タイトルがすでに気持ち悪いが、解答欄には「勘違いされたり痴漢冤罪でつかまらないように気を付けて」「満員電車だったら犯罪ではない」「故意でなければ犯罪にはならない」「バレないようにやりなさい」などのコメントが並んでいた。
次に出てきたのが、「電車の中で女性の匂いを嗅いだら逮捕? 新たな痴漢手口で冤罪のリスクは」という探偵事務所のブログだった。そこではあるバラエティー番組の中で元警察関係者が「体にさわらない痴漢行為」としてそうした手口を紹介したことに触れ、「相手を見るだけでも痴漢になる『ただ見ただけ痴漢』時代が来てしまうのではないかという発想」を東京都の迷惑防止条例に照らして考察。「厳密に言えば痴漢ではないと思われるが、新たな火種ができそうだ」などと煽っている。中学生がこの記事を見たのかはわからないが、ネットの情報なのかなと思った。
「告ハラ」という言葉も初めて聞いたので、調べてみると「男からの愛の告白はセクハラなのか」(ダイヤモンド・オンライン、17年8月23日)というネット記事がアップされていた。そこには「『告ハラ』は女性にとって脅威である」という小見出しとともに、「愛する人に想いを告げることは、何にも変えがたい尊い行為である。しかし、その愛の告白を不快だと思う女性がいる」「なかには、『セクハラだ』と感じる女性もいるようだ」と書かれている。
その具体例として、知り合ったばかりで、ほとんど顔見知りレベルの男性から突然告白された女性の「自分の気持ちを成仏させたいだけの、相手の気持ちを1ミリも考えない身勝手な告白は、暴力そのものですよ」という言葉と、上司にいきなり告白されて「断った後にギクシャクして、仕事に支障が出ています。自分勝手過ぎますよ」という女性の言葉を紹介している。
この女性たちが不快な思いをし、問題にしているのは「相手の気持ちを考えない男の身勝手さ」や、「断った後でも気を使わなければならない負担や苦痛」である。しかし、この記事の筆者は、告白がセクハラになりうるのは「強制的に相手との関係性を作る行為」であり、「性的な関係も含めた未来のビジョンが含まれる」ものであるからだと推察している。その上で、「大人の告白には、『資格』がいる」「告白する時点で、二人の関係はすでに煮詰まっていなければいけない」とし、途中経過をすっ飛ばして高リスクな告白をする「ピュアなおじさん」にはなってはならないと、的外れな論を展開している。
思いつきの言葉が社会も騒がす
この記事はツイッターでたちまち拡散され、その日のうちにまとめサイトやブログなどで「男が女に勝算のない愛の告白をする『告ハラ』が横行……女性にとっては精神的な負担と物理的な恐怖を与えるセクハラ」「【悲報】キモ男が女に告白することは『告ハラ』であることが判明ww」「『告ハラ』という新たなハラスメント言葉が登場」「ピュアおじさんが女に勝算のない愛の告白をする『告ハラ』が横行中ww」などという記事が次々と作成された。
数日後には方々のWebメディアも「いきなり告白するとセクハラになる? 今話題の『告ハラ』ってなんだ!」「勝算のない告白はセクハラか 『告ハラ』で大議論」などの記事が公開され、「脈のない女性へいきなり告白すると、セクハラになってしまう」「交際が始まるオーソドックスなパターンの一つに、『男性が女性に愛を告白する』というものがある、ところが、これを根底から否定するような告ハラという新たな概念が登場し……」などと煽っている。
ツイッター上では、「告ハラなんて初めて聞いた」「いつの間に想いを伝えることが罪になる時代が来たんだ」「こんな新概念ができたらさらにハードルが上がって若い男子が可哀そう」「その発想そのものが女から男に対するセクハラ」「告ハラを考えた人は、妄想で頭がいかれたブスだろう」「なんでもかんでもハラスメントで息が詰まる」「ブス女から告白されるのも告ハラ」などの反応があり、「これは新しい男性差別だ」「セクハラだ」と主に男性が騒ぎ立てていた。
元になった記事を書いたのは男性のライターで、調べてみると記事の公開前に「とりあえず、告ハラって言葉をつくってみた」「何でもかんでも社会問題化することに定評のある僕ですが」などとツイートしていた。
「告ハラ」は女性が告発し、問題化した言葉ではなく、筆者が勝手に作り上げただけの言葉だったのだ。私はこんな軽々しい言葉がたった3週間で、あたかも女性が告発したハラスメントの一種であるかのように全国紙に掲載されてしまうことこそが社会問題だと思う。
男が「女性による男性差別」を作る
この記事に反応したのは、男性だけではない。ある女性ジャーナリストは「男性の一方的な告白だけ『告ハラ』と呼ばれるには、恋愛に対する考え方の違いも絡んでると思った」「安易にハラスメント認定するのもどうかと思う」「告ハラというセンセーショナルな言葉に、多くの男性が衝撃と反発を感じている」などと語り、エキサイトニュースに「なぜ男の無謀告白は“告ハラ”と呼ばれてしまうのか?」(スマダン、17年8月29日)という記事を書いていた。
彼女の記事には、好意を抱いていない男性からの告白によって女性がどんなに「迷惑を感じた」かということが多く紹介されていたが、男女の恋愛に対する感覚の違いが根底にあるとして話をまとめているのが残念だ。本当に問題なのは男の無謀さではなく、女性の気持ちを考えない行為であり、それによって女性が不安や恐怖を感じたり、気を使わなければならない状況への配慮が無いことであるはずなのに。
ネットには、根拠のない言説が、あたかも事実であるかのように書かれている。何が事実なのか情報をどう判断すればいいのか、何が差別で、何が暴力なのかを大人も学び、子どもが学ぶ機会を作っていかなければ、誰かに煽られるがまま、本当かどうかわからない不安や被害妄想によって左右される社会になってしまう。
男性が自ら「女性に告白する」行為自体がセクハラになりうるという言説を作り出し、新たな社会問題であるかのように語り、それが女性による男性差別であるかのように拡散され、その影響を男子中学生が受ける。そこに女性も加わって、女性差別が助長されている現状を、私は笑って見てはいられない。