「結婚・妊娠・出産支援」に力を入れる「少子化対策」
――年齢が上がると妊娠しにくくなるということを知らず、気づいたら不妊症になっていたという人もいます。若いうちから妊娠・出産についての知識を得たり、人生設計を考えたりするのは良いことなのではないでしょうか。
なぜプレコンセプションケアが政府の政策となり、多額の予算がかけられているのか、その背景を考えることが重要です。CDCやWHOが掲げたプレコンセプションケアの目的は、本来、安心安全な妊娠・出産を目指すということだったはずですが、日本では実質、少子化対策になっており、自治体が発信する情報からは、「妊娠適齢期」を20代とし、女性に対し若いうちに結婚・出産を促す意図がうかがえます。
「子育て支援」「働き方改革」の強化に加え、少子化政策に新たに「結婚・妊娠・出産支援」が打ち出されたのは第二次安倍晋三政権スタート直後(2013年)で、以降、「卵子の老化」や「妊娠適齢期」の啓発が盛んに行われるようになりました。注目すべきは、安倍政権のブレーンに不妊治療の専門家がいたことです。日本は海外と比較して不妊治療を受ける40代女性が多いこと、それにより体外受精の妊娠率が低下すること、その原因のひとつとして日本人の性や生殖に関する知識レベルが低いことなどの問題意識が、政策に反映されたと思われます。
ちなみに、「プレコンセプションケア推進5か年計画」に「少子化」の文言は一切ないのですが、プレコンセプションケア事業は2018年に成立した成育基本法に基づいて行われています。この法律の基本理念(第1章第3条)には「我が国における急速な少子化の進展、成育医療等を取り巻く環境の変化等に即応する」とありますから、プレコンセプションケアは少子化対策の一環というわけです。2023年改定の「成育医療等基本方針(成育医療等の提供に関する施策の総合的な推進に関する基本的な方針)」には、「プレコンセプションケアの推進」という文言が追加され、巨額の予算がつく仕組みも作られました。
――実際、少子化は重要な問題です。国の政策としてプレコンセプションケアを普及することにも意味があるのではないでしょうか。
結婚・出産は女性の人生に多大な影響を与える事柄で、いつ子どもを産むか、また子どもを持つか持たないかの選択はリプロダクティブ・ライツ(性と生殖の権利)という人権に関する領域です。つまり個人に委ねられるべきもので、国が少子化対策のために「若いうちに結婚・出産するのがよい」と誘導するのは問題です。
以前、「生命(いのち)と女性の手帳」(女性手帳)という政策案がありました。これは、2013年に立ち上げられた審議会「少子化危機突破タスクフォース」による提案のひとつで、30代半ばまでの妊娠・出産が望ましいなどの情報を盛り込んだ冊子を、10代からの女性に配布するという計画でした。しかし、この案が発表されると、「少子化の責任をすべて女性に負わせるのか」「多様な生き方を認めていない」などの批判が殺到しました。
その結果、「女性手帳」配布案は見送られましたが、実はプレコンセプションケアも「ライフプラン教育」も基本的には「女性手帳」の名前を変えただけのものと思います。「女性及び男性を対象にする」とはなりましたが、晩婚・晩産化に歯止めをかけるという目的はそのままに「妊娠・出産等に関する情報提供、啓発普及」が全国の自治体で展開されています。
批判を避けるためか、政府は現在、プレコンセプションケアとは「性別を問わず、適切な時期に、性や健康に関する正しい知識を持ち、妊娠・出産を含めたライフデザイン(将来設計)や将来の健康を考えて健康管理を行う」ことであると、曖昧な表現をちりばめた説明をしています。自治体が発信する情報でもLGBTQや多様な生き方について触れられていたりしますが、いかにもとってつけたような印象で、実際には異性愛を前提とし、妊娠適齢期や家族の重要性を強く打ち出す内容が目立ちます。
たとえば鹿児島県の「バズれ、未来のわたし。プレコンセプションケア編」という啓発動画では、就活中の若い女性が将来に不安を感じている中、夢を見るというストーリーが描かれます。その夢にはジムで体を鍛え、健康的な食生活を送るシーンに続き、唐突にウェディングドレスを着ている場面が挟み込まれます。しかし、この女性は就活中のはずです。それなのに、なぜ仕事で活躍する様子が「夢」に登場しないのでしょうか? 「自分をケアすることが、きっと未来の幸せにつながる」というナレーションは「結婚し子どもを産み育てる」という「女性の幸せ」のためにプレコンを学ぼうというメッセージに聞こえますし、なんらかの事情で結婚や出産をしない人々への配慮にも欠けています。
政府は「もとより、結婚、妊娠・出産、子育ては個人の自由な意思決定に基づくものであり、個々人の決定に特定の価値観を押し付けたり、プレッシャーを与えたりすることがあってはならないことに十分留意する」(こども家庭庁「少子化社会対策大綱」)と言っています。しかし、実際は「押し付け」や「プレッシャー」がまかり通っていると言えるでしょう。
――「押し付け」と言えば、2025年参議院選挙中、参政党の神谷宗幣代表が「男女共同参画は間違えていた」「子どもを産めるのは若い女性しかいない」といった発言をし、大きな批判を呼びました。
もちろん神谷氏の発言は問題視すべきです。しかし、こうした考え方はプレコンセプションケアを推し進める政府の姿勢からも見て取れると言えるでしょう。
出産年齢が上がっているのは、単に「女性が仕事をするようになったから」ではありません。もし、キャリアの浅い20代女性が出産したらどうなるか。「マミートラック」と呼ばれる閑職に追いやられたり、逆に育児中には到底できないような業務を割り振られて退職を余儀なくされたりするという事例が後を絶ちません。また、仕事を肩代わりさせられる周囲の負担も大きく、そのことからくる職場での軋轢も大きな心労となります。「夫に養ってもらえばいい」という意見もありますが、結婚という関係が破れたら無職の妻はたちまち困窮してしまいます。そもそも今の社会は共働きでなければ成り立たない経済状況ですから、女性側も安定した仕事を持つことが結婚の必須条件です。女性の賃金はそもそも安く抑えられ、昇進も容易ではありませんが、それでも女性たちにとって仕事は最低限の生きる基盤なのです。
そのような状況が変わらない限り、いくら「若いうちに産むのが医学的には良い」と教えても、女性たちは「産休をとってもクビにならないように早くキャリアを積まなくちゃ」という思いと、「若いうちに産まなければ産めなくなる」という思いの板挟みになるだけです。
さらに、ワンオペ育児の苦しみ、子どもが欲しくても持てない経済的困窮、特に地方でいまだに根強い男尊女卑など、さまざまな社会的背景の現実を見ずに、「若い女性」にプレコンセプションケアの「意識啓発」をどれだけしても、けっして少子化が解決されることはないでしょう。
プレコンセプションケア推進の前に必要なこと
――妊娠・出産は個人の選択だとしても、その前提となる知識を知らなければ選ぶことすらできません。プレコンセプションケアの情報発信は役立つのではないでしょうか。
少子化対策の意図で発信される妊娠・出産に関する情報は、注意深く見ていく必要があります。
たとえば、2015年8月に文部科学省が改訂した高校・保健体育の補助教材『健康な生活を送るために』には、妊娠・出産に関する内容が多く盛り込まれましたが、掲載されていた「女性の妊娠のしやすさの年齢による変化」というグラフが不適切だと批判される事態となりました。22歳をピークに急降下するこのグラフのデータは極端に誇張されたもので、この教材の作成に協力した「専門家」の産婦人科医自身も関わって改ざんしていたのです。
皮肉なことに、同じ年の3月に策定された政府の少子化社会対策大綱には「妊娠・出産等に関する医学的・科学的な知識を提供することにより、子供を持つことを希望する方が適切に判断・行動できるよう支援する」と書かれていましたが、この教材は「医学的・科学的な知識」の信頼性を疑わせることとなりました。最近でも、秋田県が高校生に配布していた一般社団法人「日本家族計画協会」の冊子に、「えっ手遅れ!?」と口を押さえる35歳の女性や「しわしわの卵子」のイラストが使われていることが報道されました。この冊子も産婦人科医が監修していますが、女性を「子どもを産む存在」としか見ていないのではないかと呆れてしまいます。
もうひとつ、プレコンセプションケアで発信されている「医学的・科学的な知識」で気になるのは「健康」があまりにも強調されてはいないか、ということです。「健康で元気な赤ちゃん」が生まれるよう、願う気持ちは否定されるものではありません。しかし、ダウン症など染色体異常の赤ちゃんを産むことを「リスク」と捉え、「だからリスクが低い若いうちに産みましょう」と勧めることには、優生思想につながりかねない危うさがあります。
5万人も養成されるというプレコンサポーターは「自治体・企業・教育機関等において」「性や健康に関する正しい知識の普及を図り、健康管理を行うよう促す」そうですが、そうしたことへの目配りがどれだけできるでしょうか。「専門家」さえ人権意識に欠けた情報発信をしてしまうのですから、研修を修了すれば誰でもなることができ、背景も様々なプレコンサポーターの中には、人権についての知識が乏しい人もいることが予想されます。「プレコンサポーター」というある種のお墨付きの下、「女性の自己決定権」を軽視したり、障がいのある人や性的マイノリティへの配慮に欠けた「助言」がされるのではないかと非常に心配です。
――必要なのは妊娠・出産に関する知識だけではないということですね。
その通りです。政府は「特に若い世代が自分の将来を展望する際に、性や健康・妊娠に関する様々な疑問を持ちつつも、その正しい知識の取得方法や、相談する場所・手段については、必ずしも広く知られていない」と言いますが、これまでの約四半世紀、日本の性教育をストップし、ユネスコが提唱する「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」に基づく包括的性教育の実施を拒んできたのは、政府自身なのです。
そうした動きを主に担ってきたのは、旧統一教会や日本会議に支持される保守政治家たちで、その多くは旧安倍派に属していました。もっと言えば、そうした性や家族観は、戦後一貫して示されてきた男女という二元的な性別秩序とそれに基づく伝統的な家族観と家族内の「自助」を重視する自民党の性差別的な政策に連なっていると言えるでしょう。
人権をベースとする包括的性教育を前提とせず、「生命尊重」や「生物的側面」に配慮するプレコンセプションケアで妊娠・出産に関する知識を重点的に教えるのは、特に女性に向けて、「国家のために出生率を上げろ」、すなわち「産めよ殖やせよ」というメッセージを送っているということだと思います。「適切な時期に、性や健康に関する正しい知識」を持つことが大事だと言うならば、痴漢、セクハラ、性虐待などの性暴力が蔓延する社会では、「若いうちに産むのがよい」という医学的知識以前に教えるべきことがあるのではないでしょうか。