さまざまな理由から、殺人などに手を染めてしまう者もいれば、結婚詐欺がメディアをにぎわすこともある。
フリーライター深笛義也さんの著書『女性死刑囚 十四人の黒い履歴書』(鹿砦社、2013年刊)によると、戦後、最高裁判所で死刑が宣告された女性は全部で14人だという。対して男性の死刑囚は、実に700人以上にのぼる。
この本には、以下のような記述がある。
「己が内に抱える攻撃性を抑えきれずに罪を犯したという例は、女性死刑囚には見られない。男性にまれに見られる、殺人そのものを快楽とする、という例も皆無だ」
しかし2011年、「攻撃性」をむき出しにし、また「殺人そのものを快楽」としていたのではないか、と疑われるような女性犯罪者が登場した。
その女性の名前は、角田美代子(殺人容疑などで逮捕後、64歳で自殺)。兵庫県尼崎市を中心に、25年以上にわたって変死者、行方不明者が相次いで発生した、尼崎連続変死(殺人)事件の主犯と見られていた人物である。
この事件では、美代子が率いる犯人グループの周辺で、少なくとも8人以上の犠牲者が浮かび上がった。テレビに何度も映し出された、バサバサの頭をした、老女の写真を覚えている人もいるだろう。
「世紀の大事件」とまで言われた尼崎連続変死事件とは、どんなものだったのか。そして角田美代子は、どんな人物だったのだろうか。
美代子本人が遺した日記によると、彼女の職業は「借金取り立て業兼家族解体業」。そして尼崎連続変死事件は、「家族乗っ取りビジネス」の果ての殺人だったともいわれている。
「他人の家に喰らいついて、人間ブルドーザーのように根こそぎ家族をなぎ倒し、財産をしゃぶり尽くす。気に入った住人は連れ去って自分の“疑似家族”に加え、気に入らない者は死に至らしめる」
本事件のルポルタージュはいくつか出版されているが、ジャーナリストの一橋文哉さんは著書『モンスター 尼崎連続殺人事件の真実』(講談社、2014年刊)でこのように描いている。
以下、『モンスター』の記述をもとに、事件の一例を紹介しておこう。
ターゲットとなったのは、香川県に在住していた、人も羨むような幸せな家族。保険代理店を営む父、品のいい母、そして共に成績優秀で「お嬢様」の美人姉妹(妹はまだ高校生)からなるT家だ。
そんなT家に、03年、美代子は一味のうちで「暴力装置」と称されていた30歳近い男を、「更生に協力してほしい」という理由で強引に預ける。その男がT家の親戚筋だったこともあり、人のいい父親は断りきれずに受け入れてしまう。
が、すぐに地獄が始まった。男は家の中で暴れ、夫妻に殴る蹴るの暴行を働いて、遊ぶ金をせびり取る。揚げ句の果てに、貯金を勝手に下ろして使い込んだ。
1カ月余りでたまらず男を送り返すと、今度は美代子が10人ほどの「一味」を連れて乗り込んできた。
夫妻に因縁をつけ、「やくざ風の面々」とともに、半年間近くT家を占拠。朝から大暴れして怒鳴り散らし、脅し取った金で昼間はギャンブルに繰り出し、夜は家族に暴行を加えながら大酒を飲む、という毎日が続いた。
ことに凄惨なのは、家族を監禁状態にしてお互いを対立するように仕向け、家族間で暴力を振るわせる手口だ。T家の姉妹は、最初は体を張って両親を守っていた。しかし、やくざ風の男たちに囲まれ、暴力で脅されているうちに「洗脳」され、率先して親を殴るようになっていったという。
そうして、ありもしないことでいちゃもんをつけ、払ういわれも何もない金を「慰謝料」などとでっち上げてむしり取り、ろくに食事も睡眠も与えずもうろうとさせ、家族同士で暴力を振るわせるのが、美代子の常套手段である。
しかも警察が介入しないよう、巧妙な予防線も張っていたから驚きだ。
新聞報道などによると、当時、香川県警察にはT家の窮状を訴える通報が親族などから複数回あったことが判明している。しかし「被害届がない」「親族間のトラブル」として、積極的な対応はとられなかった。のちの証言で、父親は通報を受けて駆けつけた警察官に、「親子げんか」と説明していたこともわかった。娘が自分を殴ったことで逮捕されるのが、耐えられなかったのだという。
半年ほどの占拠で、T家が奪われた金額は約5000万円。
12年、長女は尼崎市内で遺体となって発見された。母親は一度は脱出に成功するものの一味に連れ戻され、08年に死亡。父親は友人の手引きで脱出し、偽名で仕事をしながら潜伏生活を続けていたという。まさに「一家離散」だ。
一方、美代子の「お気に入り」となった次女は、高校を中退し、なんと美代子の長男と結婚。この男、美代子の実子ではなく、美代子の幼なじみの女性が生んだ子ども。しかも美代子は、幼なじみを「義妹」としていた。
彼女が「家族乗っ取り」の過程で、気に入った者は自らの「疑似家族」に加える、ということは先に書いた。そこから浮かび上がるのは、「家族」にとことん恵まれない環境の中で育ってきた、美代子の底知れない「孤独」だ。
さまざまな報道を見ていると、美代子の生い立ちは壮絶で、「家族の愛」や温もりなど感じたことがなかったのかもしれない、と思えてくる。
「家族の愛」への飢えや、「普通の幸せ」への歪んだ思いが熟成されて数十年。美代子は「家族」を乗っ取り、お互いをいがみ合わせ、暴力を振るわせ、信頼関係をズタズタに引き裂きながら、時に命を奪い、そして莫大な金銭を手に入れる手法を編み出した。一連の事件が、「普通の幸せ」から見放されたかのような彼女自身の人生への、壮大な「復讐劇」に見えてくるのは私だけだろうか。
大金を手にした美代子は、家族を乗っ取るごとにいらない者は殺し、気に入った者を加えて「ファミリー」を形成していった。しかし、その維持費は家族が増えるにつれ膨らみ、次の「獲物」が必要となってくる。
「食うモンなくなったら、次を探すんや」
美代子は一味の者に、そう言っていたという。
そんな「ファミリー」の結束も、結局は美代子への恐怖心によって成り立っていたのだろう。彼女が逮捕されると、一味の者は次々と自供を始めた。「信頼していた家族が次々と自分を裏切る」という事実は、美代子に相当の衝撃を与えたようだ。
精神的に不安定になり、逮捕から1カ月後の12年12月、兵庫県の留置場で自ら命を絶った。一体、彼女の人生はどこでどんなふうに「間違って」しまったのか。どこで引き返せばよかったのか。事件の真相とともに、何もかもが闇に葬られてしまった。
次回は7月3日(木)、テーマは「人生の優勢順位」の予定です。