エッセイスト、ライターの雨宮まみさんが、2016年11月15日に亡くなった。40歳だった。
私は彼女と一面識もない。ただの一読者である。が、苗字が同じ「雨宮」で同世代(私は彼女より一つ年上)であり、物書きという同業者でもある彼女に、勝手にシンパシーのようなものを感じていた。
読者と言っても、今まで読んだのは『女子をこじらせて』(2011年、ポット出版)と『女の子よ銃を取れ』(2014年、平凡社)だけだ。が、2冊しか読んでいないのに、2冊ともこの連載に登場している。それほどに、彼女の文章は私に「わかるわかる!」「よくぞ言ってくれた!」と共感の嵐をもたらすものだった。
例えば『女の子よ銃を取れ』の巻頭「主役になれない女の子たちへ」で、彼女はテレビ番組『ビューティー・コロシアム』について、書いている。一般公募者が整形などをして「キレイになる」あの番組だ。
その中で、彼女は変身前の応募者に、司会の和田アキ子さんが「心のあり方」を説くシーンに触れる。「整形しか救いがない」というストーリーを作る一方で、ただの虚栄心で「綺麗になりたい」というのは感心できないというメッセージを発し、「心が素直じゃないと美しくなる資格はない」のダメ押し。そうして彼女は書くのだ。
「この『美に対する意識』は、なんなのでしょう。ただ単に『美しくなりたい』だけの美の追求は『悪いもの』『虚栄』で、かといって美の追求をしないのは『女として自然ではない』『間違ってる』『努力が足りない』。強烈なダブルバインドです。
この上限も下限も決められた状況で、心から素直に、身の程をわきまえて、欲望で発狂しない程度に、そしてやる気をすべてなくしてしまわない程度に『綺麗になりたい』なんて思える女が、いったいどれだけいるのでしょうか」
「こんな見えない上限や下限を、女の欲望を急き立て、制限する壁のようななにかを、マシンガンでぶっ壊せたら爽快(そうかい)だろうと思いませんか」
『女の子よ銃を取れ』の表紙には、マシンガンを構えた女の子のイラストが描かれている。
そんな雨宮まみさんはもともとAV(アダルトビデオ)ライターだったわけだが、なぜ、仕事にするほどAVに深入りしたのかは、彼女の半生を綴り、「こじらせ女子」という言葉を生み出した『女子をこじらせて』に詳しい。
「それはひとえに私が『女をこじらせ』ていたから、と言えるでしょう。AVに興味を持ったとき、私は自分が『女である』ことに自信がなかったので、AVに出ている女の人たちがまぶしくてまぶしくてたまらなかった。『同じ女』でありながら、かたや世間の男たちに欲情されるアイコンのような存在であるAV女優。かたや処女で、ときたま男に間違えられるような見た目の自分。そのへだたりは堪え難いほどつらいものでした。
私は、女であることに自信はなかったけれど、決して『男になりたい』わけではなかったし、できることなら自分もAV女優みたいにキレイでやらしくて男の心を虜(とりこ)にするような存在になりたかった。当時はAVを観ていると、興奮もしたけれど、ときどきつらくて泣けました。世間では花ざかりっぽい年齢の女子大生なのに、援助交際で稼ぎまくってるコもいるのに、自分は部屋にこもってAV観て一日8回とかオナニーして寝落ちして日が暮れてるんですから、そりゃ泣きますよね。泣くっつーの!」
「女子をこじらせて」には、このようなこじらせエピソードが赤裸々に綴られている。思春期にスクールカースト低めで過ごし、恋愛などは「自分には『許されていない』」と思い込んでいた日々。「やおい」(ボーイズラブ)にハマるオタクとして、さらに下がるカースト。そんな彼女が大学生で処女を喪失するまでや、そこからの、恋愛やセックスや欲望や承認、そして仕事と「女であること」の葛藤などなどが怒濤の迫力で綴られている。
貪るように「女子をこじらせて」を読んでいる間、私はなんでも話せる親友ができたような気分の中にいた。「わかるわかる!」と盛り上がり、時に泣き笑いしながらお互いの青くて痛い経験を「ネタ」に昇華させつつ、成仏させるためのマシンガントークをしているような。そんな読書経験は初めてで、だからこそ、雨宮まみさんは私の中で「特別」な書き手だった。
訃報を聞いてしばらくしてから、彼女の私小説エッセー『東京を生きる』(2015年、大和書房)を読んだ。福岡県出身の彼女が18歳で上京し、東京で過ごした年月が、地元で過ごした年月を上回っていく日々を綴ったものだ。北海道から18歳で上京した私も彼女と同じく、36歳で東京生活が地元で暮らした年月を超えた。
「はじめに」の文章は、以下のように始まる。
「実家のある九州から飛行機で羽田空港に、羽田からリムジンバスで新宿に帰る。
首都高に乗ったリムジンバスから、オレンジ色に光る東京タワーが見える。
毎年、年明けにその光景を観るたびに『今年も帰ってこれた』と思い、ほっとする。
東京は、私にとって『ここでなければならない街』だ。
ここに戻ってこれなければ、私はもう生きることができないのと同じ、戦線を離脱したのと同じだという思いがある」
地方からなんらかの覚悟を持って上京した人間であれば、この文章に身悶えするほど共感するのではないだろうか。さらに読み進めていくと、彼女が故郷・福岡に複雑な思いを抱えていたことがわかる。
「絶対に帰るもんかと思った故郷。有名になって、みんなを見返せるようになるまで帰るもんかと思った故郷。そうならなきゃ恥ずかしいんだって、出ていった者の面目がないんだって、思っていた故郷。憎くて、憎くて、大嫌いで、懐かしい、あの、田んぼしかない故郷。白鷺の飛ぶ故郷。野良猫が車に轢かれて死んでいる故郷」
読みながら、「自分の過去の日記が公開されている」錯覚に陥りそうになった。「とにかく何者かにならなくてはいけない」という強迫観念に取りつかれて、崖っぷちみたいな気持ちで上京してからの10年近い日々のことを、強烈に思い出していた。
生まれ育った北海道が嫌だった。とにかく脱出したかった。いい思い出なんか全然なくて、学校でも、それ以外のコミュニティーでも常にカースト下位で、「自分が受け入れられなかった」という敗北感と、あそこにいたらいつまでも「いじめられキャラ」でいなきゃいけないことが耐えられなくて、逃避のように憧れ続けた東京。だけど、18歳で上京した私はどこにも必要とされなくて、気がつけばフリーターになっていて、いつも貧乏で、それなのに街には欲望を刺激するものばかりが溢れていた。
「持っていないこと」がどこよりも惨めになる東京で、同時期に上京した女の子たちは、気がつけばみんな風俗で働くようになっていた。裸になって性的サービスを売る友人たちはブランド物のバッグを持ち歩くようになり、私は彼女たちと友人でいることをやめた。同じようなものを欲しがり、同じように「消費」しないと友人関係が維持できないことがわかっていたからだ。そうするためには、友人たちが会うたびに勧めるように、自分も風俗で働くしか選択肢はなかった。
たぶん私はその時、自分を守るために「消費」という戦線から離脱したのだ。
それからは、東京の街でどれほど物欲を刺激されるような場面に出くわそうとも、あまり欲望を感じなくなった。モノ全体に対して興味がなくなり、服やバッグなどのブランドも「自分には関係ないもの」となった。絶望的にお金がなかった私にとって、選択肢はそれしかなかった。そしてフリーターではなくなり、少しばかり自由に使えるお金が増えても、私に「物欲」が戻ることはなかった。そうして今に至っている。
だけど、雨宮まみさんは違う。
「心の底から『これが欲しい』と思える服はいつも、簡単に手に入れられる値段ではない。合わせるバッグも、靴もないのに、そんな服を持って試着室に入り、着る。ファーのマフラーを外し、分厚いコートを脱ぎ、セーター、長袖、ウールのスカートを脱いで、真夏の薄い薄い素材のワンピースを着る。
外は雪なのに、着られるのは半年も先なのに、持っているお金を全部差し出して買おうとしている」
「命を削って買っている、と思うときがある。
私はフリーで、厚生年金はない。もらえる国民年金の額は、六万円ぐらいだ。
(中略)買い物が楽しいかなんて、私にはわからない。
ぎりぎりのギャンブルをしている人のような、勝つか負けるか、そんな気持ちで買っている」
本書には、7万3000円の服を買った彼女が、その足で「富士そば」を食べる描写がある。めんつゆで汚れた立ち食いそば屋の床に置かれた、7万3000円の服が入った紙袋。そのちぐはぐさが、「東京」を体現している。
『東京を生きる』を読んでいると、自分がいかに欲望を「なかったこと」にして生きてきたかがよくわかる。
雨宮まみさんの一読者として
(作家、活動家)
2017/01/05