エピソード集として感動すること、それは自分の知っている物語の枠に分類し、世界観のしかるべきところに置いて安心する作業でもあります(「美少女戦争漫画だろう」にとどまる批判も実は同じことです)。
もう一歩想像力を働かせて、どうか不安になって頂きたい。
台詞はただの台詞ではない。元兵士たち、あの戦争、あの時代、あの国について我々がなにを知っているというのか。
この本は理解するためのものではありません。理解していないことを知るための本です。そう簡単にわかってたまるものではないのです。僕なんかさっぱりわからないことだらけです(監修として問題発言)。
(「『戦争は女の顔をしていない』コミック版について、個人的補遺」より)
速水さんがこのようなことをブログに書いた意図はなんだったのだろうか。
この作品に登場する女性たちは、愛国的な教育から志願したと受けとめられるかもしれません。でも一人ひとりに、違う動機があったと思うんです。
たとえば僕が戦争に行くことになるとして、みんなが行くから仕方なく行くということはありそうですが、愛国心から志願するということは今のところ考えづらい。たとえば僕が、戦争体験を書いた作家で一番好きなのは大岡昇平なのですが、彼は日本は負けると確信していて、嫌だと思いながらも、仕方なく従軍していた。それでいてそこそこ真面目に兵隊している。僕も兵隊に取られたらこんな感じになるかもしれないという地続き感覚があるし、腑に落ちる人も多い気がします。ソ連の女性兵と日本兵では事情がだいぶ違いますが、大岡昇平のようにいい加減なのか真面目なのかよくわからない人はどこの国にもいたでしょう。
読者は、登場する女性たちの戦争体験に共感して涙したりするかもしれませんが、その「わかっている」と思う気持ちは、実は勘違いである可能性も高い。それぞれに違う体験、違う人生があるんです。だから「わかる」という気持ちと、「でも本当はわからないのではないか」という疑問を順繰りに感じながら読み進めていく作業こそが、誰かの体験について考えるということに繋がると思います。そしてわからないときは、無理にわかろうとしなくてもいいんです。わからない面白さというものもあるんですよ。世の中あらゆることが簡単に腑に落ちたら絶対に騙されてます。
戦争の被害者は、ときに加害者でもある
自分の作品の話になりますが、9月に月刊モーニングtwoで最終回を迎えた『大砲とスタンプ』は、「主人公は最初の段階では正義が担保されていない」ということを意識して描きました。
主人公たちは敵の街に勤務している占領者です。侵略されたから戦っていることにすると、自動的に「正義」が主張できてしまう。一方で戦争なのだからひどい目にも遭います。戦争の被害者であり、同時に戦争犯罪にも加担する加害者でもある。そういう姿を描きたかった。
戦争って不条理や理不尽なものが、一番わかりやすい形で出てくるものです。日常生活でも理不尽なことはたくさんありますが、すぐさま死に結びつくことはそう多くはない。でも戦争では、そのまま死に直結します。先ほどの「わかる」と「わからない」という話とも繋がると思いますが、この不条理や理不尽さを、戦争を描く上では大事にしたい。
戦争は、たとえば「とても悲惨でたくさんの人が苦しみました」というようなテンプレート表現だけで語ることはできないと思います。もちろん悲惨な記憶であることは事実だと思いますが、僕が話を聞いた戦争体験者の中には「後方にいて食料も足りていたし、全然悲惨じゃなかった」という人もいました。空襲や特攻、学徒動員などについて、ある一面的な見方ばかりが語られてきたことで、受け取る側も「ああ、またその話ね」と予断ができてしまう。若い人が戦争に興味を持たなくなった理由のひとつに、ステレオタイプ化された伝え方があるのではないかと感じています。
横に斜めに知ろうとすれば、ステレオタイプに陥らない
一方で速水さんは、「戦争を伝えること」は今後も廃れることはないと見ている。
従軍した方の多くがまだ存命の時代は、その人たちが味わった辛い経験に対して「そうは言ってもあなただって、戦地で酷いことをしてきたでしょう」とは言いにくい。それが事実だとしても、ときに深刻な摩擦が生まれてしまいます。しかし、戦争を体験していない世代が主になって戦争を伝えていこうとするときには、加害体験も含めて、よりフラットな視点で落ち着いて語れるのではないか。戦後75年を経て、そういう時期に差し掛かっている気がしています。
そしてステレオタイプ化されていない戦争を体感するには、「ひとつを深く掘るのではなく、横に進めていくこと」が大事なのではないかと速水さんは言う。
たとえば『戦争は女の顔をしていない』を読んだら女性兵士だけではなく、スターリン時代について調べてみるとか。ひとつのテーマを深く掘り進んでいくのではなくて、太平洋戦争について何かを見たら「こんなことが起きていたのは一体どんな時代で、どんな人たちが生きていたのだろう?」とか、斜めや横に関心を広げていくといいのではないでしょうか。あとは先入観を持たずに受けとめることです。コミック版『戦争は女の顔をしていない』の読者の感想の中には「スターリン時代のソ連だから、女性たちは共産主義に洗脳されていたんだろう」というものがありました。これこそが予断と言えます。
簡単にわかろうと意気込まず、先入観を持たずに読んでみると、捉え方や感じるものが変わってくるのではないか。小梅さんの描く絵は、その作業をするのにとても向いているんです。登場する女性たちはとてもかわいく描かれているのですが、「馬車で道を行ってるときに、そのドイツ兵の死体を踏んづけたらすごく気持ちが良かった」ということを言ったりする。それを非難する目線ではなく、淡々と描いているところに、この作品の価値があると思います。