また、他の映画の上映などに対しても、右翼団体などの街宣車による抗議活動などで上映を断念するケースもあり、日本の戦争加害や戦争責任を問うような内容の作品に関しては公開を自粛する傾向が支配的です。
しかし不思議なことですが、冒頭でも触れたようにドイツ人たちが行った戦争における残虐行為や戦争犯罪に関する映画は日本ではヒットするのです。
ではドイツ人たち自身はどうでしょうか。西ドイツは戦後、1960年代頃から自国の戦争犯罪や戦争加害に向き合い始めました。東ドイツはもっと早い段階で映画を通じてこの問題に取り組んでいます。戦後初のドイツの国産映画第1号である『殺人者はわれわれの中にいる』(1946年)はドイツ軍による占領地区での市民の大量虐殺を主題にした作品です。彼らも自国民の戦争犯罪を映画で観るときに、私たちが抗日映画を観るときに感じる苦痛と同じものを受けるはずです。しかしながらドイツでは、抗議行動で公開が困難になるといったこともなく、そうした映画が積極的に公開され、DVDなどのメディアで観ることができます。そればかりか、自国の戦争加害の映画を積極的に制作し、外国とも積極的に合作を試みてきました。
そうした、自国の戦争加害を描いた映画を拒絶しないドイツ人の態度によって、かつての被害国との間での映像文化での和解がほぼ完成しつつあります。ドイツの映画監督、フォルカー・シュレンドルフがフランスに招かれてドイツのフランスへの戦争加害の映画を撮る、またドイツのアウシュヴィッツ裁判開廷までのフリッツ・バウアー検事の行動を描いたドイツ映画の脚本をフランスの作家オリヴィエ・ゲーズが執筆するなど。これらはほんの一例ですが、協調と理解によってもたらされた和解の形です。それはドイツが過去の自国が犯した戦争犯罪や戦争加害に向き合い「知ろう」とした行動から生まれたことです。
1985年5月8日の戦後40周年のドイツ連邦議会において、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領は有名な「解放の日」演説を行いました。その中でフォン・ヴァイツゼッカーは、過去の出来事に対する批判が自分たちにとって厳しいものであったとしても、その批判を否定してはならないと述べています。そして、世界的に有名な一節「過去を変えることはできない。過去を消し去ることなど不可能であり、過去に目を向けない者は現在においても盲目となって、同じ過ちを犯す危険に陥りやすいのだ」という言葉を残しました。フォン・ヴァイツゼッカーのこれらの言葉は、被害者の批判や立場を否定せずに理解すること、そして自ら過去の姿を見つめることを訴えています。こうしたドイツの過去への向き合い方は、政治を超えて映像文化の中でも今も生かされているのです。
抗日映画を観ることは、日本人にとって、かつて日本人によって戦争被害を受けた国々の人びとの視点を知り、和解へと向かう一歩を生み出す一つのきっかけになるのです。
「抗日映画」に向き合うことの意義
「日本人は美しい花を造る手を持ちながら、いったんその手に刃を握るとどんな残忍極まりない行為をすることか」
これは1971年の特撮テレビ番組『帰ってきたウルトラマン』のエピソードの一つ、「怪獣使いと少年」(東條昭平監督、上原正三脚本)に出てくるセリフです。
私たちは日本の戦争映画で「美しい花を造る手を持った日本人」を常に観てきました。その一方で、ほとんどの作品が「刃を手に取る残忍な日本人」を描いてこなかったのです。抗日映画を観るということは、この「刃を手に取る残忍な日本人」を直視する行動になるでしょう。
『この世界の片隅に』は素晴らしい映画ですが、私たちはこの映画に登場する、すずさんをはじめとする日本人たちがイノセントで善良な存在であることに、どこかで安堵しているのではないでしょうか。
私たちは「美しい花を造る手を持った日本人」の姿を観る一方で「刃を手に取る残虐な日本人」を観ることなく、戦争の中の無垢な子どもたちや善良な人びとの姿に悲劇と平和の祈願を感じているに過ぎないのではないでしょうか。また、そういった戦争映画への向き合い方が普遍化してしまっているのも事実です。
私たちは映画を通じて、常に不完全な形で、一方側からだけで戦争を観察してきたのです。
抗日映画を観ることは、戦争という過去に目を向けることです。そして日本人自身が行った戦争加害について、他国の人びとがどのように感じているのか、その視点を私たちが知り得る機会となります。
抗日映画も時代を追って変遷を重ねてきました。劇場用映画に限ってですが、かつてしばしば登場した、スクリーンに現れるや片っ端から人びとを殺戮するような、悪魔的にカリカチュア化された日本将兵の姿を見かけることは、ほとんどなくなりました。欧米の抗日映画は、日本軍の残虐行為を描きながらも和解を模索しており、赦しや和解を主題にしたドラマ作りが増える傾向にあります。東アジアや中国の抗日映画では、近年、日本人の映画スタッフや俳優を積極的に招き、歴史認識を通じての相互理解と和解を模索し始めています。残された問題はただ一つ、私たち日本人が積極的にそれを観ようとしないこと、観る機会や環境が整っていないことです。
映画は観ることがまず大切です。観ないで評価することも批判することもできません。まずは向き合わなくてはなりません。
その上で初めて、世界の人びとと日本の戦争の過去を巡る対話が出来るようになるのです。
そのためには、まずは心の国境を捨て去って、ある種の勇気を持って、抗日映画に向き合うことが肝要です。
その勇気は必ず、世界の人びととの対話を生み、やがて握手を呼ぶことでしょう。
その友愛と理解は必ず、あの過去の戦争の悲劇を再び引き起こさない力となるでしょう。