実際、サイエンスの守備範囲は広く、世の中の真理を追究する「理学」から、課題の解決を目指す「工学」まであります。でも、課題解決のための学問である工学も即効性があるとは言い切れません。特に、大学などで研究された内容が、実際に私たちの手に届いて「役に立つ」までには数十年という年月がかかってしまいます。なぜそのような「ムダ」と思われるエネルギーを投じているのでしょう。サイエンスが世の中で役に立つまでには、その程度の時間は必要であり、それだけ大変なことなのです。
そのサイエンスが過去に成し遂げてきた成果を享受しながら私たちは暮らしています。今、皆さんがお持ちの携帯電話も、その産物がぎゅっと詰まったものです。今では誰もが当たり前のように使用し、世界中のどこでも普及している携帯電話も、その技術開発と実用化には何十年という歳月がかかっています。ですから、サイエンスは即効性を求めるものではない、ということはなんとなくご理解いただけるかと思うのです。
具体的な例として、電子顕微鏡を挙げてみましょう。小学校や中学校の理科の実験で使用する普通の光学顕微鏡では、ウイルスのようなごく小さいものを見ることができません。しかし、電子顕微鏡ならばインフルエンザ・ウイルスでも観察することができます。2009年に世界中がパニックとなった「新型インフルエンザ」対策にも、この電子顕微鏡が欠かせませんでした。
電子顕微鏡は、1931年にドイツのベルリン工科大学のマックス・クノールとエルンスト・ルスカによって開発されました。しかし、さまざまな分野で活用されたのは50年代になってからです。さらにその「功績」が認められてノーベル物理賞受賞となったのは86年のことでした。つまり、実用に至るまでに約20年もかかっています。そして、一流の業績として認められるまでには、開発からなんと55年の年月が必要でした! これがサイエンスという存在なのです。
さて、ここで19世紀の天才科学者、マイケル・ファラデー(1791~1867)の逸話をご紹介しましょう。当時のイギリスの大蔵大臣グラッドストーンは、ファラデーが発見した現象である電磁誘導の実験を見て、こう聞きました。
「で、それは何の役に立つのかね?」
これに対してファラデーは、「今はわかりませんが、いつかこれに税金をかけることができるでしょう」と答えたのでした。
ファラデーが電磁誘導の法則を発見したのは、1831年です。その後、数十年のあいだに、多くの科学者が必死に発電機の実用化に向けて尽力しました。そして、日本でも1887年(明治20年)に初めて火力発電所が作られました。
ここで電力供給量の変化を見てみましょう。1893年の東京電燈(東京電力の前身)の電力供給量は590kW(キロワット)でしたが、2008年度現在の東京電力の販売電力量は2890億kW。なんと5億倍ですね! さらに08年度の売上高は約6兆円。これに消費税がかかっているとすると……?
ちなみに、これは日本の中でも関東という限られた地域での話。これを世界規模で考えたら……まさにファラデーの予言通り、電磁誘導の法則から生まれた「電力」に膨大な税金がかけられるようになったわけです。
また、ファラデーに関する別の説では、大蔵大臣の質問に、「生まれたばかりの赤ちゃんは、何の役に立ちますか?」と答えたとなっています。まさにサイエンス、特に始まったばかりの研究は「生まれたばかりの赤ちゃん」のような存在と言えます。ファラデーの電磁誘導の法則も、その当時は将来的に何の役に立つかはわかりませんでした。しかし、電磁誘導の法則の誕生なしには、私たちが日々利用している「電気」はあり得なかったのです。
こうしたサイエンスの歴史の積み上げがあるからこそ、私たちは現在のような便利な生活を享受することができるようになったのです。知らなくても生きていける。でも、気づかないうちに私たちの身近に寄り添っているサイエンス。その世界を一緒にのぞいてみましょう。