伊藤 そうした「目立たない」貧困や生きづらさも含めてちゃんと貧困問題に向き合う。そういう形でリベラルというものを再定義していかないと、どんどん「リベラル嫌い」は増えるばかりだと思います。
雨宮 そのときに、「弱者支援」とか「弱者」という言葉は使わないほうがいいのかな、ということも最近考えています。「弱者」と言われたときに、「あ、自分のことだ」って思う人っていないじゃないですか。たいていの人は「自分は弱者だ」とは思いたくないから。
伊藤 イギリスのトニー・ブレア政権がかつて、右と左の中間を行く「第三の道」というものを提唱しました。その中で彼は、社会保障というもののあり方自体を転換させたんですね。つまり、「弱者支援」から「社会的投資」へのパラダイムチェンジをしようとしたんです。
「弱者支援」と言ってしまうと、「弱者」という一部の人への支援ということになりますが、「社会的投資」はそうではありません。「もう1回勉強したい」と考えた人、あるいは何か事情があって本来の力を発揮できないでいる人なら誰でも「国による投資」として、たとえば職業訓練プログラムを無償で受けることができる、という施策をとったんです。結果的にこの取り組みは「成功」といえる結果にはならなかったのですが、考え方自体は重要なのではないでしょうか。
雨宮 今はこれだけみんな「投資」が好きなんだから「自分に投資してくれる」という言い方は刺さりそうですよね。
伊藤 そう。企業ではなくあなたの人生に、国が投資する。そういうものとして社会保障を再定義するわけです。それによって、社会保障のあり方だけではなく、投資というもののあり方も変えることができるんじゃないかと思うんですね。
雨宮 民主党政権のとき、厚生労働省の「ナショナルミニマム研究会」に参加させていただいていたんですが、そこでまさにその「投資」的な考え方の話が出たことがあります。今ロスジェネ世代の就労支援・職業訓練などにこれだけお金をかければ、将来生活保護利用者がこれだけ減る、という試算をもとに議論をしたんですね。そうしたら、今少しお金を使えば、将来の支出が圧倒的に抑えられることが分かった。すぐ自民党政権に戻ったこともあって、あそこでの議論はほとんど生かされないままになってしまったんですが、あの話は実はすごく重要だったんじゃないかと思います。
伊藤 そうですね。ブレア政権では、「社会的排除」という言葉も大きなテーマになりました。ただ経済的に貧しいだけでなく、人間関係や社会関係から排除されてしまっている状態を指す言葉で、「貧困」よりもかなり広い範囲を指す概念です。日本でもいわゆる「貧困問題」への取り組みにとどまらず、そうした、幅広い人たちに向けた施策のあり方を考えていくべきなんじゃないでしょうか。
雨宮 そうですね。もっとみんなが、「貧困」だけではなく社会全体のあり方について考えることにもなると思います。
伊藤 明日食べるものもないというような貧困状態に陥っているわけではないけれど、社会からふわっと排除されてしまっている「ふんわりした貧困」の状況にある人たちに、どんな支援をしていくのか。それは、必ずしも再分配の形でなくてもいいはずです。たとえば今ならギグワーカーの待遇改善など、労働法制に関する取り組みも一つの施策になり得るでしょう。
そうしたことも含めて、さまざまな形で社会から排除されている「ふわっとした弱者」をどう救い、支えていくのか。その方策を提示するのが、リベラルにこれから求められる取り組みなのではないかと考えています。
雨宮 素晴らしい! 今日は本当に勉強になりました。ありがとうございました。