インティマシー・コーディネーターという職業ができてからまだ数年しか経っていませんが、2020年の段階で世界に約100人の有資格者がいたと聞いていますから、今、その数はもっと増えていると思います。インティマシー・コーディネーターはあくまで民間の資格なので、自称することもできないわけではありません。ただし、きちんとしたトレーニングを受けていないインティマシー・コーディネーターが撮影現場に入ることは、俳優との信頼関係を築けないまま撮影を始めてしまうなど、逆に加害につながってしまう可能性もあります。アメリカではそうした問題を防ぐために、SAG-AFTRA(俳優や声優、アナウンサー、歌手、ダンサー、DJ、メディア関係者など約16万人が加盟する労働組合)が承認推奨する資格認定機関のリストを公表し、信頼性の担保を図っています。私が所属するIPAもそのうちの一つです。
――日本では欧米ほど#MeToo運動は盛り上がりませんでしたが、インティマシー・コーディネーターはどれくらい起用されているのでしょうか。
欧米の状況には追いついていませんが、映画界の性暴力が大きく報道されるようになった2022年6月以降、映画業界の意識が急速に変わり、インティマシー・コーディネーターという職業の認知度も上がっているように思います。依頼の件数も増え、「やっぱりこういう仕事は必要だ」という反応をいただくなど、少しずつ手応えを感じているところです。
今後は、映画界に限らず、テレビや舞台などさらに幅広い芸能の分野でインティマシー・コーディネーターが必要となってくるのではないかと思いますし、私自身も最近、テレビドラマや舞台に携わる機会が増えてきています。ただ、今のところ日本には私も含めてふたりしかインティマシー・コーディネーターがいないので、すべてのニーズに応えられるわけではありません。時おり、「私は英語ができないので、西山さんに教えてほしい」「弟子にしてほしい」と頼まれることもありますが、私もまだこの仕事を始めて2年しか経っていませんし、人に教えるほどの経験を積んでいないと、お断りしています。
そうした状況で、コンプライアンス対策としてクレジットに名前だけ入れられる、といったことにならないよう、気を付けています。
また、私たちがチェックできるのはインティマシー・シーンとその前後を含めた一定の場面だけですから、「インティマシー・コーディネーターが入っていれば、その作品のすべてのプロセスが安全に撮影された」ということではありません。もっと言えば、インティマシー・コーディネーターは俳優を守る「正義のヒーロー」ではなく、あくまで裏方に過ぎないのです。この仕事は結局、監督や俳優とどれだけコミュニケーションが取れるのか、ということで成り立つ部分が非常に大きいと言えます。
2013年に公開された映画『アデル、ブルーは熱い色』に主演したレア・セドゥが、2022年のインタビューで、同作におけるセックスシーンの撮影の過酷さについて述べたことがありました。「(当時は職業として存在していなかった)インティマシー・コーディネーターがいれば違ったか?」という質問に対し、彼女の答えは「あの監督では、インティマシー・コーディネーターがいたとしても、助けにはならなかっただろう」というものでした。つまり、私たちの意見や俳優が嫌だということを受け入れる姿勢がない監督やプロデューサーが指揮する現場では、インティマシー・コーディネーターは機能しえないということです。
エンターテインメント業界でハラスメントが横行する理由
――西山さんは2020年にインティマシー・コーディネーターの資格を取得されています。ロケ・コーディネーターとして仕事をしてきた西山さんがインティマシー・コーディネーターになろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
エンターテインメントの世界では、いいもの、おもしろいものを作る人が「正義」であって、そのためにはどんな手段を使ってもかまわないというところがありました。私自身もずっと「いい作品を撮るためには多少の不調や不快感を我慢するのは当たり前」と思っていました。ただ、ロケ・コーディネーターの仕事をしていくうちに、「いい作品を作る」ことを免罪符に、パワハラやセクハラのような、誰かを傷つける行為がスルーされてしまうことに対して、自分の中でどんどん疑問がふくらんでいきました。「いい絵」を撮るためなら、スタッフの体調もおかまいなし、「旅の恥はかき捨て」だから現地で何をしても平気、という制作側の態度や要求に、「言われるままにしていたら現地との関係がこわれてしまう」と追い込まれたときもあります。
日本では、職場におけるハラスメント防止のために、事業者は雇用管理上必要な措置を講じることが義務とされています。そのため、一般の企業では規模を問わずパワハラ防止法が適用され、たとえば「特定の人に対して、人の見ている前で人格を否定するような攻撃的な言葉を大声で浴びせる」などの行為がハラスメントであり、NGだということは常識となりつつあるようです。しかし、エンターテインメント業界でこうしたハラスメントはまだ普通に見られる光景で、夢を持ってこの業界に入ってきた若い人たちが、ひどいハラスメントを受けて去っていくというケースが後を絶ちません。