ここで、セイファーガイドラインが活躍したある場を紹介したい。
それは08年、北海道の洞爺湖で開催されたG8サミットに反対するキャンプだ。
いきなり「主要国首脳会議」という壮大な話になってしまったが、G8やG7が開催されるたび、開催国には世界中からそれに反対する人々が集まり、キャンプをし、反対運動をするという動きがある。ものすごく簡単に言えば「たった8人(7人)で世界のことを決めるな」という主張で、世界の貧富の差や環境問題などに関心がある人々が世界中から集うのだ。
そんな洞爺湖サミット反対のキャンプに、私もテント持参で参加した。世界中から、いろんな問題意識を持った人たちがやってくるのだ。ぜひ交流してみたいではないか。ということで、キャンプには国籍もバラバラで言葉の通じない人々がおそらく100人以上集まったのだが、この際も「セイファーガイドライン」は大活躍だった。
何しろ、G8に反対してわざわざ海外から日本にやってくるほど、主張の強い人々が一堂に会するのである。言語も違えば生活習慣も何もかも違う。そんな人たちが「反G8」だけを一致点として一つのキャンプに集まり、寝食をともにするのだ。毎食、食事担当がみんなの食事を作り、様々な言語を翻訳しながら会議をし、デモなどに繰り出す数日間。そのような場では当然ルールが必要とされ、その際、「セイファーガイドライン」は皆に共有された。またセイファースペースも準備されていたので、野外のテントでも安心して過ごすことができた。
それだけではない。今から13年前だが、ヨーロッパの活動家にはビーガンの人も多い。よってキャンプによっては(いくつかキャンプがあった)食事はすべてビーガンフードという配慮もなされていた。また、LGBTの人への配慮についても何度も議論が交わされ、キャンプ場内は当事者の意見を取り入れた工夫がなされていた。
もう10年以上前のことだが、「多様性」の中にブチ込まれ、洗濯機でぐるぐる回されたようなあの数日間は、私の中で間違いなく宝になっている。
さて、このように「セイファーガイドライン」は私の中では当たり前のもので、日常的に接する相手の多くもその概念を知っている。
しかし、そんな界隈を一歩出ると、この世は無法地帯。まるで「野生の王国」のような光景に居酒屋なんかで出くわすことも少なくない。
だからこそ、今、広めたいのだ。セイファーガイドラインを一言でいうと、「人の嫌がることをしない」ということに尽きる。当たり前すぎることだが、大人こそ、酒席こそ、そんな当たり前が通用しなくなる。だからこそ、このように明文化し、「何か始まる前」に改めて読み上げられることが大切なのだと思う。それだけで、大きな予防効果がある。「飲む前に、飲む」はウコンだが、飲む前に「読む」「配る」だけでOKなのだからお手軽だ。
もちろん、このようなガイドラインがある場にハラスメントがゼロかといえば、残念ながら答えはノーだ。そしておそらく、このようなガイドラインは、先人たちの大いなる失敗と反省から生まれたのではないかとも思う。しかし、そういうことにみんなで気をつけようという共同体の方が、無法地帯より居心地がいいのは当然だ。
そんな中で15年生きていると、様々な学びがあった。
例えば過激な下ネタを言ったり、酔っ払って目の前にいる男女に「あなたたち、お似合いだから付き合っちゃえば?」なんて口にした人がきっちり怒られる光景を見てきた。もちろん、その場で怒られることもあれば、後日、「ああいうことを言われて不快だった」という告白がなされることもある。そういう言葉がスルーされず、話し合いが持たれるのだ。私自身、酔った男性に嫌なことを言われ、それを相談したところ、後日、人づてに謝罪の言葉をもらったこともある。
そういう一つひとつの積み重ねが、「この場でちゃんと尊重されているんだ」という安心感につながる。セイファーガイドラインがあるだけで、「場」への信頼が高まるのだ。
また、今改めて思う効果は「いじめが起きづらい空気」ができるということだ。どんな集まりでも、立場の高低は必ず生まれる。声が大きかったりリーダー的な存在はどこにでもいる。しかし、ガイドラインを全員が理解している場では、誰も強者におもねらない。「立場が弱い方」が「強い方」に対して「今の発言はおかしい、自分は不快だ」と表明すれば、それがガイドラインに基づく限り、強者であってもしっかり断罪される。
「今のは〇〇さんが悪いよ」「そう、セイファーガイドライン思い出してよ」という感じで、リーダー格であっても非は非として指摘されるのだ。もちろん、そんな場ではみんなすぐに謝る。
人に「おかしい」と指摘し、指摘されたら謝るということへのハードルが思い切り低くなるという効果もある。世の中には、「セクハラだ」「パワハラだ」と言われた途端に逆ギレし、決して謝らない人もいる。そうして事態はこじれにこじれる。が、セイファーガイドラインがある場では、そこまでのハラスメントが起きる前に指摘され、指摘された方はすぐに非を認めて謝る傾向がある。そういう行為を日常的にしているため、日本社会ではなかなかできない「指摘」「謝罪」の練習ができているのだ。
もちろん、万能ではない。どれほど素晴らしいガイドラインがあったって、人間がいる場では問題は起こる。
それでも、いや、だからこそ、ルールは必要なのだ。
あるだけで、読み上げるだけで、少なくない効果を発揮するもの。男女問わず、身を守ってくれる簡単な決まり。
「この場においてハラスメントは許されない」
飲み会の場でだって、そう宣言することはできる。セイファーガイドラインがもっとカジュアルな形で広まったら、飲み会や人との集まりは、もっともっと楽しいものになるはずだ。