一方で、災害大国である日本に住んでいることを考えると、「いざという時」に頼りにしたいのは自衛隊やレスキュー隊、災害救助のプロである。なんの訓練もせず知識もない口だけの素人を頼るより、よほど生存確率が上がるだろう。
その上、「俺、いざとなったらお前のこと命がけで守るから」などとやたらと強調する男はいろいろと要注意である。「だから今は休んでる」「いざとなったら本気出すから」と「有事」を口実にした怠け者率が高く思えて仕方ないのだ。
そんなことよりも、日常の365日がいかに一緒にいて心地いいか、ストレスがないかが重要ではないだろうか。そして今は、「非常事態の日常」が続いているのである。その中で必要とされるのは、「俺がコロナからお前を守る」という、B29に竹槍で挑むような寝言ではない。毎日の食事作りや掃除洗濯などの家事能力、いわゆる生活力全般だ。「いざとなったら」などと言う前に、だったらまずは飯作れ、という話である。
さて、そんなふうに近しい関係でいろいろなことが剥き出しになったコロナ禍だが、一人暮らしの私が安泰だったかと言えばそんなことはまったくなく、遠く北海道に住む母親といろいろあった。一言でいうと、「母親の恐怖が感染した」のだ。
東京の感染者がうなぎ上りとなり、緊急事態宣言が出た頃から、母はしょっちゅう電話してくるようになった。まだ北海道に第2波が来る前のことだ。「もういらないから」と言って、余った消毒液なんかも送ってくれた。それ自体は非常にありがたいことだ。
が、状況はどんどん悪化していった。4月上旬、安倍晋三首相は、このペースでいけば東京だけで1カ月後には感染者が8万人を超えるという見通しを語り、4月15日、厚労省クラスター対策班は「対策がなければ、全国で最悪42万人が死亡する」という警告を発した。テレビでもネットでも、海の向こうのアメリカやイタリアの惨状を伝えていて、死者が多すぎて埋葬が間に合わないことを伝えるニュースには、棺が山積みになった映像などが映し出されていた。
もし、コロナに感染してしまったら。
何度もシミュレーションしたけれど、絶望的なラストにしか行き着かなかった。テレビにもネットにも、何時間電話しても保健所には繋がらず、明らかに症状があるのに受診できないという人たちの悲鳴が溢れていた。その上、私は喘息持ち。もし感染したとして急激に悪化したらどうすればいいのだろう。しかも一人暮らしの私が入院して意識をなくしたりしたら、猫のぱぴちゃんはどうなる? 簡単に知り合いに手伝いを頼むことができないのがコロナのやっかいなところで、最悪、餓死だ。考えれば考えるほど、最悪の結末しか浮かばなかった。しかも、保健所の対応一つとっても、この国が完全に機能不全を起こしていてまったく頼りにならないのは誰の目にも明らかだった。
そんなふうに私の不安がピークに達した頃、母は「猫とともに北海道に一旦戻って来たらどうか」と提案してきた。来たら2週間は、親戚の家の空き家に滞在すればいい、そこに荷物も全部用意するから、と言うようになったのだ。
しかし、世間では「コロナ疎開」は批判を受けている。もしすでに感染していたら、東京から移動することは感染を広げることになる。でも、コロナは怖い。そんな私に、母は何度も私が「東京にいることが心配で仕方ない」と電話やラインをしてきた。その度に、「今、東京にいる」ことがとてつもなく恐ろしいことに思えてきた。そうして母と電話すると、切羽詰まった口調に心臓がドキドキするようになった。ただでさえ不安なところに、母の心配と不安と恐怖が、そのまま私に感染したように上乗せされて増殖していったのだ。
4月半ば頃、私は眠れなくなった。一睡もしないまま夜が明けた日、「あ、私今、かなりヤバい」と思った。この頃、私はコロナ不況を受けて住む場所を失った人の支援活動などをしていたけれど、それ以外で人と会うことはほとんどなかった。支援活動で外に出れば「今日、感染したかも」と怯える一方で、家にいればいたで「他の支援者たちは今日もボランティアで走り回っているのに私だけ家にいていいのか」と罪悪感に苛まれた。
だけど、コロナは怖い。でも、みんな頑張ってるのに、困ってる人がたくさんいるのに……。不安と恐怖と勝手な罪悪感が、自分の中でどんどん大きくなっていった。
そんな夜を何度も過ごして、そして母には「北海道には行けない」ことを伝えて、しんどい時は電話をとらないようにした。そのうちに、母の不安も少しずつ落ち着いてきたようだった。
今思えば、あの時期、お互い話せば話すほど、不安と恐怖がお互いの中で倍増していた気がする。不安な時は「気持ちを吐き出した方がいい」と言うが、母の口から吐き出される不安の言葉は、そのまま私の不安と恐怖を100倍くらいに増幅させた。一方、母は感染が拡大し続ける東京にいる娘が「戻る」と言わないことでさらに不安を倍増させていたのだろう。
長い時間を経て、緊急事態宣言は解除された。このまま感染拡大が落ち着いてほしいと、切に思う。同時に、あの4月の、生きた心地のしない 日々を決して忘れてはいけないと思うのだ。
そうして、「非常事態の日常」が、まだまだ続いていく。
次回は7月1日(水)の予定です。