「大学入試に有利なので、東京オリンピックのボランティアに参加します」と高校生が言ったら、皆さんはどう感じますか?
2019年の秋から「大学入学共通テスト」問題に関わるようになって、私は現役の高校教員や生徒、保護者の皆さんと接する機会が増えました。そこで教育現場で恐ろしい事態が進行していることを知りました。それが「eポートフォリオ」です。
ポートフォリオ(portfolio : 英)とは、“書類を運ぶためのファイルケース”のこと。生徒の学習・行動履歴や表彰歴などを紙書類に記録したものが「学習ポートフォリオ」で、これを電子データ化したのがeポートフォリオです。
生徒がパソコンやスマートフォンを使って、学校内外の活動記録をインターネット上のサイトに書き込みます。記録される内容は探究活動、生徒会活動、留学、部活動、表彰歴、資格・検定結果、学校行事などです。成果だけでなく、生徒が感じた教訓を書き込めるほか、文章に加えて写真や図表、動画、音声も記録できます。記録は教員と共有され、進学や就職、個々の指導に活用されます。
文部科学省は21年度から始まる大学入試改革で、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」と共に、「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ姿勢」を総合評価するよう大学に求めています。そのため、今後は主体性評価の資料となる学びの活動記録の提出を求める大学が増える可能性が高くなります。
これまでも推薦入試やAO入試 では、調査書と面接で主体性を評価していましたが、一般入試では受験人数の関係で実施に限界があります。それを解決するのがeポートフォリオであると宣伝されています。
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現役高校生の皆さんは、このeポートフォリオをどう捉えるでしょうか? 私がすぐに連想したのは、中学校の「内申書」です。受験生一人ひとりの中学校での成績や学校生活をまとめたものが内申書で、中学校の先生が作成して受験する高校に提出します。
内申書の「各教科の学習の記録」の欄に記載される、5段階の評定をもとに算出される点数が「内申点」になります。入試における内申点の扱いは、都道府県によって異なりますが、学力検査点と内申点の両方で選抜される入試では、できるだけ高い内申点を取っておくことが有利になります。内申書には、各教科の成績以外に「特別活動の記録」や「生活態度の記録」など「個人の性格や行動の記録」の項目もあります。
私も東京都で公立高校を受験しましたから、内申書の重要性は経験しています。中学生の時は比較的優等生で、内申点は良かったと思います。でも一方で、上級生になって受験が近付くにつれ急に学校での生活態度が良くなったり、生徒会活動に熱心になったりするクラスメイトが周囲に登場した時などには、「自分は内申書など関係なく主体的に取り組んできたのに、あの人たちと一緒にされたくない」と苦々しい思いを抱いていました。
高校に入学してからは、自由な校風だったこともあって、自らの受けた中学校教育は校則で生徒を縛る「管理教育」であると、批判的な視点を持つことができるようになりました。現世田谷区長の保坂展人氏が、中学生時代に学生運動を行ったことにより高校受験の際に内申書の「基本的な生活習慣」「公共心」「自省心」の欄にC評価(3段階の最下位)を付けられて、受験した全ての高校で不合格となった「麹町中学校内申書事件」のことも知り、内申書が思想統制や学習権の侵害をもたらすという危険性も認識するようになりました。
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「麹町中学校内申書事件」は保坂氏が原告となって行政訴訟を起こしたことにより、内申書による「生徒管理」が大きな社会問題に発展しました(1988年に最高裁判決で敗訴)。しかし80年代後半以降になると、新たな生徒管理の手法が登場しました。
それは89年の学習指導要領で登場した「新しい学力観」です。これまでの「知識・理解」を中心とした学力観に対して、生徒の「関心・意欲・態度」を重視するという考え方です。「知識・理解」中心の評価が画一的な教育を生み出してきたことから、個性や多様性を尊重すべきだと主張されました。
本当に「関心・意欲・態度」を重視する新しい学力観は、生徒の個性や多様性を尊重することになるでしょうか? 「関心・意欲・態度」が通知表の項目に入れば、それらは他人との比較で評価されることになります。比較して評価するためには、共通のものさしが必要となります。ということは、「望ましい関心・意欲・態度」の基準というものが設定され、それに近ければ高い評価、遠ければ低い評価となります。
これは「関心・意欲・態度」を、一元的な基準で序列化することに他なりません。個性や多様性を尊重するためと言いながら、考えようによっては個性や多様性はむしろ失われることになるのです。
eポートフォリオは、この問題を更に深刻化させます。「主体性」を評価するということは、それを一元的な基準で序列化することにつながります。「望ましい主体性」の基準が設定され、そこへ近付けば高い評価、そこから遠ざかれば低い評価となります。
個々人が主体性を発揮することは、多様性をもたらす価値がありますが、評価されることによって逆に一元化が進むことになります。そもそも高い評価を得るために発揮する「主体性」は極めて従属的であり、本来の意味での主体性とはほど遠いと言えないでしょうか。
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eポートフォリオには、従来の内申書以上に学校生活での多面的な活動が記載され、電子データとして蓄積されます。高校3年間の全学生生活が、「主体性を評価する」という大義名分 の下に監視されてしまう危険性があります。学内には失敗を許さない雰囲気が広がるでしょう。これは多くの生徒にとって、息の詰まる状況です。
また、eポートフォリオは「やり直し」を困難にするシステムでもあります。
私は高校時代の一時期、読書や映画に熱中したことで勉強から離れてしまい、成績も悪くなりました。高校卒業時の成績はひどかったと思います。しかし、その後は何とか勉強への関心を取り戻して、希望の大学に進学することができました。
皆さんの中にも、高校2年生まではサボっていたけれど3年生から追い込んで勉強した人や、高校時代はあまり勉強しなかったけれど、浪人してから気分一新して頑張った人がいると思います。しかしeポートフォリオが普及すれば、高校生活の一時期の成績不振や失敗がいつまでもまとわりつき、こうした「やり直し」や「敗者復活」は難しくなります。
大人と違って、ある程度の「失敗」や「間違い」が許されるのが、若者の重要な「特権」であると思います。失敗や間違いの経験を深く見つめれば、そこから学べることはたくさんあります。その貴重な機会を奪うことは、若者にとっても社会全体にとっても大きな損失です。
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今年――2020年は東京オリンピックが開催されます。オリンピックでは多くのボランティア募集が行われています。受験を控えた高校2年生が、冒頭に述べたように「大学入試に有利なので、東京オリンピックのボランティアに参加します」と発言する可能性は十分にあるのです。
ボランティアとは、あくまで自発的で利他的な行為であることが重要です。なので「入試で有利だから」となった途端に、自ら進んで公共奉仕を行うといった理念が色あせてしまいます。