男が傷つく「女尊男卑」の時代
2017年9月15日の朝日新聞朝刊「声 若い世代 こう思う」という読者投稿欄に、「男が傷つく『女尊男卑』の時代」というタイトルの文章が掲載された。投稿者は15歳の中学生で、おそらく男の子らしい署名。今の時代に男尊女卑だと言う人は「本気で言っているのだろうか」という意見を語っていた。
その理由として、「電車内で女性の髪の匂いをかぐのは迷惑防止条例違反、という議論があったそうです」とし、「好きな女性に告白しただけでセクハラになるという『告ハラ』や、女性優先の『レディースデー』というサービスが、男性を弱くしている」という。そうして、女性を守るためのルールが男性を傷つけ、女性が得をするように変わっているので「見直すべき」と主張する。
中学生がこのような意見を持っていることにショックを受けたが、前回の本コラム「援助交際を『性犯罪の抑止力』と考える若者」で取り上げた女子高校生と同様、暴力と権利をはき違えた考え方をする若者と出会うことは少なくない。この中学生は「男性を弱くしている」と語っているけれど、もしかしたら彼は「男は強くなきゃいけない」と誰かに教えられ、女性に対して暴力的であることや、自分勝手なふるまいをすることが「強い男だ」と思わされているのかもしれない。
彼らは、どのような大人に囲まれて育ち、どこから得た情報の影響を受けているのかを、私たちは考える必要があると思う。そして、「それは間違っている」と教え、正しい知識を伝える責任が大人にあると思う。だから日本における男女の不平等の歴史や、今も続く現状を解説することなく、彼の意見をただ掲載した朝日新聞の無責任さにもがっかりした。
日本は男女平等が実現した社会か
イミダス時事オピニオンに寄稿された上智大学教授の三浦まりさんの「あなたも今日からフェミニスト」(17年9月15日)では、大学で学生たちに「性差別を感じることは?」と聞くと、男子学生は映画のレディースデーや女性専用車両を逆差別だと受け止めていたり、女子学生も就活を始めるまで日本では男女平等が実現していると信じて疑わない人のほうが多かったり、「ほとんど気づいていないのが実態」と指摘されている。私も友人から「今の時代は男女平等」と言われたり、母親からは「昔はもっとひどかった。女性は会社でお茶くみをさせられたけど、今の時代は差別はなく、女性も活躍できる」などと言われることがあるが、日本社会が男女平等を実現しているとは思えない。
16年に世界経済フォーラム(WEF)が発表した、経済・教育・政治・保健の4分野から男女差を比較した報告書「ジェンダー・ギャップ指数2016」で、日本は144カ国中111位、主要7カ国と呼ばれるG7では最下位だった。これについて、朝日新聞も「日本は教育や健康の分野では比較的格差が小さいが、経済と政治の両分野は厳しい評価を受けた。国会議員における女性比率で122位、官民の高位職における女性の比率で113位、女性の専門的・技術的労働者の比率で101位とされた。過去50年で女性の首相が出ていないことも、低評価の一因だった」と書いている(朝日新聞オンライン、16年10月26日)。また、16年の経済協力開発機構(OECD)の「男女賃金格差」調査でも、日本は加盟34カ国中2番目に格差が大きかったことが判明している。
安倍晋三政権は「女性活躍推進」をうたっているが、女性が正社員として就職することは男性以上に厳しく、仕事に出るため子どもを預けたくても保育園は不足。育児や介護、家事労働の多くを女性が担い、男性と同じように活躍するための土壌が整っていないのに、女性が男性のように仕事をすることを「活躍」という言葉でごまかし、求めているのが現政権だ。
経済的な問題だけではない。
選択制夫婦別姓が実現していない日本では、婚姻の際にはどちらかの姓を選ばなければならず、9割以上で女性が改姓している。結婚したら相手の男性の姓になることを当然と思っている人は、子どもから大人までたくさんいる。結婚すると妻が「家内」や「奥さん」「嫁」と呼ばれ、家事ができないことは女性の恥だとされる一方で、その家の主であるかのように「主人」と呼ばれる夫は家事ができなくても恥だと責められることはない。
結婚した女性は、夫の「家」のものであるかのように扱われることも多い。私もパートナーの父親に、「うちにも働く嫁が欲しいなあ。いつ、うちのものになるんだ?」などと、「俺のグラスに酒を注げ」というしぐさをしながら言われたことがある。そして、そういう人ほど「自分は差別主義者ではない」と言いたがる。
女性が生きやすくなることの意義
「イクメン」という言葉が流行すれば、「男が仕事も家事もしなければならない時代」と、男はつらいよ的なメッセージが男性から発せられる。不倫が表沙汰になれば女性ばかりが責められ、性被害を告発すれば女性が叩かれる。児童買春については「売る子どもが悪い」とし、買う側の存在には目も向けない。
先日、朝日新聞の「オトナの保健室」で私が子どもや若年女性の性の商品化を批判した時には、その反論として「女性に相手にされない、モテない自分は性的弱者なので、そのくらい許してほしい」という男性の意見が取り上げられた(17年6月20日夕刊「性の対等なんて無理」)。
暴力をふるう、差別をする側の意見と、被害を受ける側があたかも対等であるかのように扱われるのはおかしいが、「中立」という言葉で対等性を見失い、本質を見えなくさせるメディアは少なくない。その結果、冒頭の中学生のように、権利擁護を差別と捉えたり、誰かを傷つけるような行為を権利として主張したがったりする男性が生まれていると思う。
女性が生きやすくなることは、男性も生きやすくなることであるはずだ。女性が安心して産休や育休を取れるようになることで、男性の育休も取りやすくなる。女性の賃金が上がれば、夫となった男性も仕事を休む時間を増やせるかもしれない。女性が性被害について声を上げ始め、女性への支援が広がりつつあることで、声を上げる男性被害者も出てきたことで、支援の必要性も理解され始めてきた。
しかし、それを受けて「男だって被害を受けているのに、女ばかりが被害者ぶるな」などというずれた反論をしたがる人がいる。男女にかかわらず、人権侵害や暴力からすべての人が守られるべきなのに。
若い女性にセクハラしておきながら、「すぐセクハラって言われちゃうからな。男が生きづらい時代だよ」「ちょっとからかっただけ」「可愛がってやろうと思った」などと言い、本当は自分が優位な立場にあるにもかかわらず、わざと「下」であるかのように表現することで自分の行為を正当化しようとする中年男性もよくいる。が、多くの場合、自分の立場や無礼な行為に無自覚であったり、開き直っていたりするからたちが悪い。
好きな女性への告白はセクハラ?
冒頭の中学生は「電車内で女性の髪の匂いをかぐのは迷惑防止条例違反、という議論があった」とか、「好きな女性に告白しただけでセクハラになる」といったことを男性が生きづらいことの例にしていたが、どこでそんな議論があったのだろうかと思い、調べてみた。
「電車 髪の匂い」でネット検索すると、トップにヤフー知恵袋の「電車の中で女子の髪の毛の匂いをクンクン嗅ぐのは犯罪でしょうか?」「満員電車で女性の髪の匂いを嗅ぐのって犯罪ですか?」「満員電車の中で、女性の髪の匂いをついつい嗅いでしまいます(特に人妻・高校生の)」などの質問が出てきた。