私はこの夏、上京してきました。理由は親からの自立でした。
じゃけど、これは表向きな部分です。
うちら親子の関係は表向きは仲良い親子、仲良い家族でした。でも、実際は親からの虐待、親からの監視に日々耐え、生きるのがしんどかった。学校から言われたこと、親から言われたことは絶対だと思い、従いつつも苦しかった。
そんな考えを、大きく変えたのは、今年の夏の沖縄旅行でした。
ひめゆり平和祈念資料館に行き、沖縄戦の話を聞き、胸が苦しかった。自分と同い年の女の子たちが国に言われたことを守り、命を落とした。中には生きてることを恥だと思い、自ら命を落とす人もいたそうだ。
アメリカ軍の捕虜になると、ひどい目に遭うと、事実と違うことを言われてた女の子たちはそれを忠実に守り、捕まるのは恥だと思い、亡くなっていったそうだ。
沖縄戦だけの話じゃない。今、日本が行なってる教育、親の教育はそんなもんばかりだと思う。そして、沖縄でのもう一つの経験を通して、私は私らしく生きていこう、自分の意思をもって生きようと心に決めた。
それは、今、沖縄で起きてる辺野古の問題だ。
私は、辺野古の問題を甘く見てた。実際、辺野古に行き見た光景は衝撃だった。おばあちゃん、おじいちゃん、みんなが機動隊や警備の人に必死になって訴えてるあの顔、あの声は私を動かした。
実際に一緒に座り込みをさしてもらった。演説は食い入るように聞いて、私も必死に訴えた。行く前は、「ごぼう抜き」なんて言葉すら知らなかった。機動隊に排除されるのが「ごぼう抜き」だと知って、どーにか時間を遅らせられるように踏ん張った。
その日は工事を15分遅れさすことができたそうだ。
地元の人たちは、1日3回、工事車両が入る時間に、生活の合間を縫って抗議に参加するそうだ。この現実を私は知らなかった。他人事だと思い、過ごしてた。
おばあちゃん、おじいちゃんの気持ちを聞き、機動隊の人の気持ちも他のメンバー(Colaboで一緒に合宿に参加した女の子)が聞いていたのを後から聞いた。
機動隊の人も働かなきゃならない。夢を持ってなったはずの職業。私はこの事実を国の総理が知ってて、それでも辺野古の基地建設を進めてるのに腹が立った。ひめゆり、辺野古の問題を通して私は、大人の権力、大人の言うことを全て鵜呑みにするのは違うのだと思った。
日本は、声を上げることや、市民の意見が尊重される国であるはずなのに、日本政府がしてることは違う。声を上げた人が「間違っている」とバカにされる。そんなことはおかしい。
私はこれからの人生、自分の考え、自分の生き方を自分らしく貫いていく。確かに難しいと思うけど、自分自身の生き方を尊重できる人が増えてほしい。
私が大人たちに伝えたいのは、大人が全て正しいなんてことはないんだよってことです。親が責任をもって育てる義務があるからといって、子どもの気持ちを無視したり、言いなりにさせるのはおかしい。私はそういう大人が大っ嫌いです。
でも、私みたいにまだ未成年だと、契約にも大人がいるんです。嫌でも親に連絡して許可をもらったり、大人が必要な世界なんです。
だからと言って、意思を尊重しないのはおかしいです。親の背中を見て育つのが、当たり前じゃない人もいるんです。親との距離を完全にとったほうが安心して自分らしく生きられる人だっています。
今私はそういうことをできるようになりました。
大人にとって、私たちは単なるおもちゃにすぎませんか? 都合のいいように縛って、生き方を狭めて。誰でも自分の意思をもって生きる権利はあるんです。
子どもは誰でも、大人の言いなりになるなんて、思ってるのは間違いです。たまには、意見を聞いたりしてみてください。
私もこれまで、たくさんの大人の方と関わってきました。たくさん学ばしてもらって、たくさん悩んで、たくさん泣いて。そうやって大人からも得たことはたくさんあるんです。全部大人が悪いわけじゃない。嫌いだけど大事な存在なんです。
頭ごなしに決め付けるんじゃなくて、全てをこーだって決めるんじゃなくて、大人の知恵、子どもの知恵、たくさん、たくさん悩んで、出して欲しいんです。間違ったら暴力じゃないんです。一緒に悩んで一緒にまた笑ってほしいんです。
大人たちに伝えたかったのをまとめると、まだ見たことない世界を見てください、ということです。