赤道に近いリベリアの、高温多湿の狭い着替え用テントの中で、2人の医療従事者がもう十数分も、ビニール製の防護服と格闘している。念入りに手や首回りを消毒し、使い捨て用の下着を身につけ、ヘアキャップをかぶる。その上から薄手の防護服をまとい、袖口や足首の隙間からウイルスが侵入しないよう、何重にもテープでふさぐ。長靴を履き、特殊なゴーグルを装着する。準備を完了するまでに約20分。黒い肌には玉のような汗が浮かび、下着はもう汗でぐっしょりと湿って防護服に張りついている。
2015年5月、「エボラ出血熱」の終息宣言が出された直後の西アフリカのリベリアに入った。世界保健機関(WHO)によると、リベリアにおけるこれまでの死者は疑いを含めて約4800人、感染者は約1万人。流行国のうちで最も多くの死者を出したリベリアだったが、WHOは終息の目安としている42日間、新たな感染者が確認されなかった――と報告していた。
もちろん、そんな当局発表を医療従事者たちはほとんど信用していない。アフリカにおおいて「当局発表」ほど信頼できないものはない。ほとんどが虚偽に事実を混ぜたものか、まったくのデタラメか、あるいはその中間かである。
医療施設の事務局長がうんざりしたような表情で言う。
「どうせ、またすぐに発生するさ」
その証拠に、首都モンロビアの医療施設では、エボラ出血熱の治療用テントも消毒薬も撤去していない。医療従事者たちは再感染を恐れて従来通りの「診察」を続けている。
「さあ、仕事だ」と完全防備姿の医療スタッフが患者の待つテントへと向かう。
「今日の感染疑いは何人だ?」
2013年12月、西アフリカのギニアで発生したエボラ出血熱は、すぐさま隣国に拡大し、西アフリカで大流行した。患者の血液などの体液に触れた際、傷口や粘膜などからウイルスが入って広がるその感染症は当時、ワクチンや治療法がまだ確立されておらず、致死率は7割以上とも言われていた。その致死率の高さに加え、発出する症状が身体の各部位からの出血を伴うグロテスクなものであったため、ヨーロッパやアメリカでの感染も報じられると、世界はパニック状態に陥った。
リベリア政府は感染の拡大を防ぐため、2014年7月に国境を封鎖。翌8月には非常事態宣言や夜間外出禁止令を出して抑え込みをはかったが、事態は思うようには改善しなかった。最貧国のリベリアは感染拡大前から医療態勢が極めて貧弱で、人口10万人に対し医師が1人か2人しかいない。当然、満足な医療用の装備も現場には与えられなかった。
保健従事者協会の事務局長、ジョージ・ウィリアムズは苦渋の表情で取材に答えた。
「当初は約8割の医療従事者がマスクや手袋なしで治療にあたりました。商店のポリ袋を手袋代わりにして手術に臨んだ医師や看護師もたくさんいた。感染した医療従事者が次々と入院し、感染患者の治療にあたる特別手当などが支払われずに多くの医療従事者が病院を去ったことで、感染拡大を阻止できなくなってしまった……」
すでに閉鎖されているエボラ出血熱の治療施設を訪ねると、サッカー場ほどの敷地にベニヤ板を貼り合わせただけの簡易な小屋が並び、無造作に医療器具などが投げ捨てられていた。施設に収容された患者は約3500人。そのうち約1500人が亡くなったという。
この施設で患者の診察にあたった医師のジェリー・ブラウンは疲れ果てていた。
「ここに連れてこられてくることは半分、『死』を意味していた。実際、私が診察した約500人の患者のうち約半数が死亡した。我々医師や看護師も常に感染の危険性におびえながら、勇気を奮い立たせて患者と向き合ったが、今はもう心身ともにボロボロだ」
多くの医療従事者が感染し、その後も後遺症に苦しんでいる。救急搬送を担当したフォーディ・ガラハもその一人だ。2014年8月、駆けつけた民家で4歳の男児を抱き上げたとき、防護服の上に激しく嘔吐された。
「その後、防護服をしっかりと着られていなかったことに気づいてね。青ざめたよ。2日後、激しい頭痛と出血などの症状が出て、隔離施設へと送られた。死を覚悟しながら何度も神に祈った。2週間後、奇跡的に快復することができて、なんとか今は職場復帰をしているが、社会からは『一度感染した人は、再び感染を広げるのではないか』と見られていて、本当に悲しいよ」
首都モンロビアで開催された、エボラ出血熱の終息宣言を祝う政府主催の報告集会に出席すると、偶然、取材に来ていた共同通信のアフリカ特派員と一緒になった。狭い体育館のような会場には数千人の市民が押しかけ、主催者の政府要人が「リベリアはエボラに打ち勝った」「ここにいるすべての人がヒーローだ」と称賛するたびに、会場からは大きな拍手がわき起こり、唾液交じりの歓声が飛ぶ。
「念のため、お互いに顔写真を撮っておこうかね」
どちらからともなくそう言い、共同通信のアフリカ特派員と顔写真を撮影し合った。今後、紛争や事故に巻き込まれて死亡したときにはもちろん、万が一、リベリアでエボラの感染が終息しておらず、日本人記者として感染してしまっていたときには、記事に添えるための顔写真が必要になるかもしれない。実際に、知り合いの海外報道機関に勤務するアフリカ特派員が日本に帰国した際、エボラの感染の疑いをかけられて国内で大きなニュースになっていた。
「大丈夫だとは思うけれどね」と軽い冗談のつもりで言ったが、お互いの目は笑っていなかった。
「ま、アフリカでは何が起こるかわからないしな……」
嫌な予感は約1カ月半後に的中する。
終息宣言が出されたはずのリベリアで再びエボラの感染が再確認され、17歳の少年が死亡。同じ村に住む2人が陽性と判断された。
ロイター通信は「当局は動物が感染源となったかどうかを調べている。(中略)付近の住民によると、この3人は死んだ犬を掘り起こし、その肉を食べたという」と報じていた。
(2015年5月)