「伝統的安全保障」という決まり文句
ワシントンの安全保障の専門家・研究者との面談では、次のような意見が出た。
「有事の際にどのように北朝鮮や中国に対応するつもりか。その点をもっと十分に検討する必要があるのではないか」「HA/DR(ハーダー。Humanitarian Assistance/Disaster Relief:人道支援・災害救援活動)の側面のみにしか注目しないのでは一面的である。“伝統的安全保障”の観点にももっと目を配るべきではないか」
軍事力をすべての中心に据えて議論をする「ワシントンの専門家」らしい意見である。
「伝統的安全保障(Traditional Security)」とは、ある国に対する軍事的脅威に対し、軍事力を中心としたハードパワーを用いていかに対処するかに焦点を当てる安全保障である。特に、北朝鮮のミサイルがメディアを騒がせている時期でもあることから、そのような北朝鮮による危機の場面について、また、中国との紛争について、どのように対処するのか、との質問が安全保障の専門家の間から上がった。
もっとも、その「中国・北朝鮮の脅威対応」について、私たちはNDの研究会で嫌というほど議論をしてきた。本報告書にも検討結果を記載している。
現行の日米合意履行後に沖縄に残るとされるたった2000人の海兵隊実戦部隊では北朝鮮や中国との大規模紛争の際に、十分な対応はできない。「有事」への対応であれば、2000人のために新たな基地を作るより、アメリカ本国からの大規模な部隊の来援を受け入れる基盤を作っておくことの方がよほど重要である、と。
「2000人はどう動くのか」「アメリカ本国から受け入れる基盤を整える方がよほど大事では」と投げかけても、研究者たちからは具体的運用についての説明はなく、「いずれにしても、一つそこに基地があることで、有事における対応がより容易になる」との回答ばかりであった。
各部隊を平時および有事でどう動かすべきかについて細かく研究してきた私たちの議論からすると、一般的なイメージ論からの意見が目立った。特にそこには、現行の日米合意の結果、どのような軍が沖縄に残るとされ、その役割は何であるか、といった細かい分析はなかった。
ペンタゴンの東アジア担当アナリストとカフェで3時間議論
シンポジウムに参加していた国防総省の東アジア担当アナリストと、その数日後の昼下がり、お茶をしながらゆっくり語り合う機会を得た。この報告書の提言について、またそれにとどまらず、さまざまなアジアの安全保障環境について3時間以上、カフェの片隅で喧々諤々議論をする。
彼女の意見もやはり「伝統的安全保障」の観点によるもので、「海兵隊はHA/DRに限らずどのようなミッションにも対応できるようにできている。中国でも北朝鮮でも」「沖縄だけで物事を考えちゃだめだよ。“地域全体”という大きなピクチャーで物事をとらえなければ。HA/DRや沖縄の海兵隊といった個別の事象だけの整合性で軍隊というものは回っていないんだよ」といった意見であった。
また、私たちが、シンポジウムにおいて、辺野古工事により絶滅してしまうかもしれない海洋哺乳類「ジュゴン」を、大きなジュゴンの顔写真を使ってパワーポイントで紹介したことについても、「ああいう写真は使うべきじゃない(筆者注:安全保障の政策提言においては)」といったワシントンらしい意見ももらった。
どのようにも逃げられる安全保障論
これまで、沖縄からのワシントン訪米団に何度も同行し、こういった専門家に対し沖縄の方々が反対意見を述べるところに何度も同席してきた。
沖縄の方々は、民主主義や環境・人権の観点などから基地反対の気持ちを伝える。
そういうとき、こうした安全保障の専門家は、「あなた方の気持ちはわかるが、安全保障上の必要性からは辺野古基地建設は致し方がないのだ」といった感じで話をすることが多い。「安全保障の細かい話はあなた方にはよくわからないでしょう」といったように。
だからこそ、今回、安全保障の細かい話に対応しますよ、と専門家を二人も連れて、3年間も研究した結果を持ってワシントンに乗り込んだのである。
しかし、こちら側が安全保障の議論に徹しているにもかかわらず、安保の専門家と言われる人たちは、「一つ基地があった方が、有事の際に対応がしやすい」「沖縄だけを見るのではなく、アジア・太平洋といった地域全体で物事を見なければ」という以上の話をしてくれないのである。
もとい、もう少しその様子を丁寧に記すとしても、彼らの意見は「北朝鮮や中国に対抗するためにはここに基地があることが重要である」「普段は人道支援をやっているたった2000人の実働部隊であっても、有事対応をする必要が出てきたときにはいないよりいた方が良い」ということに尽きるのである。
具体的に、有事の際に、どの部隊がどこに移動し、どんな役割を担うのか、とか、アメリカからは何千人が来援する、とか、そういった安全保障上の具体的な説明はまったくなかった。
一般論として、そういう意見が存在することはもちろん理解するが、そこに「専門家」としての細かい分析や熟慮を感じ取ることはできなかった。
要は「沖縄の声を聞こうとする姿勢があるかないか」
「基地があった方がいい」というのは、軍の立場からすれば当然である。使える基地は多ければ多いほど良いに違いない。日本政府がすべての建設費用を出して、「プレゼント」してくれる新しい基地を断る必要はまったくない。
しかし、こちらの緻密な議論に比べて、相手の議論の粗さが目についた。
「中国と北朝鮮の脅威があるから、辺野古に基地が必要」
それだけであれば、安全保障の素人でも語れる。
多くのアメリカの専門家たちと繰り返し議論する中で私がたどり着いた結論は、「要するに、沖縄の反対の声を聞く姿勢があるかないか、ということに尽きる」ということである。沖縄の声を聞く気がなければ、辺野古の基地が必要、という理由付けはどんな角度からでもできる。逆に、沖縄の声を聞く気になればそれを実現するための選択肢はあるのだ。
細かい話をしようとしても、「伝統的安全保障の視点によれば……」との大上段の議論で切り返され続けた末に、私の至った結論はこれであった。なお、帰国後に報告したところ、報告書執筆陣の一人である柳澤協二氏(元内閣官房副長官補・ND評議員)もまったく同じ意見であった。
これから
今回の提言は、日本のリベラル派・左派からは、軍隊の「あるべき運用」を検討するものとして批判も浴びている。辺野古基地推進派から批判されるのは当然のこと、本来はサポートしてもらえる可能性の高い辺野古基地反対派からも批判が出ることを甘んじて受ける覚悟でまとめた報告書である。
特に、「軍事的な視点からしか物事を見ようとしないアメリカの専門家向けの報告書を作る」、この点に注意を払いながら研究を進めてきた。
その点では、今回の挑戦においては、まずは最低限の目的は達成できたように思う。
この報告書がなければ、国防総省のアナリストと3時間も話し込むこともかなわなかっただろう。