨っていた時、月だけがじっとこちらを見ているような感覚になった。あっちに行ってもこっちに行っても、店にありつくことができず、月がずっと、それを見ていた。あくせくしている自分を見られていると思うと、なんだか恥ずかしかった。そんな風に月に対して、思ったことは今までなかった。
ライブは葡萄畑に囲まれた場所で、行われた。
月だけがじっとこちらを見ていた