正攻法か「裏道」か
雨宮 私が今、問題だと思っているのは、どんなに倫理観のない人でも、物言いに問題のある人でも、稼いでさえいれば何も文句を言われないという風潮があることです。そうなってきたのって、やっぱり2000年くらいからじゃないでしょうか。それ以前はオピニオンリーダー的な存在の人はもう少しまともだった……というか、少なくともある程度の倫理観は求められていた気がするんですね。それが「俺はこのやり方で稼いでるんだ、なんか文句あるか」と経済的成功に居直る人が増えた。「稼いでいるかどうか」がすべての評価の基準になってしまっている気がします。
伊藤 われわれ自身も、「投資家目線」に毒されてしまっているところはある気がしますね。
私は投資の怖いところは、結局は「他者に対する」ものでしかないことだと思っています。本来、自分が成長するためには、一生懸命勉強するとか仕事をするとか、自分自身に投資する必要がある。でも、金融投資というのは金銭的な見返りはあっても、自分自身の社会的な成長にはつながりません。
「投資家目線」で考える人たちは、たしかに経済にはある程度詳しい。でも、実際には経済といっても短期的な市場動向を見ているだけに過ぎません。だけど、それでちょっと儲かると、「どの企業が成長するか俺には分かるんだ、世の中のことは全部知ってるんだ」と、自分がすごく偉くなったように錯覚してしまうんじゃないでしょうか。
雨宮 時々耳にする「経済を回す」なんていう言葉は、まさにそういう感覚なんでしょうね。
それとつながるんじゃないかと思うのですが、最近、炊き出しや生活相談会に来る人たちを見ていると、「情弱(情報弱者)だと生きていけない」という感覚が広がっていると強く感じます。炊き出しや各種支援団体、スポットワークなどの情報をすごく細かく集めてネットで共有しているだけでなく、「ポイ活」や電子マネーをもらえるようなゲーム情報にも詳しくて、そういうものをライフハックとして活用している感覚というか。そういう人に生活保護利用を勧めても「自分はこうして情報を集めて福祉の世話なんかに頼らず生きてる」という感じの反応で。スマホがそれほど普及していなかった15年前の「派遣村」の時代にはなかった光景です。
伊藤 かつての「2ちゃんねる文化」には「情報強者」という言葉がありました。「情報強者」であることが、社会的弱者であることからの巻き返しみたいなイメージになっているんですよね。「社会的には弱者でも、情報においては強者だ」と、変なプライドを持っている人も多いんじゃないでしょうか。
雨宮 実際に、そうした情報──ライフハックが、彼らにとっては本当に命綱になってますしね。
伊藤 その意味では、しばしば「冷笑系」と横並びに語られるけれど、ちょっと違うタイプなんじゃないかなと思うのが、24年の東京都知事選で2位になった石丸伸二氏ですね。彼は、ひろゆき氏などとは違って、ライフハックは意外に口にしないんです。元銀行員ですから金融についてはスペシャリストのはずですが、投資を勧めることもしない。代わりに「勉強しなさい」とか「仕事を頑張りましょう」とか、ものすごく正攻法のことを言うんです。
雨宮 地道に努力しろ、と。なんだか、逆に新しく聞こえますね。
伊藤 そう。だからそれが受けたんじゃないでしょうか。今、「正攻法で頑張れ」って言ってくれる人ってなかなかいないでしょう。特に、非正規のように流動的な雇用で生きている人には、自己成長を促してくれる上司もいないわけですから。
雨宮 なるほど。「まともに努力しても報われない」社会が何十年も続いてきた果てに、「いや、努力したらちゃんと報われるんだよ」と言ってもらえるわけですから、特に若者からしたら「神」に見えるかもしれません。
伊藤 だから、実は石丸氏は「冷笑系」ではないんだと思います。TikTokの動画を見ていても、意外と熱血系ですよね。
雨宮 「冷笑系」ばかり見てきてむなしくなった人たちが石丸氏に熱狂したところもあるのかもしれないですね。
伊藤 それもあるんじゃないでしょうか。ただ、社会保障によって自分たちが救われるということに対する信頼がまったくなくて「自己責任」を重視する考え方は、石丸氏も「冷笑系」といわれる人たちも共通していますよね。そのうえで、正攻法で頑張るのか裏道で稼ぐのか、というだけの違いなのかもしれません。
アメリカの「反リベラル」との違い
雨宮 「冷笑系」や石丸氏を支持している人たちの中心的な年代層はどの辺なんでしょうか。