そこには、先ほど述べた性役割や性規範、あるいはファッションの嗜好といったものなど、「解剖学的な性」以外のさまざまな要素が含まれます。それが今日、「ジェンダー・アイデンティティ(性自認)」と呼ばれている概念につながることになったのです。
――「精神的・心理的領域に属する性別」がジェンダー・アイデンティティに通じるということですが、「性自認」の「性」は、どのように決まっていくのでしょうか。
これは、シンプルでありながら巨大で根深い問いだと思います。結論を先に言っておけば、誰もが納得する明快な答えはまだありません。
「ジェンダー・アイデンティティ」の最小限の定義としては、「当人が割り当ててほしいと思う性別」という抽象的な定義をしておくしかないと思います。つまり、多くの人は自分を男性として、あるいは女性として承認してもらいたい。あるいは「ノンバイナリー」や「Xジェンダー」と呼ばれる、性別二元論では表現できない性別だと感じる人もいれば、そもそも性別などないと感じている人もいるという話です。
しかし、「自分のことを男性だと思う」「自分のことを女性だと思う」とはどういうことなのでしょうか。よく誤解されるのですが、自分は女だ、あるいは男だと認識するということは、世間的な性役割や女らしさ・男らしさのイメージを引き受けたいということとイコールではありません。自分は男性だと認識しつつ、いわゆる女性的なファッションや言葉遣いを好む人もいます。こうした「ジェンダー表現」は、「性自認(ジェンダー・アイデンティティ)」とは区別されています。
さらには、これはレア・ケースではありますが、性自認が男性で女性の体を持ったまま、髭を生やし、乳房を切除する一方で、卵巣と子宮は残したまま、提供された精子を使って妊娠、出産した人がいます。このような人にとって、自分が男性であるという自己認識と、女性としての生殖機能とは矛盾せず、どちらも自分という存在の一部なのでしょう。
こうしたことを考えると、ジェンダー・アイデンティティという概念を突きつめて最後に残るのは、男性、女性という「記号」によって自分が承認されたい、あるいは逆に望まない「記号」を割り当てられたくはない、という感覚になるのかもしれません。その「記号」に何を求めるのかは、人によってかなり幅があり、けっして一様ではないのです。
同時に、記号や言葉はあくまでも社会的なものですから、アイデンティティとは単に「自分はこう思う」というだけで社会に通用するものではありません。社会の中、他者との関わりの中での自己の位置づけというのがアイデンティティの本来の意味です。日本語の「身分証明書」に相当するものを英語で「アイデンティフィケーション(ID)カード」と言いますが、それは社会におけるその人の位置づけを示す証拠書類ですね。そうした、人々の自己・自我と、それを作り上げている社会との関係の中でジェンダー・アイデンティティがどのように形づくられていくのか、そしてそこに生物学的な要因がどう関わるのかについては、まだまだわからないことが多いのです。
ひとつ大事な点を付け加えるなら、現在使われている「ジェンダー・アイデンティティ」という言葉の根本には、「トランスジェンダー」の当事者による権利獲得運動から生まれてきたという文脈があり、そもそもどこまで学問的に定義できるのか難しいところがあります。ジェンダーという言葉が使われ始めてから、数十年の間に急激な変化があり、運動もさまざまな立場に分かれ、次から次へと新しい言葉や概念が生まれている状態です。そうした中で、従来の言葉の使い方も流動的に変わり続けていると言えるでしょう。
当事者たちの「性」の表現は固定観念では捉えられない
――「ジェンダー・アイデンティティ」が「トランスジェンダー」の当事者運動から生まれてきたとは、いったいどういうことなのでしょうか。
まず、トランスジェンダー(Transgender)とは、肉体のつくりに応じて社会から割り振られた性別と、自分自身の性自認との間に不一致があるために生じる心理的葛藤(性別違和)を解消するために、自分自身にとって心地よい性別を手に入れたいと望んでいる人々、あるいは実際になんらかのやり方でそれを手に入れた人々の総称です。これに対し、特段の性別違和を感じていない人々を指して「シスジェンダー(cisgender)」と呼びます。
トランスジェンダーと似た言葉で、「トランスセクシュアル(Transsexual)」があります。こちらは、身体的な性別違和が強く、性別適合手術という選択肢も含めてその違和感を解消したい(した)人を表します。トランスジェンダーという幅広い枠の中にトランスセクシュアルがいる、とセットで捉えられることもありますが、トランスジェンダーは、全員が性別適合手術をしたいわけではありません。たとえばトランス女性には、肉体のつくりは男性のままでも、自分がしたい服装をして、周りから女性として認識されればそれでいいと感じている人もいて、そのあり方は多様です。
この二つの概念は似ていますが、生まれた歴史的経緯はかなり違います。トランスセクシュアルはもともと医学用語で、以前、日本では「変性症」「性転換症」などと訳されていました。その中で性別適合手術やホルモン療法などの医学的処置を求める人たちをクローズアップするときに、「性同一性障害」という概念が、1990年代に入って日本でも一般的に使われるようになりました。
それに対し、トランスジェンダーは、性別違和を持つ当事者たちが、自分たちをどう表現するかという模索の中から出てきた自己定義の概念です。性別違和がない状態が「普通」とされていることに異議申し立てをし、自分たちは「正常」に対する「異常」ではなく、トランスジェンダーというひとつのあり方なんだと肯定的に表現してきたアクティビズムの土台があるのです。
医学の専門用語であるトランスセクシュアルは、医学的観点から定義することが可能ですが、トランスジェンダーは当事者たちが時代や地域、社会との関わりの中で、いかに自らの特性を表現して社会に承認させていくかという問題意識から使われてきた言葉なので、どんどん移り変わっていくのは当然であるとも言えます。
(※)
ジョン・マネーはアメリカの性科学者、心理学者(1921~2006)。ロバート・ストーラーは、アメリカの精神医学者(1924~1991)。