今までの恋愛人生において一度も「嘘」をついていないという人など、この世に存在するだろうか。恋したがゆえに嘘をつく。そんなことは、幼稚園児だってやっている。思えば幼稚園の同級生だったA子ちゃんは、好きな男の子を振り向かせるために「自分はお姫様だ」と言って、はばからなかった。A子ちゃん家はサラリーマン家庭。大嘘である。
また中学生時代にも、注目を浴びたいためか、モテたいためか、地味系女子がいきなり大嘘をついたことがあった。それはB子。教室にいても誰も気づかず、休んでも気づかれないようなキャラの彼女は、そんな自分の立ち位置に不満を感じたのか、ある日突然「私は前世が見える!」と宣言。スクールカーストという秩序を、破壊しかねないような大ばくちに打って出たのだった。
「この人、極端すぎる……」。そう思いながら、固唾(かたず)をのんで見守っていたものの、ちょうど教室内では「コックリさん」などが流行していた頃。「前世が見える」という大嘘は、暇なうえにお金もない田舎の中学生たちの心を瞬時にとらえ、彼女の机の前には、休み時間のたびに行列ができるほどとなったのだった。
気がつけば、彼女はスクールカーストのかなり上位にまでのぼりつめ、誰もが彼女に前世を見てもらいたがり、そして彼女の言葉に一喜一憂した。
しかし、私はどうにも信じられなかった。なぜならB子は、カースト上位の女子に対しては真剣な表情で彼女たちを見つめ、少しまぶしそうな表情まで作り、「前世は……そう、フランスの貴族……」と、うっとりとした口調で述べるなど明らかにサービスしているくせに、私に対しては、ずいぶんぞんざいな口調で「あー、たぶん江戸時代の町人」と吐き捨てたからである。
また、私よりさらに下位の者に対しては、「前世を見てあげる」ことすらしなかった。しかし、カースト上位の女子たちに気に入られた彼女は、水を得た魚のように生き生きとし始め、そうなると今まで「道ばたの石」程度にしかB子を見ていなかった男子たちも、何かとちょっかいを出すようになっていったのだ。
しかし、教室内のブームの熱などすぐに冷める。なんとなく「前世が見れる」だけでは、この「祭り」が終わってしまうことに気づいたB子は、今度は「予言者」路線に自らのキャラを変更。「3年以内にうちの犬は死ぬ」(もうかなり老犬だった)、「みどり屋(学校近くの駄菓子屋)の婆さんは2年以内に死ぬ」(まぁそろそろお迎えが来そうな年だった)などと言い出しただけでは飽き足らず、今度は「1年以内に○○(クラスの男子生徒)は死ぬ」と、不吉なことを言い出すなど予言はどんどんエスカレート。そしてとうとうある日、「あと1カ月で地球が終わる」と、終末宣言までしてしまったのだった。
それから1カ月。私のクラスだけが、何かそわそわした空気に包まれていた。何しろ、世界が終わってしまうのだ。そして、それを知っているのは、このクラスの者だけなのだ。なぜかこの話を、誰も他のクラスの者には伝えなかった。クラスの中の誰もが知っているのに、他のクラスの者は誰一人として知らない「世界の終わり」に向けてのカウントダウン。誰も口にはしなかったけれど、クラスの誰もが「自分たちだけが知っている」という優越感の中にいた。そして、クラスの中だけでこの秘密を共有しているという、連帯感と恍惚(こうこつ)感。なんだか、映画の主人公になったような気分だった。
そうして、とうとう「世界が終わる」日。やっぱり地球は滅びたりなんてしなくて、B子はその日、学校を休んだ。気まずかったのだろう。B子のいない机を見て、私は「ああ、長い祭りが終わったな」と思った。みんなもきっと、同じことを考えていた。だけど、B子を「嘘つき」などとなじる気持ちはみじんもなかった。なんだか、長い白昼夢を見せてもらったような気分だったのだ。みんなもそうだと思う。
だからこそ、翌日登校したB子に、みんな普通に接した。誰も「世界の終わり」について、なんて触れなかった。そして、その日からクラスでは「前世」も「予言」も、そして「世界が終わる」という言葉も、誰の口からも発されることはなかった。気がつけば、いつの間にかB子は以前のカーストに戻っていて、だけど、「世界の終わり」を共有していたあの1カ月の不思議な空気は、いまだによく覚えている。何食わぬ顔で「大きな秘密」を共有していたあの1カ月。教室内には、これまで感じたことのない結束力のようなものが確かにあって、それまでいじめがまん延していたのに、あの1カ月は、その片鱗さえも感じることがなかったのだ。
話がずいぶんそれてしまった。「恋」における嘘について書こうと思ったのに、気がつけば「田舎の中学生の心の闇」みたいな、病気っぽい話になってしまった。
そう、「嘘」である。B子ほどではないにしても、恋の場面に限らず、きっと誰もが、少しだけ自分を大きく見せる嘘を日常的についている。
そしてこれが恋愛だと、嘘のバリエーションはさらに増える。自分をよくみせるための嘘なんて可愛いもんで、「ごめん、明日急に仕事入っちゃって会えない」と言いながら別の男と会ってたり、「ちょっと仕事で急に地方に行くことになって……」と告げて他の男と旅行に出たりすることに、なんの罪悪感も感じなくなってきたら、あなたも十分心が腐り始めた証拠だ。性根が腐っていればいるほど、時に生きやすくもなるので、「おめでとう」と祝福したい。
また、「嘘」は「変な男に言い寄られた時」にこそ、その効力を発揮する。
例えば、私が今まで使った手を特別に伝授しよう。こっちを好きになってくれた相手に対しては本当に申し訳ないが、「好かれた」「交際を申し込まれた」という事実だけで、被害届けを出したくなるような相手にしつこくされた場合、絶大な効果を発揮する嘘がある。
それは「特定の宗教や、マルチ商法にハマっているフリをする」ということだ。
これは引く。99%どんな男でも引く。1%を残してあるのは、「相手がその宗教やマルチ商法にハマっていた場合」というレアケースのためだ。
ちなみに私は20代前半の頃、2年間ほど右翼団体に入会していた、というメチャクチャな過去を持っている。その間についていた職業はキャバクラ嬢。時々キャバ嬢に本気になる客に対して、「実は右翼団体に入っている」という言葉で、どれほど変な男を撃退できたかしれない。が、この場合、嘘ではなく、ただ事実を述べただけである。このように、「嘘のような事実」も時に身を守るのに役立つ。
撃退したい相手だけでなく、どんなに好きな男にだって、恋に嘘はつきものだ。というか、私にとっての「恋」を分析すると、半分以上を占めるのが嘘。残りは「勘違い」と「自分にとって都合のいい妄想」で成り立っている。あなたの恋は、何で成り立っているだろう?
自分が嘘をついていると、相手の嘘も、まぁそれなりに許せるようになる。自分が清くも正しくも美しくもないから、相手にもそんなものを求めなくなる。それで幸せになれるかどうかは知らないけれど、いろんな嘘をつきながら綱渡り状態という時が、もっとも「恋してる実感」が得られる瞬間ではないだろうか。だから私は、恋愛において、嘘をつくことを自分に思い切り許している。
ただ一つ、許していないのは、「自分に嘘をつくこと」だ。好きでもないのに無理に好きになろうとしたり、もう気持ちが冷めているのに気づかないふりをしたり。そんな「嘘」は、絶対によくない。何かが大きく失われる。
だからこそ、恋する乙女たちよ、自分以外には嘘をつきまくって楽しめ、と声を大にして言いたいのである。
次回は8月1日(木)、テーマは「仕事と女子の両立」の予定です。