この文言は、「実際にはトランスジェンダー女性(トランス女性)ではない男性(シス男性)が」、公共の場の女性専用スペースに侵入する懸念への対応だとされています。この辺りの背景事情は複雑で、少ない紙幅で正確に論じることは無理ですが、誤解を恐れず最低限のポイントについてだけ述べておきましょう。まず前提として、男性から女性に対するさまざまなレベルの性暴力が蔓延しているこの社会において、上記のような懸念を少なからぬ女性たち(そこにはトランス女性も含まれます)が抱くことは当然であるということを認めなければなりません。そうした実感にもとづく女性たちの懸念や不安を頭ごなしに否定することは不当です。このことを改めて確認した上で言うならば、問題なのはトランス女性ではなく、トランス女性を騙って性暴力加害をもくろむかもしれないシス男性なのだというポイントを見誤ってはなりません。少し強い表現をお許しいただくなら、われわれの真の敵は、「その多くがヘテロセクシュアルでシスジェンダーである生物学的男性の性加害者、性犯罪者」なのです。そして、そうであるならば、LGBTへの差別を減らすことと性犯罪への対処を強化することは決して対立するわけではないことは明らかであると思います。
具体的に改善すべき点としては、警察や裁判所の適切な対応といった制度的なものも含まれますし、また危険を感じた人が遠慮なく通報できるように社会的な共通了解をつくっていく必要もあるでしょう。これは児童虐待の疑いがある場合の通報義務などにも通じる問題ですが、日本の女性たちは、性被害に遭いやすいだけでなく、それを通報したり告発したりすることをためらわされるように常に圧力を受けているので、それを変えていかなければなりません。身の危険を感じた人、今まさに被害者になるかもしれない人が、ためらわず通報や告発できるように支えるしくみが必要です。加えて、「ジェンダー」の記事(性知識イミダス:「ジェンダー」について知ろう〈後編〉)でも申し上げたように、そもそも公共の場のトイレなどを設計段階からより安全なものにするといったことも大切ですね。
このような方向で問題を一つ一つ解決することによって、あらゆる性的指向やジェンダー・アイデンティティの持ち主が暮らしやすい社会を実現していくべきなのであって、せっかくのLGBT法におかしな条文を入れ込んで骨抜きにしている場合ではないのです。
Q5:SOGIという概念を知り、理解することで、私たちの社会はどのように変わっていくと思われますか。
前編で言ったことの繰り返しになりますが、SOGIは人間の多様なあり方と、その広がりに気づくための有用な「視点」ととらえることができます。その視点から世界を見渡すことで、マイノリティは自分が決して孤独ではないことを知ることができるし、マジョリティはそれまで振り返りもしなかった自分自身のセクシュアリティがさまざまなバリエーションの一つに過ぎないことを知ることができるはずです。それがSOGIに関わる差別やハラスメントをなくしていくための原点になるでしょう。
そのことが、社会のどのような変化に結びつくのか、いや結びつけていけるのか。限られた字数では一般論しか言えず、あまり意味がないような気がして恐縮ですが、国の個別の政策・法律、自治体や企業、学校といった組織における各種の取り組みを、地道にやっていくしかないということですね。その中から、同性カップルを自治体が公認する仕組みとして渋谷区や世田谷区が先陣を切った「パートナーシップ制度」のように、それ自体としてはあまり実効性がなかったとしても、そこから同様の制度づくりが全国に広がることで多くの人々の意識を変え、過半数の人々が同性婚を認めるような世論をつくりあげることに結びついた、そうした取り組みの事例がこれからも出てくるはずです。
一橋大学での事件
2015年8月、一橋大学法科大学院に在籍する男子学生が学舎から転落し、亡くなった事件。転落事件の2カ月前、同級生の一人が、男子学生が同性愛者であることを同級生グループに向けて暴露(アウティング)していたことが判明している。
(*1)
「毎日新聞」2023年3月7日、「法務省の人権冊子から消えた「性自認」の文字 その裏にある誤解」https://mainichi.jp/articles/20230307/k00/00m/040/009000c
(*2)
「朝日新聞デジタル」2023年6月7日、「(リレーおぴにおん)長すぎる:3 夫婦別姓、「理屈なき」反対派の壁 佐々木知子さん」https://www.asahi.com/articles/DA3S15656041.html