学生たちの動きは、政治にも大きな影響を与えました。立憲民主党、国民民主党、日本共産党、社会民主党の野党4党は、授業料の半額免除(実施した大学には免除分を国が負担)という普遍主義的要求を柱とする「コロナ困窮学生等支援法案」を衆議院に提出しました。この法案は成立しませんでしたが、政府・与党は選別主義に基づく「学生支援緊急給付金」を創設し、学生生活の継続に支障をきたす学生などを対象に、住民税非課税世帯の学生には20万円、それ以外の世帯で支給対象となる学生には10万円の現金給付を行うこととなりました。
◆◆
これほど多くの学生が、学費について声を上げたのは1980年代以来のことです。では30年以上もの長い間、行われてこなかった学費への抗議活動が大きく広がったのはなぜか? アルバイト減少によって大学生の経済的困窮が深刻化したことに加え、社会意識の変化と大学生の行動変容を挙げることができると思います。
90年代以降の雇用の劣化によって、若年層の貧困化は着実に進みました。しかし若年層の貧困化は、社会問題としてすぐには共有されませんでした。そこには生活のリアリティについての世代間の深い「断層」と新自由主義グローバリズムを支える強固な「自己責任論」というイデオロギーが影響しています。
若者自身から「苦しい」「助けてほしい」という声が、なかなか聞こえてこなかったことも年長世代の理解を妨げました。若者たちが自らの「生きづらさ」を率直に表明することが難しい状況が社会的につくりだされており、年長世代もそれに加担してきた面があります。例えば若年非正規雇用労働者を指す「フリーター」という言葉は、一時期、自分の夢を追うだけで現実を見ない未熟な若者という意味で使用されました。また失業状態で求職活動もしていない非労働力の若者を指す「ニート」という言葉も、「働く意思がない」=「無気力な若者」というレッテル貼りの機能を果たしてきました。これらの根拠のない若者バッシングは、若年層の就業困難という社会問題を、若者の自己責任であるかのように偽装する役割を果たしました。
◆◆
こうした状況の打開を目指したのが、2000年代以降の社会運動です。野宿者支援や「年越し派遣村」などの反貧困運動、そして10年代以降の奨学金返済やブラックバイトの社会問題化は「若年層の貧困」を可視化し、年長世代にそれまで根強かった「豊かな社会の若者」という幻想を打ち砕きました。またこれらの社会運動は、「貧困は自己責任」という見方への批判を意識的に遂行し、貧困を社会や政治の問題へと位置づけることに一定程度成功しました。
新自由主義グローバリズムによる攻撃を受けていた若者自身の模索も行われました。1990年代後半以降も流され続けた「より豊かな生活をするためには他人との競争に勝ち抜け」というメッセージを、彼らは従順には受け取りませんでした。若者の多くは車、旅行、スキー、飲酒などに金を使わず、むしろ消費のミニマリズム(最小限主義)へと向かいました。
この変化を、年長世代は「夢がない」とか「経済を活性化させない」と捉えがちでしたが、これらは経済的困窮状態に置かれた中での彼らの現実的対応であり、消費欲求を操作することによって競争へと駆り立てようとする社会への抵抗や拒絶をも意味しています。高い望みをもたず、「仕事や生活を普通の状態に保ちたい」という若年層の振る舞いは、新自由主義グローバリズムがもたらす競争や格差に長期間さらされてきた彼らにとって、長い模索の上で選択された現実的防御策でした。
◆◆
2020年の新型コロナ禍による学費減額運動は、近年の社会運動の影響を受けると同時に、こうした一見保守的に見える若年層の現実的防御策が、社会批判へと転化したことを意味しています。「学生の貧困」はすでに可視化されており、パンデミックに巻き込まれた学生たちの多くは、アルバイトで学費を支払っている周囲の学生の窮状をすぐに想像することができました。「自分たちの学生生活を普通の状態に保ちたい」という現実的防御策は、学費に苦しむ友人を置き去りにすることなく、「一律学費半額」という普遍主義的要求を掲げる社会運動へと発展することとなりました。新型コロナは多くの大学生を困窮に追い込みましたが、大学生が自らの「生きづらさ」を、学生同士のつながりに基づく社会運動によって乗り越えようとしたことは、大きな可能性を示しました。
24年現在の国立大学「学費値上げ」反対運動を担っている学生の多くは、20年の学費減額運動の時とは別の学生でしょう。しかし、この敏速な運動の広がりは、20年の学費減額運動の経験が継承されていることを示していると私は思います。前回、運動を引き起こした要因は新型コロナでしたが、今回は円安による物価高・インフレの継続によって、実質賃金が24年4月まで25カ月連続マイナスとなるという厳しい「生活苦」が背景にあります。学生たちの多くは、自身と家族の生活基盤そのものが大きく揺らいでいることをパンデミックの時以上に意識せざるを得ない状況にあります。
◆◆
さらに24年の学費値上げ反対運動には、20年とは異なる新たな動きが加わりました。学生たちの運動を積極的に支援する国立大学教員が多数登場してきたことです。1960年代後半~70年代の学生運動が、「大学解体」を唱えて大学教員と鋭く対立したのとは大きな違いです。本田由紀さん(東京大学大学院教授・教育社会学)、隠岐さや香さん(東京大学大学院教授・科学史)、駒込武さん(京都大学大学院教授・教育史)など著名な研究者らが学生たちの運動を支援し、積極的に発言しています。
国立大学は2004年に法人化されて以降、人件費や光熱費などにあてる運営費交付金が20年間で1631億円(13%)も削減されました。地方の国立大学は存続さえ危ぶまれる経営困難に直面し、最低限の研究費すら確保できない状況が広がっています。資金獲得が優先され、教育や研究のための時間も減少しました。また教授会の自治は縮小し、トップダウンの意思決定システムが構築されることで、「学問の自由」や「大学の自治」が危機に瀕しています。
学費に苦しんでいる学生と同じように、国立大学教員も予算減少によって苦しんでいるのです。こうした「苦難の共有」が、国立大学の学生と教員との間に新たな「連帯」を生み出しつつあるように思います。
国立大学の学費値上げをめぐる攻防は、新自由主義グローバリズムによって「格差と貧困」を深刻化させてきた現代日本社会の縮図です。社会の変容の中で切り捨てられ続けてきた「地方」「学生」「大学教員」が、苦境の中から声を上げ始めています。これらの声をつなげ広げていくことが、深刻化する「格差と貧困」を是正し、新たな社会をつくっていく重要なきっかけとなると思います。
当然、私立大学に勤務する私にとっても無関係の問題ではありません。奨学金やブラックバイトなど、「学生・若者の貧困」に向かい合うことで得てきた知見を活かして、学費値上げに反対する声を私も広げていきたいと思います。