そもそも、国連においてもRHRは1990年代に突然出てきたものではありません。生殖に関して個人が選択する権利が国際的に明確に承認されたのは、1960年代末のことです。1968年、テヘランで開催された第1回国際人権会議では、「両親は、その子どもの数と出産の間隔を自由に責任をもって決定する基本的人権がある」ことを認めました。この権利は、その後20年間に数回確認され、国連が女性の地位向上のために定めた「女性の10年」(1976~85年)の最中である1979年には、国連の「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女性差別撤廃条約。日本政府訳は「女子差別撤廃条約」)」が採択されます。そこでは①女性の法的地位、②生殖に関する権利、③社会・文化的パターンの修正の3点が重要だとされました。②についてはたとえば、「子の数及び出産の間隔を自由にかつ責任をもって決定する同一の権利並びにこれらの権利の行使を可能にする情報,教育及び手段を享受する同一の権利」(第16条e項)を、男女の平等を基礎として確保すべきだといった、実質的にはRHRを表す内容がさまざまな条文に盛り込まれています。また、カイロ会議の前年、1993年の国連の世界人権会議でのウィーン宣言では、ジェンダーのみを理由に世界のほぼすべての地域で女性と少女が人権を否定されているとの事実認識に基づき、「女性の権利は人権である」と記されました。この時初めて、国際文書の中で「女性の人権」が明記されたのです。
――つまり、1960~70年代のウーマン・リブなどの活動を経て、1990年代に女性の人権についての共通理解が国際社会で進み、その観点から生殖をめぐる議論が行われたということですね。
はい。ところが日本は、1974年にブタペストで開かれた世界人口会議には厚生大臣、1984年にメキシコで開かれた国際人口会議には厚生事務次官が参加していたのに、1994年のカイロ会議以降はそうした慣例を変え、外務大臣が代表団を率いるようになったのです。
カイロ会議が開かれ、「リプロダクティブ・ライツ」という文言が初めて国際文書に書き込まれたのは94年の9月です。このタイミングで厚生省から外務省にバトンタッチしたというのは、日本政府が「RHRは人口過剰に苦しむ途上国の問題であり、少子化の局面に入った日本には関係ない」という姿勢を示したと受け取れます。以来30年間、RHRは外交的懸案事項とされ、海外援助はしても国内の問題には目が向けられない状況が続いています。
もともと、日本は女性の人権に対して非常に後ろ向きで、国連「女性の10年」最後の年である1985年に女性差別撤廃条約を批准します。それを受けて、1986年に男女雇用機会均等法、1999年に男女共同参画社会基本法が制定されますが、男女平等に向けた取り組みはほとんど労働面だけにとどまりました。国際社会との約束だから一応はやるけれども、男女平等にどこかで歯止めをかけたい、特に性と生殖については女性の好きにさせたくないという意向が働いたのではないかと、疑ってしまいます。
実際、そうした疑念を強めるような出来事も起こっています。2005年の第二次男女共同参画基本計画の策定に際し、第一次基本計画(2000年決定)の「8.生涯を通じた女性の健康支援」の施策で挙げられていた「リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関する意識の浸透」の項目は丸ごと削除されました。その裏側には、故・安倍晋三や山谷えり子など保守派議員を中核とする自民党内プロジェクトチームによる激しい批判や圧力がありました。これにより、RHRのみならず、日本社会では「ジェンダー」という言葉の使用や人権に基づく性教育も萎縮していったのです。
2010年代、世界で中絶は「不可欠な医療」に
――アメリカでは2022年6月に人口妊娠中絶の権利を認める「ロー対ウェイド判決」が連邦最高裁で覆されて以後、中絶が大きな政治的論点になっています。世界では中絶をめぐってどのような状況になっているのでしょうか。
アメリカでは、「胎児の生命の尊重」を掲げる「プロライフ派」と、女性の選択権を守ろうとする「プロチョイス派」が激しく対立しています。しかし、世界の大きな潮流はまた別のところにあります。
国連は「RHRは女性の人権問題」としつつ、以前はカトリックやイスラム圏の国々に配慮して「中絶は推奨しない」としていたのですが、近年、大きな変化が起こっています。これにはおそらく、アメリカで先鋭化しているように、保守的、宗教右派的な考え方が強まっていることへの対抗措置という意味合いもあるでしょう。特に2010年代に入って以降、中絶は処罰されるような行為ではなく、「健康権で保障されるべき性と生殖のヘルスケア」であり「女性と少女にとって不可欠な医療」である、とする議論が深められてきました。WHOなどは妊娠初期の中絶を「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(すべての人が必要とする医療サービスを必要な時に必要な場所で経済的な苦労をせずに受けられること)」の対象としました。また2022年、国際産婦人科連合(FIGO)は「安全な中絶の完全な非犯罪化」を要求する声明を発表しており、ここ数年、中絶を禁じてきたカトリックの影響が強いアイルランドなどの国々も含めて、世界各国で中絶を非犯罪化する動きが広がっているのです。
――海外で中絶の手段が安価に提供され、保険が適用されることもあるのは、中絶が「すべての人が必要とする医療サービス」とされているからなんですね。
最近、英語で中絶は「アボーションケア(Abortion Care)」と表現されることもあり、WHOでは妊娠のごく早期の薬による中絶は「セルフケア」だとまで宣言しています。2022年3月に発行されたWHOの『中絶ケア ガイドライン』では、中絶を希望する当人の「価値観と選好」を中心に据えるなど、当人の自由な選択を尊重する姿勢を打ち出しており、これも中絶=「ケア」であることを示していると言えるでしょう。ケアとは、たとえば生理のときにパッドを使うようなことですが、それが犯罪になってはいけないのと同じなのです。
近代化によって育児の費用が莫大に増え、1組のカップルが育てる子どもの数が激減する中、現代を生きる女性は、避妊や中絶が全くなければ生涯に十数人もの子どもを妊娠しうるからだを生きています。そう考えれば、中絶は避妊と同様に、女性、つまり人間の約半数が人生のどこかの時期に必要としうる処置と言えます。にもかかわらず、中絶が犯罪とみなされたり、中絶に高額な値段が設定されていたりするのはおかしなことのはずです。中絶に公金で補助をしている国の多くで出産にも保険が適用されているのは偶然ではなく、女性が必要とするケアとして中絶や出産を捉えているということでしょう。
――日本では、中絶はもちろん、出産も自由診療制(保険適用外)です。出産には出産育児一時金が支給されるものの、出産費用が高騰しすぎて多くの人は賄いきれません。「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」が実現しているとはとても言えない状態です。