しかし、団塊女性たちの多くは、その後、信仰していたロマンティック・ラブ・イデオロギーに裏切られていったようである。信田氏の本には、以下のような記述がある。
「彼女たちが信じた三位一体の結婚生活は、しだいに夫の仕事の後方基地へと変質していった。孤独な育児とともに、守ってもらうどころか夫をケアしなければならなかった。時に夫は浮気をし、責めれば逆切れをされて開き直られたりした」
たとえ浮気や、もしくはDVなどがまったくなかったとしても、孤独な育児や家事ばかりの生活に、多くの団塊女性は失望しただろう。団塊ジュニアの私も、どこかで母の微かな失望を嗅ぎ取っていた。
だからこそ、思っていた。お母さんのようにはなりたくない、と。父親と子どもの世話をするだけの人生なんてまっぴらだと。
母親は、まるで自分の人生の不全感を取り戻すかのように、私が10代の一時期、過剰な期待をした。成績優秀であることを求め、いい高校いい大学に入り、いい仕事につき自立することを求めた。しかし同時に、「自分と同じように生きること」も求めた。一人の男性に選ばれ、添い遂げることが「女の幸せ」と信じて疑わなかった。
しかし、私は小さな頃からそんな物語は嘘だとどこかで知っていた。結婚や男に自分の人生を根底から歪められるなんてまっぴらごめん、と思っていた。それは多くの団塊母たちに、失望の匂いを嗅ぎ取っていたからかもしれない。
結局、母親とは衝突を繰り返した。あれほど衝突した背後には、今思うと、団塊女性の失望も深く関係しているように思うのだ。団塊女性の世代感覚について、信田氏は「あの深い絶望にも似た裏切られ感は、それ以前にもそれ以降にもない独特のものだという気がする」と書く。
「こんな果実が味わえますよ、この道をまっすぐ行けばどんどん風景は美しくなりますよ、絵に描いたような幸せは本当にあるんですよ……、団塊世代の女性たちはこのような言葉を信じたのである。信じたからこそ、幻想だと知ったとき深くやり場のない思いが彼女たちを襲った。女性であることを呪ったかもしれないし、夫を恨んだかもしれない」(前掲書)
先に書いたように、団塊ジュニアで40代の私は独り身、子なしだが、団塊女性たちの多くには、「結婚しない」「子どもを持たない」という選択肢などほとんどなかった。クリスマスケーキになぞらえて、25を過ぎたら「いき遅れ」などと言われた団塊女性の30代前半の未婚率は9.1%。が、団塊ジュニア女性の30代前半の頃の未婚率は32%。3倍以上だ。
団塊世代が若かりし頃、「女は結婚したら仕事を辞める」のは当たり前で、「結婚せずに働き続ける女」や「結婚しても働く女」の椅子など、一部職種を別にして、そもそも用意されていなかった。「女の人生」は今よりもずーっと幅が狭く、「どんな男と結婚するか」で恐ろしいほど左右され、「ハズレ」を引いてしまっても、離婚に踏み切ることすら難しかった。「経済力」という壁が何をするにしても立ちはだかり、生殺与奪の権限は、常に夫や夫の家が握っていた。
母に限らず、団塊世代の女性たちの人生を、私はずっと理不尽で、とてつもなく窮屈だと思っていた。だからこそ、男に人生丸ごと預けたくなんかない、と強く強く、思った。
こんなことを書きながら思い出すのは、フリルやレースやパッチワークなんかがたくさんある実家のリビングだ。母は『クロワッサン』(マガジンハウス)や、インテリアの雑誌とかが好きで、家には昔から料理や家事の本がたくさんあった。だけど、母が料理も家事もそんなに好きじゃないかもしれないことを、私は30歳を過ぎたくらいに初めて知った。同時に、この世代の女性には、料理や家事の雑誌くらいしか「逃げ場」がなかったのかもしれない、とも思った。
女性の選択肢が、今よりもずーっと少なかった時代を生きてきた団塊女性たち。彼女たちは今の娘世代、その下の世代を、そして「#MeToo」の動きなんかをどんなふうに見ているのだろう?
はからずも、太田理財局長が思い出させてくれた友人のキラーワードから、今、親世代の女性たちの軌跡に思いを馳せている。そうして、友人の母が冒頭の言葉を娘に吐かれたのって、今の私と同じ年くらいなんだよな、とふと思って、戦慄している。
次回は3月6日(水)の予定です。