だけど、そんな中でもBUCK−TICKの新譜が出れば必ず買い、どんどん独自の世界を極めていく唯一無二感に圧倒されていたし、X JAPANの動向は常に大きな関心事であり続けた。
また、HEATHには勝手なシンパシーを抱いていた。なぜなら、もともとのベーシストだったTAIJIは92年はじめ、東京ドーム3DAYSを最後にX JAPANを脱退。X JAPANはこの時、ベーシストを一般公募したのだが、高校生だった私は本気で応募を考えたからである(ベースなんか弾いたことないのに)。このエピソードからも私がどれだけヤバめなファンだったかご理解頂けると思うのだが、そんな私にとって、HEATHはいわば、「私の代わりにステージに立ってくれている人」だったのだ(この認知も相当ヤバいという自覚はあるのでご安心ください)。
だからこそ、HEATHのプレッシャーを常に我がことのように感じていた。なぜなら、あれだけの天才が揃ったモンスターバンドに、絶大な人気を誇ったTAIJIの後釜として加入するわけである。しかも、最初のコンサートが東京ドームで最初のテレビ出演が紅白歌合戦(YOSHIKIの11月11日のXポストより)。こんなプレッシャーを経験した人が、有史以来存在するであろうか? しかもX JAPANには思い入れ強めのファンしかいない。
そんな中、HEATHは常に、それを微塵も感じさせないクールなベーシストでい続けた。
そうしてHEATH加入から6年後、X JAPANのギター・hideが死去。
ひとつの時代が終わりを告げた。私のバンギャ人生にも一度幕が引かれたのがこの頃だ。
それから2年後の2000年、私は物書きとしてデビュー。以降、自分のことで精一杯で、ヴィジュアル系の世界からは遠ざかっていた。
しかし、09年、ライヴハウスに返り咲く。きっかけは、06年に出版した小説『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社、2006年10月)だ。自身のバンギャ時代をモデルとした小説を書いたことでバンギャ熱が再燃、ライヴに通うようになったのだ。と言っても、自分がハマった頃のバンドではない。この頃勢いのあった若いバンドたちである(ヴィジュアル系は1990年代後半で死に絶えたと勘違いしている方も多いが、あれから現在まで、多くのバンドが頑張っていることは強調したい)。
出戻ってまず驚いたのが、アーティストたちが「ヴィジュアル系に誇りを持っている」ということだった。
例えば私がバンギャになった90年代、ヴィジュアル系はどこか「被差別」ジャンルだった。さまざまなメディアから「女・子ども」向けのものだとバカにされ、面と向かって「ヴィジュアル系なんか音楽じゃない。聴いてる奴は顔目当てのバカ女」なんて言ってくるおっさんまで存在したのである(本当に、この通りのことを何度も言われたことがある)。自分の大切なものが否定されることが悔しくて反論したかったけれど、本気で反論したら泣き出してしまいそうで、だからいつもヘラヘラ笑うことしかできなかった。
また、バンドメンバーの中にも「ヴィジュアル系」を蔑称と捉えている人も少なくなく、そう括られることに抵抗を示すこともあった。99年、L’Arc〜en〜Cielが「ヴィジュアル系」と言われて『ポップジャム』(NHKの音楽番組、1993~2007年)の収録途中で帰ったというエピソードがあるが、真相に諸説あるのは置いといて、メンバーが「ヴィジュアル系」という言葉をよく思っていなかったことは事実のようである。
しかし、出戻ってみた世界では、私よりずっと年下のメンバーたちが当たり前に「ヴィジュアル系」への愛を語っていた。それもそのはず、当時の若手バンドはXやBUCK−TICKはもちろん、LUNA SEAやMALICE MIZERなど90年代のヴィジュアル系に憧れて自らもその世界を目指した者たちなのである。みんながヴィジュアル系であることに誇りを持っていることが伝わってきて、すでに30代だった私は、生まれて初めて「おばさん、嬉しい!」という気持ちになったのだった。
もうひとつ衝撃を受けたのは、いい意味で明確に「女・子ども」向けを全開にしているバンドが少なくなかったことである。ファッション雑誌 『KERA/ケラ!』(ジェイ・インターナショナル)から飛び出してきたような、カラフルで可愛くてキラキラな世界。それは漆黒の闇をベースとした90年代にはないもので、当時の中高生に絶大な人気を博していた。ああ、私が中高生の時にこのようなバンドがいたら、もう何も手につかないほど熱狂しただろう――。心から、思った。そうして「女・子ども」の好きなものが全部詰め込まれているような世界観に、当時30代だった私も夢中になった。
90年代との違いはまだまだある。それは参入障壁の低さだ。私が10代の頃は、MVもライヴ 映像も購入しなくては見られず、まずはそのようなものを持っている誰かが友人やきょうだいにいることでしかヴィジュアル系への門戸はなかなか開かれなかったわけだが、それがYouTubeで見放題。90年代後半のような頻繁なテレビ出演はなくなったものの、その代わりに技術の進化によって扉は広く開かれたのである。
それだけではない。「これほどサービスしてくれるのか」ということにも衝撃を受けた。バンドによってはYouTubeで「振り付け動画」なるものを公開してくれているのだ。かつては客席で勝手に暴れてろ系だったのが、バンドメンバーが振り付けを教えてくれるなんて、まさに隔世の感があった。しかも、ライヴに行けばボーカルがみんなの前で歌のお兄さんよろしくひとつひとつ振り付けをしながら歌ってくれるではないか。ファンはそれを真似ればいいのである。