「アンチエイジングという言葉はもう使わない」
アメリカの女性誌『アルーア(allure)』(コンデナスト・パブリケーションズ)の編集長が、同誌のウェブサイトでそう宣言したことが世界で話題となっている。「編集長からの手紙」と題された文章で、ミッシェル・リー編集長は「アンチエイジング」について以下のように述べている。
「私たちは、『加齢とは戦わなくてはならないもの』というメッセージを密かに助長しています。抗不安薬やアンチウイルスソフトや、防カビスプレーのように」
「言葉には力があります。たとえば40歳の女性がいたとしましょう。私たちはついこう言ってしまうのではないでしょうか。『彼女とても素敵だね。40歳には見えない』『彼女、中年の女性にしてはとても美しいね』。これからは、こう言ってみてはどうでしょう。『彼女、とても美しくて魅力的な人だね』」
https://www.allure.com/story/allure-magazine-phasing-out-the-word-anti-aging(外部サイトに接続します)
脱アンチエイジング宣言をした『アルーア』9月号で表紙を飾るのは、イギリス人女優のヘレン・ミレン(72歳)。
「美しさは若者だけのものではない」
「年を重ねるのは悪いことではない」
ごくごく、当たり前のメッセージだ。しかし、この「当たり前」が大きく歪められているからこそ、多くの人がリー編集長のメッセージに感銘を受けたのではないだろうか。
考えてみれば、女性誌には「老い」を否定するような脅迫系広告が溢れている。
「とにかく1歳でも若く見える努力をしなければ生きる価値がない/女ではない」
多くの女性誌を貫くのは、「地球の重力に限界まで逆らえ!」というメッセージだ。そうして誌面には「若返り」を謳った高額なコスメがずらりと並ぶ。女性誌がそのようにして女性を追いつめる一方で、世間も「若くて可愛い」枠から外れた女性に多くの場合、冷たい。この国で「若くない女性」として生きていれば、誰もが一度は「女は若くないと価値がない」という暴力的な価値観に晒されたことがあるはずだ。世に溢れる広告と、自らの経験から「若さ」の呪縛に縛られてしまう女性たち。
最近も、独身・彼氏なしのアラフォー女友達数人と話していて、まさにそんな話題になった。A子は30代後半で婚活中なのだが、婚活サイトで声をかけてくるのは「還暦を過ぎたバツイチ」ばかり。一方、婚活中の同世代男性はというと、20代ばかりを狙っている様子。そんな彼女は自虐的に言う。
「もうすぐ40なのに、20代と同じアピールをしても彼氏ができるはずがない」「そんなことをしたら『ババア何やってんだ』と引かれるに決まってる」「だけど、年相応の振る舞い方がわからない」
「わかるわかる」――A子の言葉にみんなが頷き、そうして話題はいつも「若い女にしか目が向かない日本人男性とつがいになるのは無理ではないか」というところに着地する。その次に出る台詞も大抵決まっている。「もう外国人しかいないんじゃない?」「そうそう、フランス人とか!」「だってフランス人だったら、若くなくてもひどい扱いしなさそう!」
若さのみを求める日本人男性への憤り→外国人男性は?→フランス人!
今まで、さまざまな女子会で何度も目の当たりにしてきた展開である。心の中でこっそり「必殺! 困った時のフランス人」と名付けているほどだ。が、本当にフランスではそのような「若さ至上主義」がないのだろうか。と思って私と同じ40代前半のフランス人男性の友人に聞いてみたところ、彼は日本の「若さ信仰」に大いなる不満があるそうで、「日本のアンチエイジング熱は異常!」「フランス人は若いからいいなんてちっとも思わない!」「人間には年相応の魅力がある!」「日本は変!」と熱弁をふるってくれたのだった。
が、一人の意見では心細い。ということで、フランス人女性の書いた本を読んでみることにした。ジャーナリストのドラ・トーザン氏の著書で、タイトルは『フランス人は年をとるほど美しい』(2015年、大和書房)。そのままズバリな、若くはない世界中の女性にとって非常に耳触りのいいタイトルである。
東京とパリを行き来しているという著者は、のっけから飛ばしまくる。何しろ「はじめに」の1行目から「女はボルドーワインと同じ。時間を経て美味しくなる」だ。
フランスで生まれ育ち、「年齢なんて関係ない」という価値観の中で生きてきた彼女は、日本に来た当初の戸惑いを正直に綴る。
「パーティーにいけば『おいくつですか?』と聞かれ、新聞や雑誌の取材記事には年齢を掲載され、日本ではどこにいっても年齢、年齢、年齢……。いったい何なの?」
そうして彼女は、「フランスでは正しく年を重ねた女性が美しいとされ、モテるのです」と書く。が、「正しく年をとる」って?
「簡単よ。自由に生きる。自分らしく生きる。我慢しない。わがままになる。いつまでも女であり続ける。美味しいものを食べる。アムール(愛)を忘れない。たったこれだけ」
こう聞くと、簡単そうではある。が、読み進めていけばいくほど、日本とフランスの社会的なインフラの差や意識の違いになんだか打ちのめされていくのだ。
まず、余裕が違う。最低2週間のバカンス。5週間とる人もザラにいる。一方で、長期休暇などとれない日本の労働環境。そんな日本人に彼女は言うのだ。
「でも、フランスはあれだけヴァカンスを取っていてもGDPは世界第5位です」「フランスの労働時間はとても短いですが、生産性は世界で2番目」「でも、長時間労働が当たり前の日本の生産性は低いのです」
フランス人にこう言い切られてしまうと、返す言葉もない。
それ以外にも「前提」の違いが次々と浮き彫りになる。「パックス(PACS ; Pacte Civil de Solidarité)」と呼ばれる、“事実婚”でも子育てができる環境。出産奨励手当から子育て手当までさまざまな手当が充実し、育休手当は当然父親にも支給される。子どもが増えれば税金は安くなり、育児手当は子どもが20歳になるまで出る。母親は法律で3年間の育休がとれるうえ、職場に復帰したら同じポジションに戻れる。育休をとらずに仕事を続ければ、ベビーシッターや保育ママの援助がある。しかも3~5歳の子どもが通う公立の幼児学校は無料。政府の援助はあらゆるケースが想定され、「ヨーロッパで一番手厚い」と言われている。
出生率が上がるのも納得だ。そうしてカップルは、子どもがいても二人の時間を大切にし、子どもを預けてデートに出かける。週末の朝には、男性がパン屋にクロワッサンを買いに行き(その間、女性は寝て待っている)、ベッドの上でブランチするのが「パリスタイル」……。
かたや日本の場合はどうか。「我慢すると老化する」と題された章で、彼女は日本人女性を描写する。
「独身時代は自分の時間を犠牲にし、やりたいことを我慢して仕事、仕事、仕事。結婚して子どもが生まれたら今度は育児に熱中。そして、ある日、夫とはセックスレスになっていることに気づき、女としての自信を失う。わたしの知っている、特に頑張っている日本人女性には多いタイプかもしれません」
そして多くの場合、夫や彼氏は週末の朝にはクロワッサンどころか、連日の長時間労働で疲れ果て、ボロ雑巾のように寝ていることだろう。
著者は日本人女性が「自分らしさ」にブレーキをかけている理由を「役割を演じてきたこと」に見いだす。例えば長女だったら姉の役目、結婚してからは○○さんの奥さん、子どもが生まれたら○○ちゃんのママ、孫ができれば○○ちゃんのおばあちゃん。
「役割を演じ続けるだけの人生を送れば『年をとるほど、老け込む』のは当然。だって、中年のおばさん、還暦を迎えたおばあさんという歳になったら、そのように演じなければいけないのですから」
確かに、この国では「年相応に生きろ」という圧力があらゆる場面で働いている。「○歳になったのだからそろそろ結婚しろ」「もう○歳なんだから年甲斐もなくそんな恰好をするな」等々。そうして結婚したり母になった途端、役割以外を「捨てろ」という圧力を全方向からかけられる。この国の多くの女性が「年を重ねる」ことにポジティブなイメージを持てないのは、この辺りのことが大いに関係しているのかもしれない。
だからこそ著者は、週に一度でも「役割」を脱ぎ捨てることを勧める。妻でもママでもなく、仕事とも離れた「一人の女性」。
本を読みながら、「若さ」を称賛されることが苦痛だった20代の頃のことをふと思い出した。
必殺! 困った時のフランス人
(作家、活動家)
2017/09/06