この2つの事例は、奨学金返済を親や祖父母が行っている具体例です。前掲の事例は、私の勤務先だった中京大学に届いた手紙の内容で、印象深く覚えています。孫の奨学金を年金で払い始めたものの返済に20年かかるため、残り19年間生き続けることができるかどうか不安だという訴えでした。この方は手紙の最後に「先生何とかしてください」と書かれていました。奨学金を借りている本人ではなく、両親でもなく、祖父母がすべての返済を行っている事実に当初は驚きました。しかし、奨学金制度改善の運動を開始してからしばらくたつと、そうした事例は決して少なくないことが分かりました。
後掲の事例は、奨学金運動が全国へ広まった時期に判明したことです。講演が終わった後に私のところに来て、「実は自分が払っていて……」と何やら恥ずかしそうな素振りで奨学金返済についての相談を持ちかけたり、制度の問題点を訴えたりする、明らかに高齢の方々が多数いらっしゃいました。
【事例】大学等修学支援制度で給付型奨学金を獲得した学生が、親から「お姉さんだって借りた奨学金を親に渡したのだから、弟のお前も渡しなさい」と強く迫られる。その結果、学生がメンタルを病んで、大学に通うことが困難となる。
これは「高等教育の修学支援新制度」に関連して発生した事例です。支援対象となった学生は返済不要の給付型奨学金が受けられますが、親がその一部を取り上げるべく強い圧をかけていたことが分かりました。上の子の時代から続いていることを考えれば、親が子どもの奨学金を融通するのを「当然視」していることがうかがえます。
この学生は「自分を支援対象とする奨学金なのだから自分で利用したい」と考えて抵抗したのですが、親からの圧力が原因でメンタルを病んでしまい、大学に通えなくなってしまいました。学生の進学や学業を支援するための奨学金が、全く正反対の機能を果たしてしまっていることに暗たんたる気持ちを抱きました。
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これらの事例から見えてくるのは、奨学金が学生本人に限られた問題ではなく、家族と深く結びついているという実態です。
奨学金利用率が上昇した時に、このことを教育費の「親負担主義」の揺らぎ、そして転換を意味するのではないかという見方がありました。それまでは子どもの学費を親が支払うことが教育費の「親負担主義」の基盤であり、奨学金利用率の上昇は、親が学費を支払うことが困難となったことを意味するからです。
しかし、奨学金利用率の上昇は教育費の「親負担主義」の揺らぎを示したものの、その転換には至りませんでした。奨学金を利用する際の決定権は依然として親にあり、返済についても親や祖父母が関与していることが多いからです。教育費の「親負担主義」は揺らいだものの、「親+祖父母」による教育費の「家族主義」は維持されたと見ることができるでしょう。
こうした「家族主義」の事例を紹介すると、年長世代の皆さんは「最近の大学生はそんなに親に縛られているのか」と驚かれます。一方で、「なぜそんなに親に従うのか」とか「そんなに縛られるのだったら家から出ればいいのに」と、若者の「自立心の弱さ」を批判する意見を出されることも多いです。
ですが、それは若者の現状から考えると的を外しています。1950~60年代であれば中卒就職、70~80年代までは高卒就職でも実家から出て経済的に自立することが容易だった年長世代と比べて、現在は大卒就職でも所得低下と住宅費高騰により、実家から出て経済的自立をすることがとても困難な時代です。若年層の親同居率の上昇は、そのことを如実に示しています。親や祖父母など家族に依存することなしに生活することが困難で、言わば生殺与奪の権を親や家族に握られているのが多くの若者の実態です。そのことを見ずに、若者の自立心の弱さを批判するのは間違っていると思います。
しかも奨学金に見られる「家族主義」は、「若者の依存」のみを示しているのではありません。奨学金を本人の承諾を得ずに使っている親、給付型奨学金を子どもから奪おうとする親の事例からも分かるように、親が子どもを搾取する「経済的DV」も広がっています。卒業後に借金となる貸与型奨学金を返済不要の給付型奨学金へと改善しても、こうした経済的DVがある以上、若者を救うことはできません。私が奨学金制度の改善だけでなく、学費そのものの軽減に取り組むようになったのは、この経済的DVの深刻な実態を知ったからです。
5月17日の私の講演に対して、多くの方から「衝撃を受けた」「家族主義の深刻さを痛感した」という反響がありました。2010年代以降、奨学金問題に取り組む中で見えてきたのは、「家族主義」の根強さと、それが「若者の自立」を阻んでいる実態です。奨学金制度の改善に加えて、「若者の自立」を阻む「家族主義」を問い直すことが私たちに求められていると思います。