突然、スマートフォンの着信音が鳴った。通話ボタンを押すと、朝日新聞のケニア支局に勤務する取材助手のレオンの声が緊張している。
「ケニア東部の大学がテロリストに襲撃された。何十年に一度のテロだ。すぐにケニアに来てほしい」
2015年4月2日、私は南アフリカ・ヨハネスブルクの自宅にいた。テレビのチャンネルをBBCに合わせると、すでに速報が流れ始めていた。
襲われたのはケニア東部の中核都市ガリッサにあるガリッサ大学。イスラム過激派「アルシャバブ」の戦闘員たちが大学の教室や学生寮などを占拠して、学生たちを皆殺しにしている――。
速報の犠牲者数はすぐに40人になり、30分後には100人を超えた。アフリカでの報道は天気予報程度にしかあてにならない。ただ、その情報の混乱ぶりから、現場ではただ事ではないことが起きていることはどうやら事実ようだった。一度起こると、報復を含めて手がつけられなくなる。それがアフリカのテロなのだ。
ガリッサはケニア東部の半砂漠地帯にあり、ナイロビから四輪駆動車で向かっても8時間はかかる。ヨハネスブルクからケニアまでは飛行機で約4時間。どんなに急いでも、現場の到着は今夜未明か翌日の朝になりそうだった。重さが10キロ以上もある防弾チョッキと防弾ヘルメットをスーツケースに押し込んで、空港へと向かうタクシーに飛び乗った。
首都ナイロビから四輪駆動車に乗り、途中の検問で何度も止められながらも、襲撃現場のある中核都市ガリッサに到着したのは午前6時を回っていた。ケニアではキリスト教徒とイスラム教徒の割合が9:1と言われるが、女性の服装を見る限り、現地でのそれは6:4だ。紛争地ソマリアに近いこの町では、これまでにも数百人の市民がテロで犠牲になっており、警備中の兵士に交じって事件の成り行きを見つめる人々の表情には、深い疲労の色が漂っていた。
大学ではすでに襲撃者たちは治安部隊によって射殺されており、救急隊員らの手によって無数の死体が構内から運び出されているところだった。
テロリストたちは最初に警備員を射殺した後、手榴弾で門を破壊し、6棟ある学生寮を襲って約800人の寮生のうち140人余りを殺害したらしかった。学生寮の鉄格子は爆弾のようなもので吹き飛ばされており、コンクリート製の壁には銃撃戦によってできた無数の弾痕が残されていた。
事件を目撃した学生たちは治安当局によって近く競技場に集められていた。場内におけるメディアの取材は禁じられていたため、私は助手のレオンに親族を装って競技場に入ってもらい、話を聞けそうな学生の連絡先を入手してきてもらった。
後日、大学の教育学部で学んでいたという青年に話が聞けた。
当時、青年は200人が暮らす学生寮の2階で就寝していた。午前5時半、寮外で銃声が響き、寮の1階の踊り場から「ソマリアを攻撃するケニアに反撃する」と男の叫び声が聞こえた。
続いて銃声が鳴り響くと、青年はすぐさま自室のベッドの下へと身を隠した。
「最初は誰かがふざけているんだと思った。でも、その後すぐにタタタタタッというカラシニコフ銃の連射音が聞こえたので、寮中がパニックになったんだ」
階下から漏れ聞こえてくる声で、寮生たちが襲撃者たちによって1階の踊り場に集められていることがわかった。彼らは学生たちに「今すぐ携帯電話で家族に連絡しろ。家族に最後のメッセージを言え」と大声で命令していた。襲撃者たちは寮生が家族に電話し、メッセージを発した直後に電話を取り上げ、「これからお前の娘(息子)を殺す」と家族に宣言してから、その場で寮生たちを射殺していた。
ベッドの下から廊下へと這いだし、階段の隙間から1階踊り場をのぞき見ると、覆面姿の男たちが寮生を一列に並ばせ、ナタで順番に首を切り落としているところだった。
青年は首を切られるくらいなら銃で撃たれたほうがましだと思い、同室の友人と非常階段を駆け下りて校門の外へと走った。屋上から銃を乱射する音が立て続けに響き、すぐ後ろを走っていた友人が倒れた。青年は振り向くことなく校門を抜け、近くの茂みの中へと飛び込んだ。
無我夢中で数キロ走り、ようやく競技場に辿り着いたとき、ポケットに入れていたスマートフォンに友人からいくつもの「写真」が送られてきているのに気づいた。
「これです」
青年はそのとき送られてきたという写真をスマートフォン上で私に見せてくれた。学校の教室に十数人の学生が血まみれになって横たわっている写真だった。送信時刻が襲撃の時間とほぼ一致している。
「そのとき現場にいた友人によると、テロリストたちは寮生たちを一度教室に集めた後、『イスラム教徒は外に出ろ』と命令してから、残った寮生に向かって銃を乱射したみたいなんです。射殺後、遺体からスマートフォンを盗み取り、それで写真を撮影して学生のメーリングリストに一斉送信していたと……」
「なんでそんなことを」と私はわけがわからなくなって青年に聞いた。
青年は震えながら言った。
「警察から聞いた話では、ケニア人に恐怖を広く植え付けるためだと……」
ケニア政府はすぐさま「報復」に出た。
ソマリア国境近くに設置されている世界最大の「ダダーブ難民キャンプ」が、大学を襲撃したイスラム過激派「アルシャバブ」の活動拠点となっているとして、キャンプを撤去する方針を打ち出したのである。
ダダーブ難民キャンプには約35万人ものソマリア難民が暮らしている。運営するUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は「非人道的な判断だ」と反発したが、ケニア政府は圧倒的な国内世論を背景に、撤去を推し進めていく姿勢を崩そうとはしない。
35万人もの難民はどこへ行くのか――。
2015年4月下旬、ソマリア国境に近いダダーブ難民キャンプへと向かった。
襲撃事件の起きた中核都市ガリッサから半砂漠地帯を四輪駆動車で約3時間。砂漠地帯に突然、粗末な小屋が立ち並ぶ、広大な敷地が出現した。五つの地区に分かれており、計約50平方キロ。1991年、ソマリア内戦による難民を受け入れるために設置され、当初は9万人に対応する想定だったが、2015年には約35万人にまでふくれあがっていた。
キャンプ内にはソマリア国内からも過激派が容易に行き来できるとされており、米メディアは実際にこれらの抜け道を実証してもいた。取材の申請時にはUNHCRの担当者から指導を受け、取材には安全確保の理由から自動小銃を携帯した2人の警官が同行するという条件を受け入れた。