「子どもや孫に囲まれて死にたい」「病院ではなく自宅で最期を迎えたい」
そんな意見の人は多いはずだ。
私自身も、できれば大切な人たちに見送られたいと思っている。しかし、30代後半の独り身としては「子どもや孫に囲まれて、というラインはないだろうな」と、漠然と思ってもいる。
以前、ホスピス(末期がんなどで終末期の患者を看護する医療施設)で働いていたという人に、話を聞いたことがある。死期が迫った人たちの話し相手になっていたという男性は、残酷な現実を教えてくれた。
家族が毎日のようにお見舞いに訪れ、多くの人に看取られながら死んでいく人がいる。一方で、もう長くはないというのに、誰もお見舞いに来ない人がいる。いよいよ臨終という時に連絡しても「関係ないんで」と、冷たく言い放って電話を切る家族がいる。
人が亡くなる時。
そのイメージは、それまで私の中ではありきたりなものだった。
よくドラマにあるように、病院の一室に集まった家族が「お父さん!」などと叫びながらご臨終。しかし、それはとても幸せなケースで、誰にも看取られず、たった一人病院で息を引き取る人は、私たちが思うよりずっと多いようなのである。
いつか迎えるその日、その瞬間、せめて愛する人と一緒にいたいな、と思う。
そんなことをしみじみと考えたのは、ある本を読んだからだ。漫画家でエッセイストでもある西原理恵子さんの『いいとこ取り! 熟年交際のススメ』(新潮社刊)である。
ご存じの人も多いと思うが、現在、西原さんは美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長と交際中だ。
「よりによって、なんであんなトリッキーな美容外科医と?」と、常々思っていたので、ただの野次馬根性で読み始めたのだが、本書には人生の後半戦をどう楽しく生きていくか、どうやって恋人といい関係を続けるかのノウハウが盛りだくさん。
「もうすぐ50歳と70歳のカップル」を描いた本書は、具体的に、私の今後の人生に役立ちそうなキーワードに満ちているのだった。
なにしろ「サイバラ流 熟年交際十箇条」の第一条からして素晴らしい。
ズバリ、「チンコ入れても籍は入れるな」である。これ以上に含蓄(がんちく)のある言葉を、私はこれまでの人生で聞いたことがあるだろうか?
少なくとも、幼少の頃から逆のことは言われてきた。チンコを入れるなら籍を入れろ。あるいは、籍を入れるまでチンコは入れるな。とにかく「籍」のために、もったいぶって自分を高く売れ、というようなメッセージ。
だけど、好きとか惚れたとかに「籍」なんて、なんの関係もない。チンコは入れたいから入れるだけ。それでいいじゃないか。
では、なぜ「籍」は入れない方がいいのか。
それは、西原氏が勧めるのは「熟年結婚」ではなく、あくまでも「熟年恋愛」だからだ。
大体、現在の熟年婚活市場に潜む魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが危険すぎる。自分の老後の「金づる」が欲しいオバサンと、自分専用の介護要員が欲しいオジサンのだまし合い。
そんなのって、なんだか悲しい。「人生最後の恋」になるかもしれないのだ。これまで自分を縛っていた条件とか、見栄とか全部とっぱらって、思い切り誰かを愛したい。文字通り「死ぬまで」愛することになるかもしれない相手なのだ。
これが籍を入れてしまうと、もれなく「親戚付き合い」とか「仏壇」とか「墓」とか、いぶし銀なものたちがついてくる。
そんな、熟年恋愛を楽しむために必要なこと。それはお互いが仕事を持ち、自立しているということだ。
本書には「恋もお鮨もドレスも手に入る 経済的自立で全部取り」という章がある。そこには、こんな一節がある。
「素敵なデートをしてくれる相手が欲しいなら、自分が同じような生活をできるよう、仕事を頑張らなくちゃいけないと思う。地に足つけて、自分の力で生きていける、自立した女にならないと。
医者と結婚したいなら自分が医者になる、弁護士と結婚したいなら弁護士になる。それくらい対等な立場にならないと、いい熟年恋愛はできないと思うよ」
このあたり、大いに共感である。
「人生は80年近くあるし、若さとか美貌は確実に衰えるし、おっぱいだってしぼむ。それなのに、20歳の頃の若さと美貌だけで売っていたら、40歳になったとき悲惨だよ。女で20歳でその娘の若さと美貌を資産価値1億円だとしたら、40歳は目減りどころか、0円だからね」
だからこそ、内面の魅力が問われるのだ。
本書には2人のなれそめも描かれている。2人の関係が深まった背景には、「死」が色濃く影を落としている。アルコール依存症で、がんを患った前夫を看取った西原氏と、妻を亡くした後、たて続けに母をも亡くした高須氏。お互いに大切な人を亡くした2人は、だからとてもこの恋を大切にしているのが伝わってくる。
そのうえ、高須氏はもう70歳に近い。こうなるとどうしたって「有限の恋」だ。だからこそ、一緒にいられる時間を大切にしたい。しかし、それをわかっていても怒ったりキーッとなってしまうことがある。
そんな時、高須氏は言ったのだという。
「僕、そんなに長く生きられるわけじゃないんで、逆算したら時間がもったいないし、僕、君の笑顔が好きなんだから、笑ってくれないかなぁ……」
そんなことを言われたら、笑うしかないじゃないか。
「死期が近い」からこその思いやりと優しさ。そして、結婚という形に縛られず、とくに約束をしないからこそ、楽しめる熟年恋愛。人生後半戦を生きるための、心のつっかえ棒。
もしかしたら、熟年での恋こそが、もっとも純愛に近いのかもしれない。そんなことを思いつつも、この本を読んで、高須クリニックの院長がちょっといとおしく思えてきてしまったことが、なんだか悔しいのだった。
次回は2月6日(木)、テーマは「恋に落ちる瞬間」の予定です。