レソトの風景
国連が掲げる「ミレニアム開発目標」(MDGs)なるものがある。2000年9月、国連ミレニアム・サミットに参加した189の国々によって採択された「国連ミレニアム宣言」をベースに制定されたもので、2015年までに国際社会が「1日1.25米ドル未満で暮らす人々の割合を半減させる」「すべての子どもが男女の区別なく初等教育の全課程を修了できるようにする」といった共通の課題を克服し、世界人類が平等に、そして豊かに、生活できるよういくつもの目標が掲げられている。(*1)
「でもさ、『豊かさ』ってそんな基準で計れるのかな?」
2015年7月、私が国連の資料をめくりながらそう嘯(うそぶ)くと、ヨハネスブルク支局に勤務する34歳の取材助手フレディが「それが知りたいなら、僕の故郷に一度遊びに来るといいよ」と笑いながら言った。
彼の故郷である「レソト」はヨハネスブルクから車で約8時間、周囲をぐるりと南アフリカに囲まれた小国だ。
彼からは常々、「僕の生まれ故郷を見に来ておくれよ」と誘われていたため、週末を利用して彼の「里帰り」に同行させてもらうことにした。
レソトは人口約220万人。「アフリカのスイス」とも呼ばれ、九州をひと回り小さくしたほどの高原国だ。標高1500メートルを超える高地には耕作適地が少なく、冬には一部地域が雪に閉ざされるため(アフリカにも雪は降るのだ)、南アフリカの都市部への出稼ぎが主な収入源という世界屈指の「貧困国」である。
フレディの生まれ故郷であるハレブル村は、首都マセルから南に約80キロ行った穏やかな山脈の裾野にあった。首都から1時間ほど車で走ると舗装路が砂利道に変わり、やがて道が途切れて草原になり、最後の数キロは水深の浅い小川を走った。
「ね、ランドクルーザー(トヨタ製四輪駆動車)じゃなきゃ来られないって言ったでしょ」
道中、フレディはいたって幸せそうだった。
故郷の集落に到着すると、家々から村人が猫のように飛び出してきて、次々にフレディに抱きついた。彼の帰郷は3年ぶりのことらしかった。
実は彼から事前に一つお願いを受けていた。
「家に到着する直前でいいんだ。運転を代わってくれないか。僕がハンドルで、蜂(私の呼び名)が助手席で。だめかな? 僕が自分の運転で、職場の同僚を連れて来たみたいにしたいんだ」
彼は後部座席から抱えきれないほどのお土産を取り出して、駆け寄ってくる一人ひとりに手渡すと、私を「日本の新聞社から派遣されている、とても有名なジャーナリストだ」とみんなの前で誇らしげに紹介した。
わあ、と小さな歓声が上がる。日本でも無名に近い私は内心申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、彼の威厳を傷つけまいと、胸を張って親族の話の輪に加わった。
「取材」は思いのほか、順調に進んだ。私が村の実情を知りたいと申し出たところ、村長が適任者を数人紹介してくれた。村人は現地語しか話せないため、フレディの通訳が必要だったが、プライバシーについてはここではあまり問題にならないようだった。「みんなが一つの家族のようになって暮らしているからさ」とフレディは言った。
28歳の女性はハリウッド女優のように美しかった。彼女は2005年、生後7日目で初産の娘を亡くした。計測すると、愛娘の体重は約1キロしかなかったという。
国民の約半数が1日1.25米ドル未満で暮らしているこの国の、5歳未満の幼児死亡率は約8パーセント。
女性は言った。「ここでは妊婦のほとんどが栄養不足なのです。1日1食、パップと呼ばれるトウモロコシの粉で作った郷土食を食べられればいいほうです」
38歳の主婦は2007年に3番目の娘を亡くした。エイズだった。発症後、14キロ先の医院に歩いて向かったが、手遅れだった。
エイズはこの国の深刻な病だ。成人(15~49歳)の感染率は約24パーセント。1980年代以降、南アフリカに出稼ぎに出た男たちが次々とHIVに感染し、村に戻って妻や交際相手に感染させた。電気のない地域ではテレビやラジオのような情報伝達手段がなく、避妊も啓発も広がらなかった。女性は周辺で亡くなった子どもたちの名前を書き出し、「この村では半数の子が5歳まで育たない。今は宿命だったと思ってあきらめている」と私の取材に残念そうに語った。
「この村でも成人の7、8割がエイズに感染しているだろう」
村長がそう言うのを聞いて、私はいたたまれない気持ちになった。医学の発達により、エイズは薬さえしっかりと飲んでいれば十分に社会生活を送れる病になっているが、ここではその恩恵を十分には受けることができない。
現に取材助手のフレディも数年前に母をエイズで亡くし、姉は南アフリカで闘病を続けている。この大陸では、医学は決して万人のものではないのだ。
しかし、その辺境の村で人々が果たして「不幸そうに見えるか」と尋ねられれば、答えはおそらく「ノー」だった。
どこに行っても、村人たちは明るく、楽しそうなのだ。
もちろん、フレディが3年ぶりに里帰りしたからということもあるだろう。でも、それだけではきっとない。彼らは決して演じていない。
男たちは誰もが煙草を吹かして大声で笑い、子どもたちはヤギと戯れながら泥だらけになって遊び、女たちは井戸の周りで洗濯物を囲んで楽しそうに世間話に花を咲かせている。
「ね、みんな楽しそうでしょ?」とフレディが満面の笑みで私に言った。「悩みがないわけじゃないんだけれど、悩みの種類が違うんだよね。ヨハネスブルクの都会で暮らしていると、毎日金持ちの白人にイライラするしさ、住宅ローンの重圧も、深夜に強盗に入られる心配もある。ここでは、みんなが昔から同じような暮らしをしている分、決して豊かじゃないけれど、格差がない。だから貧しさを感じない」
「格差ね……」
おそらく彼が正しいのだろう。人の心を蝕んでいくのは「貧しさ」ではなく、むしろ「格差」のほうなのだ。
日が傾いていくにつれ、女性たちは井戸で水をくみ、灯りのともり始めた粗末な家々に帰って行く。
村に電気はない、と聞いていたので、先ほど取材に応じてくれた28歳の女性を呼び止め、「夜は何をして過ごすのですか」と私は尋ねた。
彼女は不思議そうに私を見つめて言った。
「村にはたくさんの昔話があるのです。子どもたちに毎晩、それらを語って聞かせます」
(2015年7月)
(*1)
「ミレニアム開発目標」(MDGs)はその後、2030年までに達成すべき17の目標と169のターゲットからなる「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)として引き継がれた。
![](/common/images/ballCloseBtn.gif)