物欲に象徴されるように、いつからか、どんなに望もうとも手に入らないものは「なかったこと」にしてきた。そのほうが心をかき乱されなくて済むから。苦しまなくて済むから。だけど、彼女はいつも都市生活者として正しく欲望している。それが東京に生きる者の資格であるかのように、次々と快楽を渇望している。
そんな「東京」で、彼女は「雨宮まみ」としての居場所を得た。戦線から離脱することなく、書き手としての地位を確立した。
本書を読みながら、思い出したことがある。
フリーターの頃、北海道に帰省するたびに、帰りの飛行機に乗る直前、お腹が痛くなったこと。新千歳空港までわざわざ送ってくれる母に、いつも空港の薬局で痛み止めの薬を買ってもらい、飲んだ。居場所もなく、取り替え可能な激安労働力としてしか私を必要としない東京。そんな場所に戻ることを、身体が拒否していたのだと思う。
薬を飲む私を見るたびに、「帰ってくればいいのに」と母は言った。だけど私はいつも「絶対帰らない」と首を横に振った。本当は、帰りたかった。「帰ろうかな」という言葉がいつも喉元まで出かかっていた。だけどそれを口にすると泣き出してしまいそうで、そうしたら今まで我慢していた全てが崩れてしまいそうで、絶対に言えなかった。それほどに、私は「何か」になりたかった。その「欲望」だけは、自分でも手に負えないほどのものだった。
そんなことを何度も繰り返して、いつからか、私は東京行きの飛行機に乗る前、腹痛を起こさなくなっていた。腹痛を起こしていたことさえ、『東京を生きる』を読むまで、忘れていた。いつから私は、痛み止めを飲まなくても、東京に「帰れる」ようになったのだろう。
そう思って、気づいた。物書きになって、数年経ってからのことだった。なんとなく、やっていけるかもしれない、と思い始めた頃。そして自分の居場所が、ここに居ていいと思える関係性ができつつあった頃だった。
そんなことを思い起こさせてくれる雨宮まみさんの文章は、書き手としての私の背筋を、いつもスッと伸ばしてくれる。
会ったこともない彼女が私の中で「特別」だったのは、なんだか東京で共に闘う「同志」のような気がしていたからだ。そんな人がもうこの世にいなくて、彼女が書いたものがもう読めないと思うと、ただただ、純粋に、悲しい。
だけど、私はこれからも、彼女の残したたくさんの言葉たちに救われることを確信している。
次回は2月2日(木)の予定です。
雨宮まみさんの一読者として
(作家、活動家)
2017/01/05