復興と多数決の論理
木村 次の世代に負の遺産を残したくないって言いながら、残さざるをえない状況なんですよね。いまの世の中って、多数決でものが決まるじゃないですか。そうなると、どうしても少数派は我慢しなきゃいけない。孤立してしまうんですよ。たとえば、この地域で遺族という立場は自分一人だから、その中でものが言いづらい状況になってしまう。
三浦 大熊町では、津波で亡くなった方(直接死)は12人で、そのうちの3人が木村さんのご家族でしょう? 少し北の浪江町は182人で10倍以上違う。私が震災直後に赴任した宮城県南三陸町だと800人以上いて、家族が亡くなった人たちに対する受け止め方もとても温かい。でも大熊町の場合は、数が少ないから、そこにあまり大きな人力も予算も割けず、遺族とか死者への対応が、あまりうまくいっていないようにも見える。むしろ、どこに新しい役場をつくるかとか、どうやってインフラを整えていくかということに主眼が置かれているような感じさえする。
木村 いまもこの近くで生活道路をつくる工事をしているんですよ。人が生活していないのに道路をつくっても、無駄なんじゃないかと思います。だけど行政としては、津波で壊れたものは全部直すのが「復興」だと思っているらしい。それだったらいまじゃなくて、住民が帰ってきてから必要に応じて、そのときに直せばいいはずなんですけどね。
三浦 大熊町が目標にしていた住民の帰還率も思うようには達成できていなくて、いまも9割以上が町に帰還できていない状況です。200人強しか町にいないから、町税がどれだけ入ってくるのかもわからない。いまは復興の関連資金があるからいいけど、将来的には回せなくなってくることは明らかですね。
マニュアル化できない記憶
三浦 福島県が50億円以上かけた「東日本大震災・原子力災害伝承館」も9月に開館しました。木村さんは、震災の当事者としてあの展示を見て、どう感じましたか?
木村 何とも言えないですね。やっぱりそれぞれに伝えたいことがありますからね。そういう意味では、自分は伝承館にはないものを伝えたいと考えています。たとえば、学校などの防災訓練の中で児童生徒の「引き渡し訓練」というのがあるんですが、保護者に子どもたちを返して、サインをもらって、それで終わりなんですよね。
三浦 木村さんの汐凪ちゃんの場合は、安全な場所だったはずの児童館にいたのに、おじいちゃんに引き渡してしまった。そのまま児童館にいて海岸近くの自宅に戻っていなければ、汐凪ちゃんは被災を免れたかもしれない。
木村 引き渡したら、それで学校側の責任はなくなるわけです。先生たちも自分の家族の心配があるでしょう。けれども、生徒を引き渡して終わりにしてしまったことが運命を左右してしまった。学校が引き渡さないという選択肢をマニュアルの中に入れることは、たぶんできないんですね。でも、ある人から「マニュアルにはできなくても、汐凪ちゃんのようなケースがあったと先生の頭の中に残っていれば、あるいは違った対応ができるのではないか」と言われて、そうだなとも思いました。
三浦 つまり、場合によっては引き渡さないという選択肢を、教育に携わる一人一人の人間の中に残しておくということですね。
木村 あと、今年度には、実際に人を連れてきて帰還困難区域の中を見てもらうツアーをやり始めようと思っていたんですけど、新型コロナの影響で仕方なくオンラインになってしまいました。でも、オンラインでやってみると、意外といいんですよ。
三浦 オンラインだと海外からも参加できる。
木村 そうやって実際にはここに来られない人たちにも伝える活動を続けていくなかで、大熊の自宅のところが将来的に帰れるようになったときに、このあたりにスモールコミュニティをつくりたいなと思っています。たとえば、うちの田んぼで育てている菜の花を搾油して農業用機械の燃料にするとか。そこにあるもので賄って、それ以上のものは求めない。いま、仕事も含めて無駄なものが多いし、いまの世の中は、先延ばしばかりじゃないですか。やはり、こうなってしまったことの原因は、東京電力だけじゃなくて、いまの生活様式にあると思うんです。
新しい生活様式を目指して
三浦 木村さんは避難先のいわき市でも、ソーラーで発電をしたり、薪ストーブで暖をとったりして、ほとんど電気に頼らない生活をしているじゃないですか。それは原発事故を生み出した、電気というものに対する抵抗ですか?
木村 電気が悪いわけじゃないですよね。以前、東京電力の社長に、汐凪が原発事故によって避難せざるをえなくなって捜索できなかったために命を落とした可能性もあるという話をして、「それでも原発は必要ですか?」と問いただしたことがあるんです。それに対して彼は「電気をつくることは命を守ることです」と答えたんですよ。それを言われたときに、なんかすごくバカにされたなと思いました。その彼らが言う「命を守る」ために、汐凪の「命」は犠牲になったのかと。やろうと思えば、電気は使わなくたって生きていけるわけですよ。だから、ほかの人はできなくても、自分はできるだけ電気に頼らないでいこうと思ったんです。
三浦 おそらく日本で原発の近くに住んでいる人は、いつか福島のようになるかもしれないという不安を抱きながら生きていると思います。でも経済的な利便性や、国益によってその不安が覆い隠されている。メディアもそれを伝えようとしない。
木村 東電の社長に「電気をつくることは命を守ること」と言われたという話をしたら、「それってすごいカッコいいですよね」と言った若者もいました。