しかし私の場合は、20数年前とはいえ自分自身の発言なのだ。いくらそれが「自殺未遂者」として、デビュー前の自分が受けたものだと言ったところで、何もできないのではないか。
しかし弁護士に相談すると、デマではない場合でも、法的な問題になる場合があることを知った。その言葉を聞いた瞬間、真っ暗闇の中、わずかな光を発見したような気持ちになった。こんなバカな自分でも、少しは守られるかもしれないのだ。法的な対応ができるのだ。なぜもっと早く相談しなかったんだろう。そう思った。
2019年10月28日付の朝日新聞記事「ネットの中傷、被害深刻 実名さらされた子、外出もできず 」によると、ネットの中傷・トラブルとしてよくある相談例は〈1 現実でのいざこざ ・いじめ ・特定の企業・人物をおとしめるため、ライバルがデマ・悪評を投稿 2 過去の行為 ・暴走族に入っていた過去や「バイトテロ」をした事実が残り続ける……〉だという。
私の場合、まさに過去の言動だ。
それに対してこの1年以上、「徹底総括しろ」などと、まったく知らない人たちからネットで言われてきた。それに対してどうすればいいのか、本当に困り果ててきた。
私自身、今は猛省している。だけどどうすれば「総括」できるのか、どうすれば今は違う、変わったと証明することができるのかと悩み続けてきた。というか、そもそも「総括」とはどうしたら「できた」と認めてもらえるものなのだろう。土下座したら? いや、それとも自殺すればいいのか? 本当に本当に、何度も考えた。今の仕事をすべてやめて「雨宮処凛」と名乗ることもやめ、まったく別の生き方、別の仕事をするしかないとも考えたし、「もう日本にいられないから、どこか別の国に行くしかない」とも考えた。
それでもまだ、弁護士に相談なんてできなかった。自分にそんな資格はないと思ってたし、自分よりずっと大変な目に遭ってる人がいるとも思った。人から見たらきっと「そんなことで」と笑われると思った。それ以上に、自分がそんな目に遭っているのが恥ずかしくて、情けなくて、すべては身から出た錆だということも惨めすぎて、誰にも知られたくなかった。だけど22年前の自分の発言は、取り消すことができないどころか拡散され続け、多くの人を「許せない」と怒らせているようなのだ。
「総括」という言葉で思い出すのは、1972年に起きた連合赤軍事件だ。「総括」の名の下にリンチ殺人などが行われ、十数人が死亡している。あの事件において「総括」を求められ、生き残れた人はほぼいない。ほとんどが「総括が足りない」と極寒の冬山の野外で縛られ、また仲間に殴られ、刺され、死んでいった。「総括」は、誰がどうやって何に基づいて「できた」「できない」を判断するのだろう。というか、私に執拗に「徹底総括しろ」と言っている人は、そもそもいったいどこの誰なのだろう?
考えに考えた結果、私は今、45歳の自分を見てもらうしかないと思っている。25歳で物書きデビューし、今年で20年。そんな自分の大きな転機となったのは、2006年、31歳で反貧困運動に出会ったことだった。
それまで、信じられる人なんかいなくて、人間なんて最低最悪の存在で、世の中もすべての人もクソなんだと思ってた。だけど反貧困運動の現場で出会った人たちは、違った。生活に困った人、ホームレス寸前の人、路上生活が長く体調を崩した人なんかに当たり前に手を差し伸べ、鮮やかに支援に繋げるプロたち(しかも多くがボランティア)の姿を見て、世界が180度反転するような衝撃を受けた。生まれて初めてくらいに、私は「この世の中って、人間って、捨てたもんじゃないのかもしれない」と思った。
それから自分も支援に加わるようになってみた。炊き出しの現場で手伝いをしたり、所持金も住む場所も失った人の生活保護申請に同行したり。そしてそんな現場のことを書いてきた。結局、私はそんな活動にハマり、14年間、反貧困の運動を続けている。
こんな日々の積み重ねが、私にとっての「徹底的な総括」だ。
思えば、恥多き人生を生きてきた。というか、恥しかない人生だ。だけど私は知っている。これまでの人生で、一度も非難されるべき言動をしたことがないという人など存在しないことを。その中でも、20代の私はブッちぎりで、手のつけようがないほどに愚かだった。しかし、多くの人が若かりし頃、愚かだったことを知っている。そして人間は、「変わる」ということも。愚かだった人が愚かでなくなることもあれば、素晴らしい人格者が金の亡者になることだってある。人は変わる。20年経てば、多くの人は変わる。そして私は、いい方向に変わりたい。
この経験を通して、改めて、いろいろなことを考えた。
特に今は、ネットにすべての証拠が残る。SNSをたどれば、何をしていたかもわかってしまう。その上、自分の言葉そのものがネットに残る。そして、文脈もすべて無視して切り取られた言葉が、自分に凶器となって返ってくる。今、私はそれを経験している。だからこそ、伝えておきたい。誰かを匿名で貶めたり、デマを流したり誹謗中傷したりヘイト発言をしている人は、その言葉に20年後、苦しめられるかもしれないと。死を考えるほどに追い詰められるかもしれないと。一生、苦しむ可能性があると。
私は自分の発した言葉を、一生背負っていくだろう。一方であの頃の、世界をすべて憎んでいた自分の気持ちも決して忘れたくない。なぜなら、あの死ぬほど生きづらかった時期が、書き手としての自分の原点だからだ。
今日もネットではいろんなことが「炎上」し、誰かが誰かに石を投げている。その石は、もしかしたら次の瞬間、あなたに向かうかもしれない。
次回は3月4日(水)の予定です。