毎年冬、この国の人々に心底、恐れられているものがある。
その餌食になってしまうと、すべてのスケジュールはパー。自分が悪いわけじゃないのに周囲の人々は遠ざかり、何もしてないのに「犯罪者」のような目で見られる。苦しいのに、優しく寄り添いいたわってくれる人はなく、汚物のような目で見られ、社会からは隔離される。
そう、それはインフルエンザ。
2016年も猛威をふるっているとかで、2月前半の1週間に全国の医療機関を受診した推計患者数は、200万人を超えたという(国立感染症研究所)。テレビなどを見ていても、舞台役者のインフルエンザ感染で公演が中止になったり、私のまわりでも出演者が感染してイベントができなかったり、といった悲劇が続いていた。しかし、私はどこか他人事だった。今まで一度もかかったことがないからだ。
そんなインフルエンザが、1月末、突然やってきた。うちに遊びに来た友人A子とともに。
もともとその日は、A子とわが家で飲む約束をしていたのだった。が、訪れたA子は来るなり「なんかしんどい……」を繰り返し、日頃、親の仇のように飲んでいるお酒にも手をつけない。体温をはかると、38度。
「え、じゃあどうする? 大丈夫? 帰る?」
さりげなく(何度も)帰宅を勧めるも、A子は「いや、ちょっと寝て行く……」と、勝手にうちで寝ることを決めてしまったのだった。
なんか少し、いや、大分メンドくさい、と思ったものの一人暮らしのA子を追い出すのもかわいそう……と、渋々リビングに布団を敷いた。わが家では他人が泊まりにきた場合、私は寝室で寝て、泊まり客はリビングに布団を敷いて寝てもらうことにしているのだ。
さて、そうして明かりを消したリビングでスヤスヤと寝息を立て始めたA子だが、まだ夜も早い時間だ。私は夕食を食べていないので、お腹だってすいている。が、A子が寝ているので、物音を立てるのもはばかられる。
仕方なく、この日は寝室で一人、することもなく静かに飢えに耐えたのだった。ま、明日になれば熱も下がって帰るだろう、と。
そうして、翌日。しかし熱はさらに上がり、39度を超えていた。
これは、もしや……。そう思い、A子にお粥を食べさせながら「病院に行こう」と切り出すものの、A子は頑として首を縦に振らない。「もしかして、インフルエンザかもよ?」
そう言うと、お粥を作ってもらった恩も忘れて「そんなふうに脅すなんてひどい!」と怒り出す。「じゃあ、とにかく薬飲もうよ」と勧めると、A子は「絶対に嫌だ」と拒絶する。
そうなのだ。この女は病院嫌い・薬嫌いで、何か西洋医学を否定しているようなところがあるうえ、「なんかのローヤルエキス」とか、普段からそういう得体の知れない健康食品ばかり口にしている(そしてやたらと勧めてくる)。
結局、病院と薬を拒絶したA子が、もうろうとしながら食後に飲んだのは、持参していた「朝鮮人参の粉」だった。この女は、なんでそんなものを持ち歩いているのだろう……? っていうか病院嫌いは個人の自由だけど、もしもインフルエンザだったら、私が大迷惑なんですけど……。
朝鮮人参の粉の苦さに顔をしかめるA子が、なんだか民間療法しか信じない大正生まれの偏屈な婆さんみたいに見えてきて、だんだんムカついてきた。すると、A子はさらに得体の知れないものをバッグから出し、「これを風呂に入れてほしい」と言い出す。
目の前に差し出されたのは、ビニールに入った薄汚い石。
「は?」
熱でおかしくなったのかと思って聞き返すと、「今から風呂に入るからこれを入れて」とうわごとのように繰り返す。
「え、熱あるのに、お風呂なんてやめたほうがいいんじゃない?」
そう言うと、A子は「大丈夫、入れば熱が下がる」と、再び頑なに主張。どんなに引き止めても聞かないので、仕方なくバスタブにお湯をため、その中に薄汚い石を投じる。と、風呂場だけでなく、家中が恐ろしいほどの硫黄臭に包まれた。2匹の飼い猫もおびえるほどだ。本当に、この女はどうして、人を呪い殺すための道具みたいなものばかり持ち歩いているのだろう。
が、彼女の民間療法的なものに頼る思いは信仰に近く、A子はフラフラしながら臭い風呂に入る。風呂から上がったA子は、明らかに体調を悪化させているものの、「あー気持ちよかった」と強がっている。
「大丈夫?」
再び熱をはかると、39.5度。
「絶対おかしいって! 病院行ったほうがいいって!」
だんだん目が座ってきたA子に言うと、突然、ひらめいたように「フン詰まりだから熱が出てるんだ! 便秘が治れば熱が下がる! お願い、下剤と浣腸買ってきて!」と騒ぎ出す。
あまりにも強硬に主張するので「本人がそこまで言うならそうなのかな」と思い、私は駅前の薬局まで自転車を走らせ、下剤と浣腸を購入。が、家に戻るとA子はさらにぐったりしており、熱をはかると40.2度。
これは絶対、アイツに違いない……。
「あんた、たかが便秘でこんだけ熱出ると思う? 病院行くよ!」
そう言うと、A子は初めて「うん」とうなずいたのだった。というか、やっと抵抗する気力を無くしたのだった。
そうしてタクシーに乗せて連れていった病院で、A子は一瞬で「インフルエンザA型」と診断された。
「インフルエンザだった☆」
A子は苦しみの原因がはっきりしたせいか、待合室で清々しい顔で笑った。
「え、じゃあ私も感染してる?」
急に心配になってきた私が言うと、「なんか、一緒にいる人が感染しないための予防薬があるって。でも感染してないと健康保険きかないって言われたから、いらないよね?」とA子。
「え? いやいやいや、それ、いくらするかアンタ聞いてきてよ!」と叫ぶ私。
結局、その「感染していない人には保険きかない予防薬」なるものが診察料と薬代で1万円くらいだとわかり、泣く泣く自腹で処方してもらう。そうして2人して、薬局で出された「イナビル」という薬を吸入した。
さて、A子はインフルエンザだということもわかったし、このままタクシーかなんかで自宅へ帰るのかと思ったら、当たり前のように私と一緒にわが家に帰宅。「あー、アンタがいてよかったー」と、すっかり看病継続モードだ。
ということで、それから数日間はA子を寝室に隔離し、お粥を作ったりうどんを作ったり着替えさせたりと、奴隷のような日々を過ごした。
予防薬の効き目がどれほどなのかもよくわからなかったので、24時間マスク着用。換気をまめにし、A子とはタオルなども別々のものを使用。と、書くと大したことないようだが、私は数日後に某テレビ番組のスタジオ収録とナレーション収録を控えた身。スケジュールは絶対に動かせない。A子に「なんか私が汚いみたいでひどーい」と言われながら、常に家中のものをアルコール消毒しまくった。
そうして数日後、すっかり治ったA子は、「いろいろありがとー。じゃ、私、仕事あるからまたね!」と爽やかにお帰りになったのだった。
A子が帰った後、緊張が解けた私はしばらく体調を崩したものの、インフルエンザではなかったので安心した。後日、A子に焼き肉をおごってもらったので、いつもよりいい肉を食べてやった。
この経験を通して、いろいろと考えた。
私も一人暮らし。もしインフルエンザになった場合、果たして看病してくれる人がいるだろうか。いや、インフルエンザだったらまだいい。もっと深刻な病気になった場合……。というか、それよりも老後……。このまま女一人、老いてゆくことを考えると、不安なんて言葉では言い表せないほどのリアルな恐怖がひたひたと足元に押し寄せる。
そんなことにおびえていた頃、あるアンケート結果を知った。
2月21日の朝日新聞フォーラム「最期の医療」という記事において、「人生の最期をみとってくれる人がいますか」という質問に、「はい」と答えたのが869回答中643回答、「いいえ」と答えたのが226回答。頭が悪いのでパーセンテージが計算できないのだが、グラフの比率で見ると75%くらいが「はい」と答えているではないか。
そんなにみんな、みとってくれる人がいるのか。というか、「この人は自分をみとってくれるはず」という確信を持てるってだけで、なんだか「正しい人生を送ってきた」という気がする。みとってくれる人として思い描いたのは、おそらく子どもが多いだろう。配偶者だったら、どっちが先に死ぬかなんてわからない。しかし私には、子どももいなければ配偶者もいない。なんの役にも立たない猫が2匹いるだけだ。
「巻き込み事故」みたいな「友人のインフルエンザ強制看病」から、なんだか人生がとっても不安になったこの冬。
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(作家、活動家)
2016/03/03