2015年4月、南アフリカ全土を突如、移民排斥運動(ゼノフォビア)が覆い尽くした。数日間の暴動で少なくとも7人が死亡し、新聞報道などによると8000人以上が住む家を追われた。
かつてアパルトヘイト(人種隔離政策)を「克服」したはずの国でなぜ、移民への憎悪の炎が燃え盛るのか――。
暴動の発端となった南アフリカ東部のダーバンに、ヨハネスブルク支局の取材助手フレディと一緒に車で乗り込んだ。都市人口の3分の1が不法移民とされ、南アフリカでも特に移民の割合が高いエリアだ。
移民地区ではすべての店のシャッターが下ろされ、南アフリカの若者たちが「移民は出ていけ」と叫び、路上でタイヤを燃やして気勢を上げていた。
遠くで2発、銃声が聞こえた。
「写真を撮ったら早めに脱出しよう」
ハンドルを握った取材助手のフレディが言った。
「ここでは誰もが銃を持っている。外国人記者は狙われるかも」
「銃っていくらくらいで買えるの?」
「安い銃なら120ドル(約2万円)くらいかな」
「貧しい若者が120ドルも持っているものなのだろうか?」
「買うんじゃないよ。盗んでくるんだよ」
暴動のきっかけは「王」による演説だった。最大部族ズールー族の王が3月、移民を「シラミ」にたとえた上で、「犯罪率や失業率の高さは国外からの『流入者』が原因だ。南アから出ていけ」と演説したため、これに感化された若者たちが移民の経営する商店を襲って商品を奪い、移民たちの住居に火をつけ始めたのだ。
怒りの底流には、この国の若者たちが抱える社会への圧倒的な不満がある。一般論で言えば、「貧しさ」は必ずしも不幸には直結しない。かつて日本がそうだったように、近所で暮らす人間が一様に同じ生活レベルであるならば、人は貧しさをそれほど「不幸だ」とは感じない。
この国の若者がそれを「不幸」だと感じてしまうのは、そこに「格差」があるからだ。
一度は和解したはずの、白人と黒人の年収差は、約6倍とも約13倍とも言われる。アパルトヘイト時代に貯め込んだ「豊かさ」の違いは歴然で、白人は今でも米ビバリーヒルズで見られるような大豪邸で暮らし、黒人は一部の富裕層を除いてブリキ小屋で夜を明かす。前者はポルシェの四輪駆動車を操り、後者は裸足で高速道路を横切ろうとする。
黒人の多くは満足な教育を今も受けられない。たとえ教育を受けられたとしても、それに見合っただけの満足な仕事に就くことができない。統計上の失業率は24%に過ぎないが、もともと働く気のない、求職自体を諦めてしまった人を含めると、実質的には50%を超えるとも言われる。
そこに南アフリカ国外から「豊かさ」を求めて不法移民が流れ込んで来る。移民たちは南アフリカの若者たちの半分の給料で働く。当然、若者たちは「不法移民が職を奪っている。俺たちが貧しいのは奴らのせいだ」と誤解してしまう。
超えられない格差や不条理。若者たちはそれを暴力で乗り越えようとする。
南アフリカの1年間の殺人事件の発生件数は約1万9000件。1日に約50人が殺されている計算だ。強盗事件は約20万件で、同じく1日に約550件。しかもこれらの統計でさえ、警察が満足に機能していないこの国においては、市民によって報告された「氷山の一角」に過ぎない。
嫌な懸念が脳裏をかすめる。
その4月、私の赴任から半年遅れて家族が南アフリカに移住したとき、日本人学校に通うことになった長女が学校で最初に受けた授業は、バスジャックに対する訓練だった。
通学バスが襲撃されたとき、いかにして我が身を守るか。実際に襲撃者役の教職員が児童たちの乗っているバスを襲い、「絶対に抵抗しない」「顔を伏せたまま相手の顔を見ない」といった実用的な対処方法を教え込む。
「世界最悪の犯罪大国」で暮らすということは、つまりそういうことなのだ。
それは、いくつもの民族がそれぞれの価値観を尊重して一つの国を築き上げる、「レインボーネーション」(虹の国)の設立を謳った、初代大統領ネルソン・マンデラの明らかな「誤算」に違いない。
ダーバンの中心部を抜けて郊外のバスターミナル脇の空き地に設置された臨時の避難施設に向かうと、約8000人の移民たちが四つのテントに避難していた。
「夜中に突然、窓を割られて、銃を持った若者が自宅に乗り込んできたんだ」とモザンビーク出身の男は言った。「命までは取られなかったが、『ここはお前らの国じゃない』と腹を蹴られてテレビや鏡を盗まれたよ」
モザンビークやマラウイなどの近隣諸国は騒動を受けて自国民の救出に乗り出しており、脱出用のバスやトラックが到着する度に、移民たちはバスの屋根の上やトラックの荷台に大量の家財道具を押し込んで座席に乗り込み、この国を脱出していく。
「南アにはもう戻ってこない?」と私はバスの窓越しに、乗り込んだ男に聞いた。
「いや、すぐに戻ってくるさ」と男は予想外に言った。
「モザンビークに比べれば、南アフリカはどう考えたって天国だ。ちゃんと働けば自国よりも10倍は稼げる。暴動もしばらくすれば収まるだろう。俺たちアフリカ南部で暮らす人間にとって、南アはいつまでも『夢の国』なんだ」
(2015年4月)