厚生労働省が行った「令和3年度全国ひとり親世帯等調査結果報告」によれば、母子世帯の2020年の母親のみの平均年間収入は272万円(平均年間就労収入は236万円)、世帯全体の平均年間収入(平均世帯人員3.18人)は373万円となっています。そこで、修学支援制度の支援対象を4人家族水準で年収600万円あたりまで拡大できれば、シングルマザーたちが就労を抑える状況も大きく減少することになるでしょう。赤石氏は、今回の提言が「高等教育機会の平等」や「教育を受ける権利」の達成だけでなく、ひとり親世帯の生活改善にもつながることを気づかせてくれました。
さらに若者の学びや、生きるうえでの困難を軽減する可能性を示唆したのが、杉田氏の意見でした。同氏は現在の教育費の私費負担(=親負担)の重さにより、若者たちの学びや生き方が「親の状況に縛られる事態」を生み出していることを問題視しました。「親が責任を取る」ことで、大学で学ぶ学生/若者は「大人」と見なされず未熟な存在に置かれていること、それが彼らへの抑圧や孤立を促進しているというのです。教育費負担の軽減を掲げた今回の提言は、「家の事情がどうであれ、若者自身に権利があるのでそれを保障する」という意味でも若者を困難から救う可能性があると言われました。
杉田氏の指摘は、日々大学で学生と接している私にも、とても納得のいくものでした。学生の自律的な判断力や思考力を養うことを目指して教育を実践する中で、「親の状況に縛られる事態」がもたらす困難を何度も痛感したからです。提言は、教育費の「親負担主義」による教育機会の不平等に焦点を当てたものでしたが、杉田氏によってまた一つ深刻な問題を認識することができました。
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2つめの議題とした「受益者負担の論理」をどう変えていったらよいか――についても各パネラーから貴重な意見が出されました。
渡辺氏は、「貧困は自己責任である、という考え方は間違っている」という認識を示したうえで、日本人は「他人にやさしくするということを思い出さなくてはいけない」と発言されました。
昨今、多くの日本人は「自分たちはやさしい」という意識をもっています。しかしイギリスのチャリティー団体「Charities Aid Foundation(CAF)」が、人助け、寄付、ボランティアの項目評価を国別にまとめた「世界寄付指数(World Giving Index)」の18年調査において、「他人を助けたか」の項目で日本は144カ国中142位、つまり日本社会が「見知らぬ他人にやさしくない」ということを示す調査結果が出ていることを指摘しました。
「他人にやさしくする」のではなく、むしろ「自分が損をしても他人が得することを阻止したい」とするスパイト行動が日本社会で広がっていることが、「受益者負担の論理」を支えていること、そしてそれが実際には一人ひとりの権利を後退させていると渡辺氏は意見していました。そうしてフランスの「黄色いベスト運動(ジレ・ジョーヌ 18年から始まった政府への集団抗議運動)」が結果として地域全体の最低賃金を上昇させた例を挙げ、「コミュニティの利益を最大化することが、コミュニティ全員の利益を最大化する」という視点に立つことの重要性を投げかけました。
渡辺氏の言う「やさしさ」とは、個人の心情レベルにとどまらず、個人の権利を支える「社会的連帯」を意味していると思われます。「他人にやさしくするということを思い出さなくてはいけない」という一見シンプルな発言の中に、「自己責任論」が蔓延(まんえん)している現代日本社会に対する深い洞察が含まれていると私は思いました。
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室橋氏は「受益者負担の論理」を乗り越える手がかりとして、人権への理解や人権教育の重要性を指摘されました。日本では「少子化で困っているから子育てサービスの充実を」という議論が頻繁に登場します。ですがヨーロッパ社会ではそうした議論は全くなく、何よりもまず「幸福に生きる権利」として「教育を受ける権利」があり、個人の自己決定権を拡張するために公教育が存在するということが人々に強く意識されているとのことでした。そして、人権への理解を深め、人権教育を広めていくことが、「受益者負担の論理」を変えていく原動力になり得ると主張されました。
功利主義や能力主義の論理で語られがちな高等教育の議論に対して、「人権」を正面から掲げる批判の重要性をあらためて認識させられる室橋氏の発言でした。
このシンポジウムでは、提言作成に関与した私にも見えていなかった重要な意義を、4人のパネラーとの議論から新たに認識することができました。また、提言を実現するにあたり最も大きな壁である「受益者負担の論理」についても、それを突破する重要なヒントを得ることができました。今後の活動にぜひ生かしていきたいと思います。
「若者の未来への展望」を切り開くための熱い討論が行われた『高等教育費の漸進的無償化と負担軽減を考えるシンポジウム』(ろうふくTV)は、YouTubeのアーカイブ配信で視聴可能なので、興味のある人はぜひご覧ください。