外交委員長は首を振りながら言った。
「ヨルダンや日本はアメリカではない」
その夜、日本大使館の前でヨルダン市民による殺害された日本人ジャーナリストへの追悼集会が開かれた。日本から取材に来ていたテレビカメラが何台も並び、その様子は日本でも大きく報道されたが、その集会には過剰な「演出」が含まれていた。
私が知る限り、追悼集会があったのは日本大使館の前だけだ。彼らは大型バスに乗って大使館前に運ばれてきていた。あまりのタイミングのよさに疑問を感じて参加者に聞くと、彼らの多くが政府系組織の要請によって集まっていることを認めた。ヨルダンは日本から多額の支援を受けている。しかし今回、両国の交渉は失敗に終わった。なんとかして両国の友好関係はつなぎとめたい――そんな両政府の意向が見え隠れする。
日本人ジャーナリストの取材が終わり、日本メディアが帰国の途につき始めた2月3日、今度は人質にされていた26歳のヨルダン軍パイロットの殺害映像がISによってインターネットに投稿された。まるでCG(コンピューター・グラフィックス)のように、生きた人間を衆人環視の中で焼き殺す、極めて残虐な映像だった。
ヨルダン軍パイロットの父親が待機している集会場に向かうと、外では1000人を超える市民の怒りが渦のようになっていた。
「殺せ」と誰かが叫ぶと、群衆がそれに呼応するように一斉に叫び始めた。
「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」……。
絶叫が集会場前の路上を覆い尽くしていく。一触即発の状態になったとき、突如、テレビにヨルダン政府が確保していたIS側の死刑囚の死刑が執行されたというニュースが流れた。
すると人々は一気に沈静化し、死刑執行と復讐、ヨルダン政府を支持する掛け声だけが再び路上を伝播していった。
政府による情報操作。
私はあまりに恐ろしくなった。この国では、市民が完全に政府にコントロールされている――。
翌日、ヨルダン軍パイロットの故郷であるカラクに向かうと、午前9時前、殺害後一度も姿を見せていなかったパイロットの父親と会うことができた。カメラマンと2人で単独会見を申し込むと、父親は受け入れ、嗄(しわが)れた声で日本政府と日本人に向かって謝罪した。
「ヨルダン政府が大切な日本人ジャーナリストの命を守れずに申し訳なかった。ヨルダン人として、私も遺族に心から哀悼の意をあらわしたく……」
村の中心に臨時のテントが張られ、すでに村人ら約600人が弔問に詰めかけていた。
追悼礼拝の途中、戦闘機2機が爆音をあげて上空を飛び去っていくのが見えた。
その瞬間、父親は「息子よ、息子よ」と大声を上げてむせび泣いた。
私が知る限り、父親が感情をむき出しにしたのは、そのときが最初で最後だった。
(2015年2月)