「町」は、表向きには人種差別に反対しているらしかった。しかし、博物館を出て案内された町の中心部を見下ろす小高い丘に上ると、そこには「アパルトヘイトの建設者」と称される白人の元首相ヘンドリック・フルウールトの銅像が建てられている。現在も黒人やアジア人の居住者はゼロ。町は「拒まない」というが、移住には審査があるという。
「僕らはアパルトヘイトを肯定するつもりなんてないんです」と白人青年は丘の上の銅像の前で言った。「僕たちが訴えていることは『分かれて暮らす』ことなんです。黒人も白人も一緒に暮らすから争い事が起きる。私たちはそう思っています」
「一緒に暮らすから揉め事が起きるだと?」
オラニアでの取材中、ずっと不機嫌そうにしていたフレディが突然、声を荒らげてかみついた。
「舐めたこと言ってんじゃねえよ、このチーズ野郎! そもそもここは誰の土地なんだ?もともと俺たちアフリカ人の土地だろうが。そこにお前らの祖先が侵略してきて、土地を奪い、アフリカ人を奴隷にしたんだ。お前、頭、大丈夫か? 一緒に暮らしてやっているのは、俺たちアフリカ人の方なんだぜ!」
それまで雄弁だった白人青年は次の瞬間、うんざりした表情で頭を振った。
「おわかりでしょう」と私に向かって問いかけた。「どれだけ対話を重ねても、お互いの主張はかみ合わない。だから離れて暮らすべきなんです。それこそがお互いにとって最良な生き方なんですよ」
「南アフリカに来る前からわかっていたことだけれどさ」
私はオラニアからの帰りの車の助手席で、怒り心頭のフレディに語りかけた。
「この国で民族融和が進んでいるなんていうのは、どう見ても誰かが作った『神話』だね。別にオラニアを取材したからそう思ったのではなく、ヨハネスブルクで暮らしていると常にそう感じる。ショッピングセンターでもレストランでも、白人は白人同士、黒人は黒人同士、それぞれが分かれて買い物や食事をしているケースがほとんどだ。職場や会合ではお互いが混じり合っているけれど、プライベートなシーンではあまり見掛けない。初代大統領のネルソン・マンデラはこの国を多民族が混じり合って作る『虹の国』(レインボー・ネーション)にたとえ褒め称えたけれど、あれはやっぱり理想に過ぎなかったのだろうか?」
「いや、蜂(私の呼び名)。それは間違った考え方だよ」
理想主義者のフレディはハンドルを握りながら、強い口調で私の意見を否定した。
「失敗なんかしていない。俺たちはまだ発展途上なんだよ。あの『町』で暮らしている白人たちは完全にイカレているけど、南アフリカ全体でみれば、あくまでもほんの一部だ。白人たちは確かに今は経済的には豊かだけれど、それがこの先何十年も続くことなんてあり得ない。政治の大部分を黒人に握られているからね。だからああやって小さな『町』に逃げこもうとする……。でも一方で、この国をアフリカで最も豊かな国にしたのも、白人なんだ。それは誰もが認めている。俺たち黒人はその白人たちの力を借りながら、将来、この国をアメリカや日本に負けないような国家に成長させていかなきゃならない。幸い、南アフリカには豊富な地下資源がある。だからこそ、多数派の黒人と少数派の白人が手を取り合って、今、この国で生きてるんだよ」
「なるほどね」と私は感心しながら取材助手の名を呼んだ。「その通りだね。俺が完全に間違っていた。うまくいっているかどうかは別として、この国はまだ発展途上なんだね。今もネルソン・マンデラが掲げた理想に向かって進んでいる。でも、ちょっと教えてくれないか。そういう理想や考え方って、この国では誰に教えてもらうんだい?」
「誰って……学校に決まっているだろ」とフレディは苦笑しながら私に言った。「黒人と白人が同じ国でどうやって幸せに生きていくのか。俺たちはそれを最初に学校で習うんだよ」
彼はヨハネスブルクにある国内最大の旧黒人居住区ソウェトの出身だ。居住区内にある高校のフェンスには今も、デモ行進する生徒たちの絵が掲げられている。
1976年6月、アパルトヘイト撤廃のきっかけとなった「ソウェト蜂起」はこの高校から始まった。白人政府が白人の言葉だったアフリカーンス語を黒人の学校にも押しつけようとしたところ、同高の生徒らが反発。デモ行進する生徒らに警察官らが発砲し、500人以上が犠牲者になった。
「俺たち黒人はさ、居住の自由を勝ち取るために、命懸けで戦ってきたんだよ。アパルトヘイトの撤廃を訴えて逮捕されたマンデラは約18年間もケープタウン沖のロベン島の牢獄にぶち込まれた。たとえ肌の色や生活習慣が違っても、俺たちはみんな同じ人間なんだ。それを誰かが都合のいいように区別したり、差別したりしちゃいけない。そんな簡単なことをわかってもらうのに、俺たちは何十年もかかったんだ。日本人の作家はさ、もしかするとその歴史を知らないんじゃないか?」
「いや、知っていると思う」と私は言った。「知っていて発言しているからこそ、僕はその理由が知りたかったんだ」
フレディがアクセルを踏み込むと、車はサバンナに敷かれたアスファルトの一本道を加速した。真正面を見たまま助手席に座る私に、フレディはうんざりしたような表情で問いかけた。
「そんなくだらない理由で、俺をあんなレイシストの町に連れ出すなよ。なあ、蜂、逆に質問していいか? 先進国の日本じゃ一体、学校で子どもたちに何を教えているんだい?」
(2015年2月)