先日、子どもの貧困対策として立ち上げられた「子供の未来応援国民運動」の1周年の集いが開催された。その会合で、安倍晋三首相が子どもたちへのメッセージとして次のような文章を発表した。
「日本の未来を担うみなさんへ」
あなたは決してひとりではありません。
こども食堂でともにテーブルを囲んでくれるおじさん、おばさん。
学校で分からなかった勉強を助けてくれるお兄さん、お姉さん。
あなたが助けを求めて一歩ふみだせば、そばで支え、その手を導いてくれる人が必ずいます。
あなたの未来を決めるのはあなた自身です。
あなたが興味をもったこと、好きなことに思い切りチャレンジしてください。
あなたが夢をかなえ、活躍することを、応援しています。
平成28年11月8日
内閣総理大臣 安倍晋三
内閣府のホームページに、「会合では、安倍内閣総理大臣から子供たちへのメッセージをいただきました。このメッセージは、支援の現場で、子供たちに寄り添い活動いただいている方々を通じて、直接子供たちに届け、語りかけていただくこととしております」と書かれているが、これを読んで私は、貧困の中を生きる子どもたちや、今関わっている中高生に、こんなこと私は言えないと思った。
中身のない、すっからかんのポエム的なメッセージ。政府が責任を持って対策に取り組むような姿勢や期待を感じられず、絶望する気持ちにもなった。しかも原文では、「安倍晋三」という文字が本文の3倍の大きさで一番大きく書かれており、目を引く。伝えたいのは文章の中身ではなく名前なのかとすら思えた。
「助けて・やってみたい」と言えない社会
これまで本連載でもお伝えしてきたように、私は活動を通じて、貧困の中を生きる中高生たちと日々出会っている。第9回の「『やってみたい!』と言える環境、機会の格差」にも書いたが、この政府の運動には当事者目線が欠けていると以前から感じてきた。例えば、内閣府ホームページの「私が受けられる支援は?」をクリックすると出てくる情報もわかりづらく、貧困の中にいる子どもたちが情報を得たり、活用できたりするものになっていない。日本における子どもの貧困率が6人に1人となっている今、政府が現状を理解し、本気でこの問題に取り組む姿勢が求められている。
貧困の中で「助けて」と言えたり、「やってみたい」と思えるような環境がない中、何事にも興味のないふりをして過ごすことで身を守ろうとしたり、夢をあきらめて現実的に生きようとしている子どもがたくさんいる。大学へ進む選択ができることを贅沢なこととうらやんだり、そんな考えを持つことすらできなかったりする人、学費や給食費、修学旅行費を用意したり上履きを買うために売春し、「生きるためにはそうせざるを得なかった」と語る中高生がいることも、これまでこの連載でも伝えてきた。
国が子どもの貧困に取り組むのは、歓迎というか、当然のことだ。が、これまで政府は、貧困を家庭や個人の努力の問題、自己責任としようとしたり、格差を広げたりするような、格差の上のほうにいる人ばかりが得をするような政策を進めてきた。安倍首相も「苦しい思いをさせているみなさん、すみません。すぐにはできないかもしれないけど、そういう社会をつくります」と宣言してくれたらいいのに、政府や大人の責任を語らず、「助けを求めて一歩ふみだせ」「好きなことに思い切りチャレンジして」と言うことは、子どもたち側へ「今後も努力するように」と言っているように感じられる。
首相のメッセージから感じること
このメッセージには、政府が自分たちの政策を反省することもなく、子どもの貧困問題に対してどんな対応をするのか、どう努力するのかということは一切盛り込まれておらず、ただ「応援する」ということだけが書いてある。なんて無責任なんだろう。運動が始まってまだ1年で、ようやく支援団体への助成を開始するというような段階で、よくそんなことが言えるなあと思った。
そういうことが許される、成り立つ社会ではないのに、「未来を決めるのはあなた自身です」と、貧困の中にいる子どもたちに言えてしまうこともがっかりした。その言葉が、「自己責任でよろしく」と言われていると当事者に感じさせるかもしれない、という配慮や想像もできないのであれば、その程度の現状認識しかないのだろう。
家に帰れず路上をさまよったり、ビルの屋上や公園で段ボールを敷いて寝泊まりしたりしていた中高時代の私が聞いたら、鼻で笑うだろう。「手を差し伸べてくれるおばさん? お兄さん? どこにいるんだよ」「助けを求めて一歩ふみだせとか何様なんだよ」と思うだろう。興味があることや好きなことに思い切りチャレンジなんて、お金や、安心して過ごしたり眠ったりできる場所、信頼できる大人との関係性や生活の基盤がなきゃできないのに、ふざけんなって思うだろう。
貧困や虐待など、困難な状況を生き抜いてきた中高生たちには、本質を見抜く力がある。多くの大人や現実に傷つけられ、いろいろなことを考えたり、そうやって身を守るしかなかったりしたため年齢以上に達観した物事の見方をしている人も多い。そんな子どもたちがこのメッセージを見たら、がっかりし、大人への憤りや、あきらめの気持ちを強くさせてしまうのではないだろうか。
安倍首相は「貧困の中に生きる子どもたち」を自分のイメージアップのために利用しようとしているのではないか、私たちは利用されているのではないか、と感じる人もいるかもしれない。ひねくれている、と思うかもしれないが、そんなふうに政府や大人を信頼できない状況をつくったのは誰なのか考えてもらいたい。私もひねくれ者であるのかもしれないが、このメッセージが発表された集いが、ふかふかの絨毯が敷き詰められた官邸で、スーツを着こなした人たちによって行われたことにも違和感があった。
「変わらないなあ」「降りてきてほしいなあ」と思ったものだ。
資金はまだまだ足りていない
この運動は政府、地方公共団体、経済界、マスコミや支援団体などの関係者が発起人となって始まり、1周年の集いには「子供の未来応援基金」の助成団体も招待されていた。そのため私もご縁を持つ、子どもに関わる支援者たちが参加していた。彼らによると、案内状に安倍首相との記念撮影があることが書かれており、首相は自身のあいさつと記念撮影の間のみ出席し、このような発言をしたそうだ。(以下、首相官邸ホームページより)
「子供の未来応援国民運動」が本格始動してから、1年が経ちました。いよいよ、『子供の未来応援基金』による、子供たちのための活動が全国で始まります。御寄附をいただいた皆様に、改めて感謝申し上げます。
様々な困難を抱える子供たちがいます。その勉強を助け、食事を出し、あるいは、落ち着いて居られる場所を用意する。そういった活動を支援団体の皆様に、是非、続けていただきたい。
支援に当たっては、御縁のあった企業や個人の方々からも協力をいただいていると聞いています。このような支援団体の皆様の活動が続けられることによって、地域における支援の輪が広がっていきます。
さらに、この基金の支援を受ける団体同士がつながる。
支援団体と寄付してくださった企業や個人がつながる。
このような『つながり』によって、子供たちをより良く支えるための気付きが得られ、新たな協力者と出会えるようになる。そんな広がりを期待しています。
全ての子供たちが、その生まれ育った環境に左右されず、夢に向かって頑張ることができる社会を、皆様と一緒につくり上げていきたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。」
これまで首相自身が国会などで、日本には貧困問題がないかのような発言をしたり、貧困対策に取り組んでこなかったことを振り返ったり、首相という立場で具体的に何をするのかということには一言も触れず、ここでも「そういった活動を支援団体の皆様に、是非、続けていただきたい」と、地域や市民の努力にまかせるようなことを言っている。
「一緒につくり上げていきたい」と言うが、そもそもこの基金の財源は民間からの寄付である。政府がやったのは、「呼びかけること」だけ。しかも広報のために2億円以上の税金を使ったが、2015年10月に基金を立ち上げてから5カ月間で、集まった寄付は2000万円にも満たなかった。