さきほど、第一〜第三スペースについて書いたが、設定では、スペースごとに割り当てられた時間も違っている。第一スペースは午前6時から翌朝6時までなのに対して、第三スペースは午後10時から午前6時まで。貧しい人々は「夜の世界」でしか生きられないのだ。北京でコロナに感染した男性は、まさに深夜から翌朝までの労働に従事していた。そんなこともあって、多くの中国人が『折りたたみ北京』を連想したのだろう。
さて、このような格差に対して取りうる態度はそれぞれだ。ある人は「自分も成功しよう」と途方も無い努力をするかもしれないし、ある人は「こんな格差社会、クソ喰らえ!」と鬱憤を募らせるかもしれない。
松本哉氏は、『寝そべり主義者宣言』日本語版の〈解説を兼ねた序文〉で、以下のように書いている。
〈ちなみに現在の中国は、これまでの高度経済成長はさすがに頭打ちになり、低成長時代に突入している。貧富の差も拡大したり都市や地方の貧困問題もあり、多くの社会の歪みも見え隠れするものの、まだまだ「頑張って稼げば成り上がれる」というような金もうけ中心社会の真っ只中だ。そんな時、「これでいいの?」「金と出世のことばっかり考える人生もう嫌じゃない?」という疑問が若者たちの中からチラホラと出始めてきた感覚のひとつが、この「寝そべり主義」。〉
ということで、「チクショーコノヤロー、寝そべってやる!!」というような内容かと思って本文に入ると、『寝そべり主義者宣言』、かなり硬派な内容ではないか。
まず、本文は〈一、序章:大いなる拒絶〉〈二、寝そべり主義者の「同行者」〉〈三、寝そべり主義者の苦境〉〈四、寝そべり主義者の盟友〉〈五、代替性自治区〉の5章から構成されている。
序章はこんな一文から始まる。
〈目の前で起きていることにうんざりして、首を横に振りながら吐き気を催している若者たちは、もうすでに寝そべっているのだ。彼らは険しい生活に打ちのめされてしまったと言うよりも、ただ生命の本能に従っているだけだと言った方がより正しいだろう。休息や睡眠、負傷、死に近い姿勢で、何もかもやり直したり、停滞させたりするのではなく、時間の秩序そのものを拒絶する状態に陥っているのだ。〉
そうして文章は「寝そべり主義」が中国であっという間に広がり、「哲学」にまで発展する中、寝そべり主義者たちへの糾弾が始まったことなど「寝そべり」をめぐる経緯も綴られる。しかし、寝そべり主義者はそんなものには屈しない。「四、寝そべり主義者の盟友」では、以下のように書かれる。
〈寝そべり主義はある社会階層とアイデンティティのコミュニティー間の決裂によって生じたものではなく、全ての労働者階級で生じたものである。(略)寝そべり主義は脅迫と服従を拒絶する人達を繋ぐ、男と女、肉体労働者と失業者、市民と農夫、遊牧民とごろつき、学生と知識人、異性愛者と同性愛者、その他のセクシャルマイノリティ、浮浪者と住宅ローンの負債者……これ以上に心の通じ合った穏やかなゼネストはあるだろうか?〉
同時に、寝そべり主義者は様々なものを「拒絶」する。それは例えば〈搾取と人間性剥奪の労働秩序を築くこと〉〈経済的略奪と文化的なジェノサイド〉〈高騰する家賃と住宅価格〉〈住宅ローンと利息を支払うこと〉などなどだ。中には〈父権制存続のための出産を拒絶する〉という一文もある。
締めの文章は〈我々は意図的に作られた貧しさのなかで互いに争うのをやめる時だ〉という一文から始まり、最後にはこう呼びかけられる。
〈全世界の寝そべり主義者よ、団結せよ!〉
さて、中国で起きていることは、当然日本にも通じる。この国にも、誰もが羨む生活をしている人もいれば、深夜の肉体労働に従事し、低賃金・不安定な生活から抜けられない人が多くいる。中国よりは緩やかと言っても、この30年ほどで開いたこの国の格差も凄まじい。20年の国税庁の調査によると、正社員の平均年収496万円に対し、非正規の平均年収は176万円。今や働く人の4割が非正規だ。
昨年末、上位1%の富裕層が世界の個人資産の4割を保有していることが大きなニュースとなった。が、日本国内だけを見ても、上位2%が個人資産の2割を保有すると言われている。一方で、コロナ以前の19年の「貯蓄ゼロ世帯」は単身世帯で実に38%。コロナ禍での失業・減収などで、貯蓄ゼロ世帯は現在さらに増えているだろう。が、富裕層はコロナ禍でますます豊かになっているというのが世界共通の現象だ。