「お母さんなんて、お父さんしか男知らないくせに!!」
この言葉は、私がこれまでの人生で耳にした、もっとも強烈なキラーワードだ。聞いたのは、高校生の頃。発したのは女友達だ。友人の家に遊びに行った際、「部屋を片付けろ」とか「勉強しろ」とか定番の「小言」を始めた母親と言い合いになった友人が、「お母さんなんて!」と言い、一瞬の間を置いて、叫んだ。
それを聞いた瞬間の友人母の表情を、はっきりと覚えている。驚愕と、怒りと、悔しさと恥辱。そして勝ち誇った表情の友人の顔も。いや、いくらなんでも、それはいくらなんでも言っちゃいけないやつでしょ……? そう思ったけど、私は「行こ」と家を出る友人に付いて行くことしかできなかった。
友人とは、幼稚園の頃から仲が良かった。よって彼女の母親も、幼稚園児の頃から知っていた。いつも豪快で優しいオバサンが、はっきりと「女として」傷ついた顔を見て、見ちゃいけないものを見た気がした。
高校生だった友人の母親は、その時点でおそらく40代。しかし、いわゆる友人の「経験値」は、高校生にして母親より高いのだった。
北海道の片田舎の女子高生だった友人は、北海道の片田舎の少なくない女子高生がそうするように、地元に赴任していた自衛隊員と付き合い、また別の自衛隊員と付き合い、それから地元の美容師と付き合ったりして女子高生ライフを楽しんでいた。団塊ジュニアの私たちが女子高生だったのは1990年代初めで、女子高生ブームがまだ始まっていない頃。普段は「友達親子」っぽい感じで、何でもあけすけに話す友人と母親の間では「娘の彼氏」の話題ももちろん語られていて、そんな状況を受けてか、母親は母親で夫が「初めての相手」であることを娘に話していたらしい。
が、そんな「なんでも話す友達親子」であることが、娘の思わぬ反撃を招いた。「女」として、ナメられてしまったのだ。
突然そんなことを思い出したのは、森友学園の問題で、財務省の太田充理財局長が集中審議に呼ばれた際、「それはいくらなんでも、それはいくらなんでも!」と繰り返すのを見た瞬間だった。
「いくらなんでも!」
その言葉を媒介にして私の記憶の回路が突然繋がり、友人のパワーワードが蘇ったのだ。
もう一つの理由は、ここ最近、「子どもにどのような性教育をすればいいのか」と悩む同世代の人々の声を聞いたこと。現在40代の私は独り身・子なしだが、周りには少数ながら子持ちもいる。そんな子持ち友人たちは「#MeToo」ムーブメント盛んな昨今、まだまだ子どもは小さいのに「息子を性犯罪者にだけはしたくない」「女性を傷つけるような男に育てたくない」「フェミな男になってほしい」と口にしつつ、しかし、どんな性教育をすればいいのかわからないと言うのだ。そのたびに、考えてみれば自分たちは学校でも家庭でも「マトモな性教育を受けて来なかった」という話になる。
自分たちが団塊世代の親から言われたことを要約すると、「ヤるな」「ヤラせるな」「妊娠したら人生オワリ」のみだったし、学校でもそれは同じ。翻って、ヨーロッパの性教育なんかの話を聞くと、まず教わることが「セックスは素晴らしいコミュニケーション」ということだというし、「やるな」という禁止ではなく、親の方も子どもがある程度の年齢になったら性体験をすることを当たり前に受け入れている。
そのために避妊や性感染症を始めとして、自分を守り、相手を傷付けない方法が教えられる。合意しているかしていないか、意思表示の大切さなどについても教えられるというから日本とのあまりの落差に言葉を失うではないか。
子連れもいる同世代の女子会でそんな話をしていたところ、一人が言った。
「そもそもうちの親、童貞・処女で結婚したっぽいんだけど、そういう人に子どもにちゃんと性教育しろって言っても無理な気しない? 親自身がマトモな性教育を受けてるわけでもないんだし」
その言葉に、一同深く、頷いた。そうして冒頭の言葉を思い出したという次第である。
だけど、「お母さんなんて、お父さんしか男知らないくせに」というのは、高校生だった頃の私たちが少なからず共有していた感覚でもあった。真偽のほどはわからないし、実際に母親に向かって言うことはないものの、女同士で話している時に、そんな話によくなった。
例えば母親たちの多くは、女子高生の娘に「自分を大切にしろ」とよく言った。それは暗に「すぐヤラせるな」という意味だった。究極の理想はやはり「結婚するまでヤるな」。もったいぶってじらして自分を高く見せて、できるだけ条件のいい男にゲットさせろ、というような意味。そうやって母自身が生きてきたのだろうことを、娘たちはなんとなく知っていた。
そうして母親たちは、自分がしてきたのと同じことを娘たちに求めた。一人の男性に見初められ、(できれば処女で)結婚して、添い遂げる。何かの信仰のように、母親たちが「それこそが女の幸せ」と信じている節は日常の様々な場面から垣間見えた。
しかし、当の母親たちが幸せそうなのかと問えば、はなはだ疑問なのだった。何より、母親がそのような手を使ってゲットした相手は自分の父親であり、その父親はと言えば、女子高生の目からは「テレビの前で野球見ながら放屁するオッサン」でしかなく、なんか、なんかお母さん、「一人に見初められて添い遂げる」ってすごくいいもののように言ってるけど、お母さんはこの人生でよかったの? 私たち子どものために我慢してるんじゃないの? という思いがどこかにあったからだ。
そうしてそんな団塊女性の子どもが生きる世界は彼女たちが思春期を過ごした頃よりずっと性が商品化され、「性に奔放であれ」というメッセージが溢れ、子どもの一部は実際に性生活を謳歌しまくっているのだ。そしてそんな子どもに対し、「ヤるな」ということしか言えない団塊世代の姿に、当時からいろいろと限界を感じていたのである。
さて、先に団塊母の「信仰しているもの」について書いたが、これには名前がついている。「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」だ。団塊女性について書かれた信田さよ子氏の『母・娘・祖母が共存するために』(朝日新聞出版、2017年)には、以下のような説明がある。
「しかし多くの団塊女性はしぶしぶ結婚したわけではない。ロマンティック・ラブ・イデオロギー(RLI)への信仰も大きな駆動力となっていた。これは恋愛と性と結婚の三位一体を基本とする考えで、多くの映画や青春小説、ディズニーのアニメなどによる『白馬の王子さま』に愛されてたった一人の男性と添い遂げることが至上の幸福であるという幻想を信じて、彼女たちは結婚に踏み切ったのである」
本書によると、この国でお見合い結婚と恋愛結婚の数が逆転したのは団塊女性たちが結婚する少し前の1960年代半ば。私が生まれた75年にはお見合い結婚は30%台にまで減少し、恋愛結婚は60%強まで増加していたという。
「言うなれば、友達同士、価値観を共有する男女が恋愛から結婚に至るというコースが王道となったのである。お友達同士で年齢差もない関係(友愛的コミュニケーション)によって成立する家族は、当時ニューファミリーと呼ばれた。核家族で子ども二人といういわば標準家族は、サラリーマンの夫、専業主婦の妻、郊外のマイホームなどという要素から成り立っていた」(前掲書)
我が家も恋愛結婚した自営業の父と専業主婦の母(結婚前は銀行の受付)、そして3人の子どもからなる家族だった。両親の年齢差は、3歳。