「滞在は30分以内にしてください」
難民の居住区の入り口で担当官にきつく注意された。
「家の隙間から同僚が何度も狙撃されています。最近ではキャンプ内で地雷を踏んで車両が激しく爆発するという事故も起きています」
キャンプに入ると、難民の居住区内では木の枝とビニールシートで作られた粗末な住居が密集していた。学校や診療所もあるといい、人々は国連などからの支援物資に頼る貧しい暮らしを続けている。
1992年にソマリアから逃げてきたという66歳のサルタン・オカネは、私の取材にキャンプの存続を懇願した。
「小さなテントに子や孫と15人で暮らしている。このキャンプを離れては、我々は生きていくことができないんだよ……」
UNHCRの資料によると、キャンプで暮らす約6割にあたる約20万人が17歳以下の子どもたちだ。
キャンプで生まれた18歳のファラダス・アベンは、ケニア政府の撤去方針に抗議した。
「将来は難民を救う医師になりたくて、キャンプ内の学校で必死に勉強してきたのに、ソマリアに戻されたら、勉強を続けられなくなってしまう」
彼らの祖国ソマリアは1991年にバーレ政権が転覆し、無政府状態に陥っている。2012年に統一政府が発足した後もアルシャバブなどの過激派が台頭し、テロや戦闘が絶え間なく続く。
ケニアは2011年、テロを撲滅するためにソマリアに軍を派遣し、その後も軍事介入を続けている。アルシャバブはこれに反発し、2013年にはケニアの首都ナイロビのショッピングモールを襲って外国人を含む67人を殺害するなど、報復テロを繰り返してきた。
テロが報復を招き、その報復が新たなテロを呼ぶ。
憎しみと怒りの連鎖。その鎖を断ち切るのはどうすればよいのか。
キャンプで暮らすソマリア人難民会議の議長アブダビ・イブラヒムが取材で言った。
「ケニア政府の考えは完全に間違っている。いまキャンプを撤去すれば、行き場のない若者たちがアルシャバブに勧誘されて、新たな戦闘員になるだけだ。必要なのは報復ではなく、対話だ」
それを誰もがわかっているはずなのに、ここではこんなにも難しい。
(2015年4月)